『かっこよかったです!!』
今回、いつもより少し長めです。
私はあの日のことを忘れない。きっと忘れたくても忘れられないと思う。
理由は二つある。
いつか、あの子と再会しもう一度戦って勝つために。
そしてもう一つは――
「センパイ?」
耳慣れたその声に、心臓が跳ね上がるのを感じた。
今日は中学生によるバドミントン全国予選の日だ。一度でも負ければそこで終わり。常に上を目指し続ける月夜は、この日のために万全の準備を施してきた。目覚めてからは集中力も緊張感も十分に保っていた。
……にも関わらず、その張りつめていた糸が一瞬で切れてしまったのは、やはり彼のことが異性として気になるからか。
朝日月夜と同じようにジャージに身を包んだ篠原大樹は、笑顔でこちらに駆け寄ってきた。
「おはようございます。奇遇ですね」
「あ……う……」
「ん?」
「お、おはようございます」
顔を見られたくなくて、勢い余って深々と頭を下げて挨拶をしてしまった。
まさか朝から大樹の顔を見ることになるとは思ってなかったので、動揺を隠し切れない。何でもっと普通に話すことが出来ないのだろう。
「ええっ!? そこまで丁寧じゃなくてもいいですよ!? 頭上げてください!!」
そう言われてようやく月夜はおそるおそるだが頭を上げる。
すると、大樹は小さく噴き出した。
「センパイって、たまに面白いですよね」
「……そ、そう」
……今のはどういう意味で言ったのだろうか。まさか変な風に思われているのか。だとしたら少し――いや、かなりショックだ。
「学校の近くまで同じ道なので、そこまで行きましょうよ」
今日、男子の方でも試合がある。ただしそれぞれの会場は異なっており、大樹は隣町まで行かなくてはならないが、月夜は運のいいことに自分の学校が会場になっていた。
「センパイ、随分早いですね?」
「か、会場の準備があって……あとアップもしたくて」
なんか、さっきから上手く話せているかどうかいまいち自信がない。それから色々と話をしたと思うのだが、あんまり記憶に残っていない。適当な返事をしてしまっていないだろうか。
「やっぱりセンパイも緊張してます?」
「し、してます」
主に別のことが原因で。
そうこうしている内に学校に着いてしまったので大樹とここで一度別れることになる。
「大丈夫ですよ、センパイが誰よりも頑張っていることを俺は知っていますから」
そして少し強く背中を叩かれた。
びくっ! と月夜の体が震え、しばしの間体が硬直した。
「え、あ、すみません、強すぎました……」
「――いえ」
息を吐き出すようにして月夜の体から力が抜けていく。大樹の方を向いた月夜の表情はいつもよりリラックスしているようにも見える。
「これくらいが丁度いい。ありがとう、もう大丈夫」
そうだ。自分がどれだけ練習を重ねてきたのか、自分でよくわかっている。今ではそれを共有できる人だっている。こんなに恵まれたことはない。
大樹には感謝してもしきれない。
「さて、俺も行ってきます。報告、待ってますから」
と、そこで今更になって気付く。大樹はラケットケースを持っていた。ということは今日試合に出るということだ。
一体何をしているのだ、自分ばっかり励ましておいてもらって後輩に先輩らしいところ一つ見せないわけにはいかない。
「篠原くん」
「はい?」
「頑張って」
大樹は一瞬きょとんとしたが、すぐに元気のいい返事をした。
「はいっ!!」
ネットを張り、本部を設置、イスを用意し――細々(こまごま)とした雑事を終えた後は他の学校の選手が来るまで好きなようにアップをした。
開会の時間が迫ると、月夜たちは退散し全てのコートが今回の選手でいっぱいになった。全員、最後の仕上げに取りかかっている。いよいよ月夜も、大樹に会う前の朝の状態に戻りつつあった。
開会式が始まり、試合上の注意などがされれば、早速試合が行われた。
試合形式は団体戦。二複一単……つまり、ダブルスが二試合、シングルスを一試合行ってその勝ち数で勝敗が決まる。
月夜たちは二回戦までなんなく通過してみせ、次は三回戦。ここで勝てばベスト8だ。
「さて、次の試合のオーダーを発表する」
顧問の周りにレギュラーの五人が集まった。当然のことながらそこには月夜が含まれている。
そしてそれによるとシングルの担当は月夜だったのだが……。
