「これ、おすすめ」
さて、学校の先輩とはいえ、女性と出掛けるのだから服装に気を遣いたいところなのだが、残念ながらバリエーションが豊富ではなかった。普段外出をしないせいだ。仕方ないので襟付きのシャツとジーパンを組み合わせて……あとはつい最近に購入したばかりのスニーカーを履いた。単体ではかっこいいと思うのだが大樹に似合っているのかどうかは判別のしようがない。
予想以上に時間がかかってしまったが、なんとか支度を整え、いざ行かんと玄関に向かおうとすると母親に呼び止められてしまった。
「大ちゃーん? 出掛けるのー?」
朝からずっとパジャマ姿のままの母が、リビングからぱたぱたと足音を立ててやってくる。大樹がこくんと頷くと、
「そうでしたか。気をつけて行ってきてください」
「うん。学校の先輩とちょっと買い物してくる。昼過ぎくらいに帰ってくるから」
「月夜さんですね? 早く家に呼んでくださいね。挨拶をしたいので」
「……紗季といい、母さんといい、なんでそんなに分かるの……」
「だって、大ちゃんの先輩って言ったら、月夜さんしか思いつきませんし……昔はよく名前が出てましたから」
「そうでしたね……」
中学時代、部活から帰ると家族には月夜の話をした。バドミントンにとても熱心で憧れの先輩である、などと言った気がする。大樹が部長になり、廃部になったこと、そして受験など目まぐるしい出来事が連続で起こると、もう話すことはなくなったが……。というか、月夜に挨拶をして何を話すつもりなのだろうか。まさか今のような話をする気じゃ……。
「も、もう行くよ」
「はい、いってらっしゃい」
いやにニコニコした母を尻目に大樹はその場をあとに――
「あっ!?」
できず、やけに慌てた様子の母に向き直った。
「どうしたの?」
「た、大変です!! 大ちゃん、私、お昼ご飯はどうしたらいいのでしょう!? 自慢じゃありませんが、私は何も作れません!!」
「ホントに自慢でも何でもないな……」
しかし、これは大樹も失念していた。何か適当に冷凍食品を作って食べてほしいが、下手をするとこの母親はそれすら出来ない可能性がある。なにより、家事をさせると大樹が帰るころには火事になっているのではないだろうか。別にダジャレを言ったつもりはない。
だが、こういうときの対処法が大樹の頭にはしっかりと刻みこまれている。おもむろにスマートフォンを取り出し、電話帳を開くと長年家庭をほったらかしにしている男へと電話をかける。
『もしもし? 大樹か?』
久しぶりに聞いた父親の声に感慨を持つこともなく、大樹は単刀直入に用件を告げる。
「あ、父さん? 俺、今から出掛けるんだけど、帰りが遅くなるかもしれないんだよね」
『は? 何だ? 何の話だ?』
「紗季もいないし、このままだと母さん、一人になっちゃうなー」
『……おい、ちょっと待て。いや皆まで言わなくていい。言いたいことは分かった。でもな、やっぱりちょっと待て。今父さんは大阪にいるし、これから社運を左右する大事な会議がだな――』
「おじいちゃんの機嫌を損なうのと、会議を抜けるの、どっちが怖い?」
電話の向こうで自分の父親が息をのむのがはっきり分かった。
お嬢様である母と、これといって特出した部分のない父。この二人が結婚するにあたり、当然揉め事はあったそうだ。大樹の祖父はどこの馬の骨とも分からない男に溺愛していた娘をとられると思ったのか結婚については猛反対だった。一体どうやって結婚にまでこぎつけたのかは、もううんざりするほど母親から武勇伝として聞かされているので、自分から語るのは嫌になるため省略させてもらうが、それでも禍根は残っている。
例えば、祖父は父のことを良く思っていない、とか。
『お、お前……、それだけは止めてくれ。いや本気で止めろ。お義父さんを呼ぶんじゃない、離婚になるぞ』