「第一ダブルス、捨てる気ですか?」
いつもとは違うオーダーを見た月夜は顧問にそう質問した。
「別に大丈夫だろう、お前がいるんだから。ダブルスの二試合それぞれがマジで戦うよりこっちの方が確実に勝てる」
「しかし、何も捨ててしまうことはないはずです。いつものオーダーなら、普段通りの実力を出せば間違いなく全勝出来ます。万一のことがあります。もし私や第二ダブルスが負けたらどうするんですか」
いつもより口数の多く、さらに責めるような言い方をした月夜をチームメイトと顧問は戸惑ったような目で見た。
「大丈夫だってー」
「私らが勝ってあげるからさ」
「月夜なら絶対負けないよ」
「もしかして捨てることを気にしてる? 大丈夫だよ、私は気にしないし」
それでもなお食い下がろうとすると、月夜の両肩に顧問の手が置かれた。
「朝日、俺はな、お前を信じてる。お前ならやれる」
何を見ていて、そんなことが言えるのか。そんなセリフは、もっとちゃんと人や部活を見てから言ってもらいたい。
そこまで思ったところで反射的に顧問の手を振り払う。一瞬、眉間に皺が寄ったのを月夜は見逃さなかった。
「……とにかく頼んだぞ」
案の定、とでも言うべきなのだろうか。
ほんの十五分程度で、月夜たちの学校の第一ダブルスは敗退した。
次の月夜の試合で負ければ引退になってしまう。それなのにベンチからは焦りのような感情は読み取れない。少し余裕を持ち過ぎだ。
「頑張れ月夜!」
「さくっと勝っちゃって!」
今しがた試合を終えた二人が言った。もちろん全力で勝つつもりではあるが……こんな風に任されたり期待されたりするのはあまり気分がよくなかった。
「それではこれより、シングルスの試合を始めます」
主審の宣言により、月夜は意識を切り替えた。思うところがあったとしても今は目の前の相手に集中するべきだ。
と、そこで月夜は違和感を持った。現在対戦中の学校は、以前の大会で試合をしたことがある。なので、相手校のメンバーは把握しているはずだったのだが、目の前にいる選手を月夜は知らない。
背丈はずっと月夜より低い。顔立ちも、周りの選手に比べて幼い印象を受けた。
握手を交わす。
「えへへー、よろしくお願いしまーす」
「何年生なの?」
「二年生です~、つい最近バドミントン始めました~」
「なっ……」
絶句した。幼く見えたのも、何故彼女を知らなかったのかも、これで解決したがそんな子がいきなり団体メンバーにいるのは何故だろうか。
今のやりとりを聞いていた顧問は、いよいよ余裕を崩す気がなくなったのか、足を組み少しも礼儀を感じられない態度になっていた。
月夜はさっき相手校から受け取ったオーダー表を思い起こす。確か名前は……高宮、凛、だったか……。
「ファーストゲーム、ラブオールプレイ」
戸惑いを覚えながらも、月夜たちの試合は開始された。
尋常ではない。
こんな選手が存在していてもいいのか。
まず間違いなく、過去最強の敵だ。月夜は試合を始めてすぐにそう直感した。
他のコートでも試合がされているというのに、誰もが、高宮凛から目を離すことが出来ない。きっと全員が感じている。この選手は天才だと。
どんなショットを打っても、返されてしまう。
どれだけ考えてコースに配球しても、全て拾ってくる。
必死に走って返球しても、必ず押し込まれる。
何もかもが圧倒的に足りない。技術も、体力も、そして想いさえも――
試合はセカンドゲームの終盤。ここまでほんの十分程度なのだが、月夜はもう何時間もコートに立っているような錯覚に陥っていた。
19-0
このセカンドゲームどころか、この試合中、まだ高宮凛から一点さえも奪えていない。
高宮が、フォアサーブを放つ。天井に接触するのではないかと思ってしまうくらい高い軌跡を描いたシャトルはエンドラインのギリギリで降下を始めた。
月夜はそれをドリブンクリアで返す。低い軌道ながらも高宮の頭上をすり抜けていくには申し分ない高さと速さだった。
「とうっ!」
そんな掛け声と共に、その場で真上に大きくジャンプした高宮のラケットがシャトルに軽く触れる。ネット前に白球は落ちていく。
前へ走り込んだ月夜は、苦しい体勢ながらも生きたヘアピンをする。
そして高宮はそれをクロスでバック奥へロブで返そうとした。
(くるッ!!)
月夜の予測通りに放たれたロブに飛びつく。
次の対応なんて考えない。この一撃に賭ける。
体を横に倒し、腰を回して鞭のように腕を振った。
渾身のストレートスマッシュはコートの空いたスペースに突き刺さる、
はずだった。
「……!?」
高宮が、月夜の視界に突如として現れた。その表情は笑っている。だが、月夜にはそれが不気味に見えて仕方がなかった。
(なんで……もうそんなところにいるの……?)
高宮がロブを打った、その直後と言っていいタイミングでスマッシュを放ったはずだ。
いくらなんでも速すぎる。なんだこの反射神経は。
高宮は再びロブ。
しかし月夜は立ち上がれない。
20-0
いよいよマッチポイント。もう後がない。
だがそれ以前の問題として、月夜はもう戦うことが怖くなっていた。ここから逆転が可能だとは到底思えない。力の差があり過ぎる。高宮凛には人を絶望させる力がある。
月夜の心は完全に折れていた。
レギュラーを勝ち取った者として、そしてスポーツをする者として、最後まで諦めずにベストを尽くさなければいけないことくらい分かってはいる。
しかし、ここで手を抜いたとしても誰も月夜を責めないだろう。むしろ、よくやったと声をかけてもらえるかもしれない。
そう考えると、いくらか気分は楽になった。
高宮がサーブの構えをとる。月夜もレシーブの準備をするためにその位置に移動して、
「え?」
そんな声が月夜から漏れた。
体育館の入り口付近に、ここにいるはずのない人物が見える。
篠原大樹はこちらに向かって手を振りながら、何かを叫んでいる。じっと目を凝らしてその唇の動きを読む。
せ、ん、ぱ、い、が、ん、ば、れ――――
「……ふふっ」
どうやら見間違いというわけではなさそうだ。あれは確かに、大樹だ。
それよりも、ついさっきまで自分はなんてことを考えていたのだろう。ここで諦めたら、自分の努力どころか、大樹の想いまで踏みにじるところだった。
まだ、負けていないじゃないか。ここから奇跡が起こるかもしれない。
そうだ、ここに立っている間は、せめて先輩らしく、いいところを見せなくては――
だが、そんな決意の前にも、高宮凛は容赦しなかった。
月夜は彼女との戦いの中で、通算四十二得点を連続で取られ、そして団体戦での敗退が決まった……。
負けてからも、いろいろ仕事があった。
敗者校として審判をこなし、それが終われば会場の整備をし、試合が全て消化されたら片付けをして……ようやく解散になったのはもう日が沈みかけた頃だった。
顧問もチームメイトも、月夜には何と声をかけていいのか分からない様子で、最後のミーティングではそれぞれが反省を述べて月夜たちの代の引退は決定した。
誰もいない体育館に月夜はいた。
ひどく感傷的な気分だった。月夜の足はぐるりと体育館を一周する。
もう、この場所でバドミントンをすることはない。
そう認識すると、思うことがないわけでもない。
ふと、誰かの気配を感じた。
「篠原くん?」
「あ、どうも……」
片手をあげた大樹は苦笑した。
「いやー、困っちゃいました。さっきまで顧問や他の先輩たちに色々こきつかわれまして……」
「そういえば、どうしてここに?」
「俺たちの試合が早く終わったので、様子を見に来ました」
……ちょっと嬉しい自分がいる。わざわざ駆けつけてくれたようだ。
でも、ふがいない試合を見せてしまったことがくやしい。
「すご、かった、ですよね……」
大樹にとっても、高宮凛ほどの逸材を目にするのは初めてだった。
月夜の最後の試合を飾る相手として、それがよかったのか悪かったのか……。
なんとかフォローをしたいが、何を言えばいいのか大樹にも分からなかった。