「はっはっはー、離婚? いいんじゃない? 御手伝いさんが来てくれたら俺が飯を作ったり洗濯したり掃除しなくて済むし、高校生らしく自由に遊べるんですがね!!」
『……怒ってる?』
「当たり前だ!!」
『……今すぐ帰ります』
最後の言葉に至っては完全に敬語だった。もはや父親としての威厳は皆無だった。少しやりすぎた感じは拭えないが、これくらいしたって罰が当たるほどではないと思う。
「今の電話……直樹さん?」
父親――篠原直樹との電話を切ると母がそう聞いてきた。
「喜んでよ、母さん。父さん、今日帰ってくるよ」
「本当に!? 直樹さん帰ってくるの!?」
もういい歳をした大人の癖に、そのはしゃぎぶりは凄まじかった。さっきからそこらへんで飛び跳ねている。祖父が結婚を許した最大の要因は、二人の絆の強さだ。大樹の目から見ても、二人は本当に仲が良い。わずかな時間しか一緒に過ごせないというのに……。
「ふふっ、今日は直樹さんにたくさん愛してもらいます♪」
「………」
今日の夜はどこかに泊まろうか、と思う大樹であった。
少し急ぎ気味に家を飛び出す。
だがその行動とは裏腹に、目的地が近づいていくほど段々落ち着かない気分になっていく自分がいる。すごく今更だが、別に一人でも買いに行くことは出来た気がする。大樹は別に最新モデルや性能に拘りはないのだから。月夜に変なところを見せる方が問題だ。
そんなヘタレ思考に苛まれている間に新宿駅に着いていた。慌てて電車から飛び降りる。
待ち合わせにしているのは、駅から歩いて少しになる本屋だ。最初は西口にしようと思ったのだが、それは月夜によって軌道修正された。友人と待ち合わせした際に遭遇出来なかったことから学んだそうだ。そんなものなのだろうか。
指定した時間の五分前。
なにはともあれ、とりあえず本屋には着いた。結構大型な部類に入る店なので二階まであるが、月夜は目立つ容姿をしているのですぐに見つけられるはずだ。
そう思って月夜を探し始めて数分後。
大樹は未だに月夜を見つけられずにいた。
「あ、あれえー?」
ちょっと待ってほしい。一度整理したい。
まず、月夜がまだ到着していない可能性を考えたが、これはすぐに消去した。月夜は時間にルーズではない。それどころか勢い余って早過ぎる時間帯に着いてしまうようなタイプだった。
では、そもそもの場所が違うのか。これも少し考えにくい。すぐに文明の利器であるスマートフォンで周辺の書店で検索をかけたが、ここ以外には本屋がない。よってここにいることは確実なのだが……。
と、そこで誰かに肩を叩かれる。振り向こうとしてその人の人差し指が大樹の頬に食い込んだ。いつぞやの、大樹が月夜を昼食に誘ったときと同じ手法だ。
「ん……?」
「こんにちは、篠原くん」
そこには、ちゃんと朝日月夜がいた。いたのだが……、大樹は開いた口が塞がらないままに何度も目を瞬かせた。
長くて綺麗な黒髪は、頭の後ろでシュシュに括られ、ポニーテールになっている。今日はコンタクトでもしているのか、毅然とした印象を与えてくれるメガネも今はかけていない。
そして肝心の服装だが……フリルのついたワンピースに淡いピンクのカーディガンを羽織っていた。月夜の私服姿を見るのは長い付き合いのはずだがこれが初めてだった。ゆえに普段の月夜の私服の特徴を知っているわけではないのだが、正直なところ意外だった。
なんか……こう……。
「かわいい」
「へ?」
綺麗、美人、よりはそういう感想を抱いた。
「え、えっと……えっとね、篠原くん……」
大樹の衝撃的な一言に、月夜のデフォルトの無表情があっさりと崩れ、頬が朱に染まった。しかし、数度深呼吸をして落ち着きを取り戻して微笑を浮かべ――
「いやー、はい。めちゃくちゃかわいいっすね」
「!?」
大樹の追い打ちを受け、再び顔を真っ赤にした月夜は顔を俯かせた。このままではもしかしたら頭から湯気が出てしまうのではないかと心配になるほどだが、大樹はそんなことにも気付かず、止まらない。
「ああ、すみません。失礼ですけど、センパイならもっとおとなしい服装にすると思って。だから、なんというか、そんな可愛い服を着てくるのは予想外だったというか。髪はまとめているし、メガネはかけてないし」
「か、髪は……え、えっとたまにこういう風にもするから。メガネはバドミントンのときもしてないし……」
「そうですね。ちゃんと見えてますか?」
「……大丈夫」
月夜の目の前で手を動かしてみると、彼女はおかしそうにそれを払った。言葉を交わす中で、ようやく月夜もいつもの調子を取り戻せてきた。大樹も大樹で、最初こそ動揺したものの、なんか一周回って逆に冷静になっていた。
「じゃあ、行きましょうか」
大樹が促して、二人は書店を後にする。
休日ともあって、新宿は人通りがかなり多い。普段、何かの用事がなければここには滅多に来ないけれど、こうして見ると結構若い人が多い。当たり前かもしれないが。大学生くらいの男女のグループもいれば、一人で行動する女性もいて、そして今の大樹と月夜のように……。
(カップルも、結構いるな……)
この状況。密かに心の中で掲げている目標、リア充になること限りなく達成している状態とも言える。隣を歩く月夜はどう考えているのだろうか。よくもまあ、後輩とはいえ久しぶりに会ったばかりの休日に会うことを了承してくれたものだ。
(ま、この人、意外と面倒見がいいからな……)
結局、そんなものだろう、と勝手に思考して勝手に完結させた大樹。
実際の月夜には下心しかないのだが。
予定通り、目当てのスポーツ用品店にたどりついた。バドミントンに限らず、多種多様な種目の道具を扱っている店舗だが、ここに来たのは初めてだ。中学の時は自宅の近くにバドミントンの専門店があって、そこの店主とは顔見知りになるくらいには通った。
「どれにするの」
月夜が大樹に問いかけた。
「うーん……どうしましょう?」
繰り返すが、大樹に拘りはない。三年間もバドミントンに携わっておいてなんだが、道具ひとつで勝負が分かれるとは到底思えないのだ。これまでは、重さとデザインで決めていた。
その旨を伝えると、月夜は困ってしまったとばかりに眉を寄せた。
「えっと……それなら篠原くんのプレイスタイルから考えてみましょう」
「俺の?」
「ええ。昔から変わっていないようだけど、あなたは守備型よね?」
バドミントンプレイヤーのスタイルはおおまかに三種類に分けることが出来る。
攻撃型、守備型、オールラウンド。
それぞれ、文字通りの特徴を持ち、大樹はスマッシュなどの打撃が得意ではなかったため、ドロップやヘアピンで相手を揺さぶる戦法に磨きをかけていた。
「まあ……自分から攻めることはないかも……」
「それなら……」
月夜は踵を返し、しばらくすると一本のラケット手にして戻ってきた。オレンジを基調としており、大樹からしてみれば派手ではないかと一瞬心配になったが、すぐにあることに気付いた。
「これ、おすすめ」
「それ、つい最近使った覚えがありますね」
具体的には昨日、月夜から借りたラケットにすごく似ている気がする。
「……気のせいよ」
「そうですか。でもまあ、確かに使い心地はよかったですけどね。久しぶりの割には結構上手くコントロール出来たし」
別にこれを購入しても構わない。値段を考慮しても財布に良心的なものになっている。
気掛かりがあるとすればデザインが……、決して気に入らないのではなく、むしろかっこいいとは思う。だが一年生がこれを使っていたら、先輩方から目をつけられてしまうのではないか……などと考えてしまう。
「どうする?」
「……これにします」
悩み抜いた末、大樹がそう告げると月夜は表情を綻ばせた。