何も言えずにいる大樹に代わって、先に月夜が言葉を紡ぐ。
「篠原くんの試合はどうだったの?」
「俺のシングルスは勝ちましたが、先輩たちのダブルスが二つとも負けてしまったので、一回戦負けですね」
「そう」
そこで会話が途切れる。
会話がなくなれば、意識は必然と今日の試合のことに繋がる。
どれくらいか、しばらく床下をずっと見つめていると、
「せ、センパイ……」
「えっ?」
「大丈夫ですか……?」
心配そうな大樹の顔がそこにあった。
「な、なに?」
「だって……涙が……」
そこでようやく、月夜は頬を伝う涙の熱さに気が付いた。感情よりも先に涙が出たのだと思う。すぐに気持ちがついてきた。
「え、あ、待って、待って」
焦って袖で目元を拭うが、次から次へと涙は溢れてくる。その内、鼻がつまってきた。ぐずっ、ぐずっ、と何度も鼻をすする。
「…………っ」
腕をどけられない。こんな顔を見せるわけにはいかない。大樹が戸惑っているのが分かる。
「せ、センパイ、こんなものでよければ使ってください!」
慌てて大樹が差し出したポケットティッシュを使って、涙と鼻水を拭き取る。なんとか見せられるくらいに応急処置を済ませた。
「あの、センパイ」
「……なに?」
「今から言うこと、嘘じゃないんで、聞いてくれます?」
そこで大樹は少し息を吐いて――柔らかい笑みを浮かべた。
「かっこよかったです!!」
思考が一瞬、止まった。
あの無様な姿のどこに、そんな要素があったのか。
「途中からしか見れなかったですけど……、でも最後まで諦めず奮闘するセンパイは立派だと思います」
……すいません、なんか偉そうで。そう付け加えた。
「……いや、そんなことない……だって……」
「ん?」
「あなたが来てくれたから……」
弱っているせいで、素直な感情が吐き出される。
あの絶望しかない状況で、大樹の姿が見えたとき、わずかだが希望が生まれた。光を生んでくれたのは彼自身だ。
「な、なんか、今の照れますね……」
大樹が顔を赤くしたところを見るのは珍しい。
「ありがとうございます」
笑顔を作った大樹につられて月夜も微笑を浮かべた。
「やっぱり悔しいわ」
「うん?」
「彼女との試合」
今日のために、必死に練習した。手を抜いた覚えはない。こんなところで終わるはずじゃなかった。
彼女に追いつくためにはどうすればいいのだろう。手応えが全くなかったために、自分があとどれくらいで彼女に勝てるのか、少しの勝算も見えない。自分を鼓舞したり、慰めたりする言葉が一切出てこない。
でも、不思議とさっきほど後ろ向きではない。それどころか、またバドミントンをしたいというやる気がみなぎってくる気がする。やはり、高校でも部活はバドミントンにしよう。
高宮凛との試合は、正直なところ記憶から消し去ってしまいたい。でもそんなことは出来ないし、この悔しさを払拭するには、これまで通り……いや、これまで以上に努力を重ねていくしかないのだ。
「頑張るわ、私」
「はい。俺、センパイのこと好きです」
「……え?」
「俺、頑張ってる人間や努力してる人間が好きなんで、センパイのことは大好きです」
……一瞬告白されたのかと思ってびっくりした。
それでも好きだと言われたせいで、月夜の顔は既に真っ赤になっていた。
やっぱり自分は――
「センパイ?」
「………なんでもないから。そろそろ帰ろう?」
「そうですね」
体育館の入り口に立って、月夜は頭を下げる。これまでの感謝を込めて。
「ありがとうございました」
晴れやかな笑顔が、そこにはあった。
ありがとう、篠原くん。私もあなたのことが好きよ。
あの日芽生えたこの想いを、いつかは伝えるから。
もう少しだけ待っていてください。




