「また明日」
もともと、月夜は大樹が心配で待っていたのだが。
最寄り駅に向かう道中、月夜はいつもより口数が少なかった。ひどく緊張しているせいだった。大樹に不審がられると思ったが試合後で気分が高揚していたようで、大樹は特に気にかけず思いついた取り留めない話題を口にしては会話を転がしていた。
やがて話の種はバドミントンの方へ。
「センパイって、やっぱり高校でもご活躍されてますよね?」
「……去年は団体で都ベスト4までいった」
「へえ!」
確かに中学時代よりも高い成績を残せた。大樹の見えないところでも、月夜は努力に努力を重ねて力を蓄え続けた。いつかは全国の舞台に立ってみたい。
「すごいなあ……」
両目をきらきらと輝かせる後輩を前に、月夜はきまずくなって顔を背けた。
「あ、そういえば、さっきの試合」
「?」
月夜は首を傾げた。
「最後の最後、センパイは俺のことを『大樹!!』って呼びましたよね? いやー、びっくりしましたよ」
「う、あ、ああ……」
月夜の呻き声が漏れた。あの瞬間のことは自分が一番驚いている。
原因は分かり切っているのだ。中学時代、月夜は大樹のことをそういう対象として見ていた。それでたまに……いや実は毎日のように夜に布団の中で「大樹」と呟いてみたり妙にメルヘンチックな妄想をしてみたり――
……恥ずかしい。
焦って言い訳を試みる。
「あ、あれは……思わずというか……つい……」
「確かに篠原よりは、大樹の方が一文字分少ないですからね。俺もセンパイじゃなくて月夜って呼んだ方がよかったですかね?」
頭が沸騰しそうだった。そういうことを何気なく言うのは止めてほしい。この熱を治めるためには何をしたらいいだろうか。そこの電柱に頭を何度も叩きつければいいのか。そうしよう。
「まあ冗談ですけどね」
実に眩しい笑顔だった。口ごもってしまった自分を呪う。
あと少しで駅に着きそうになったとき、月夜は聞きたくて仕方のなかったことを口にした。
「ねえ、篠原くん」
「はい?」
「私が引退してから後のこと……教えて」
それまでの空気とは、質が百八十度入れ替わるのがはっきりと分かった。こんなことは聞くべきではなかったかもしれない。でもやはり気になる。何が彼の身に起こったのか。どうして変わってしまったのか……。
「……いいですよ。教えてあげましょう」
定期を取り出して二人は改札を通った。ホームで電車を待っている。
「あの……もしかしたら熱が入り過ぎて一人で勝手にどんどん喋っちゃうかもしれないですけど……いいですか?」
「ええ」
そういうことなら、聞き役に徹していよう。
大樹の横顔を盗み見る。俯いてしまっていて表情に翳りが生まれている。これがさっきまで無邪気に話をしていた人物と同一とは思えなかった。
「センパイは引退するとき、次期部長に俺を選びました」
「そうね」
「人をまとめるのが得意だったわけではなかったですが……任された以上、全力でやろうと思っていました」
電車がやってきた。ラッシュの時間帯ではない。空いている席に二人で座った。
「センパイたちの存在は、俺にとって……俺たちにとって憧れでした。本当に強かった。誰もが、あんな風になりたいって思っていたはずなんです」
自分たちの存在は、彼らにとってそこまで大きなものだったのだろうか。自覚はない。
「最初は、上手くいってたんです。全員でこれ以上ないくらい声出して盛り上げて、勝つために必死に対策練って……充実していたんです」
そう語る大樹は、少しも楽しそうに見えなかった。
「でもすぐにそれも、狂い始めていきました」
途端に声が冷たくなる。
「別に大きな出来事ではありませんでした。ただ……少しずつサボり始める人が増え始めたんです」
「えっ……?」
その大樹の言葉は月夜にとって信じられないものだった。特別仲がよかったのは大樹だけだったが、月夜から見てそんな不真面目な部員はいなかったはずだ。
「俺が思うに、センパイたちは抑止力になっていたのではないでしょうか。上級生の目の前で気の緩んだ姿勢を見せられないのはどこでもあることですが……センパイたちのはたらきはとても強かった」
「篠原くんも……そうした?」
おそるおそる尋ねると、大樹は力のない動きで首を振って否定する。苦笑いをしながら。
「まさか。部長が率先してサボってどうするんです?」
皮肉的に大樹は言い放った。
「俺はちゃんと、毎回部活に顔を出しました。もちろん、部長として部員に色々と注意をすることも怠らなかったですけど……要領が悪かったみたいです」
それは暗に、上手くいかなかったことを表していた。
「みんなをまとめる、とか、ありふれた言葉ですけど実践してみるとここまで難しいものなんですね……。センパイもこれだけの苦労をしていたんでしょう?」
それに、答えることは出来なかった。
月夜が部長だったとき、そういうことで悩んだことは一度だってなかった。それは月夜の世代が恵まれていたからだろうか?
(違う……)
あの頃の同級生たちが、自分を見るときの視線を思い出す。みんな媚びるような、取り入ろうとしているような、あるいは妬みを隠していたような……そういうものだった。
そしてその原因は――
「………」
月夜は黙って前を見つめた。自分の姿が向こう側の窓に映っている。
綺麗だな……と自分でも思ってしまう。顔の造形が整っている。手足も長いし、肌は雪のように白い。欠点らしい欠点が見当たらず、完全に勝ち組の容姿だ。
月夜だって馬鹿ではない。自分が周りから好かれているのは月夜の人望ゆえではなく、その見た目が原因なのだと分かっている。それで苦労したこともなかったわけではないが、上手くいくことは断然多かったはずだ。本来参加資格のない大樹を決勝戦に出すことを認めさせたように。それで中学時代、大樹のような苦労をしなかった。
たまに、自分が普通の容姿だったら、と思うことがある。ただ今日は特にそれを強く願った。
自分の顔をぐしゃぐしゃに潰してみたい。体に永遠に消えない傷を残してみたい。
そうすれば大樹の気持ちがわかるかもしれないと思うのは歪んだ考えだろうか……?
「センパイ……センパイ?」
少し考え事をしてしまったせいで、大樹の呼びかけが耳に入らなかった。大樹は心配そうに月夜の顔をのぞきこんでいた。
「もしかして疲れてますか? センパイは色々な競技に出ているし、もし眠たかったら寝てしまってもいいですよ? 起こしてあげます」
「……大丈夫。続けて」
「まあ、そんなわけで、しつこく部活に来るように説得していたら反感を買ってしまって……ちょっと孤立気味になりました」
ひどい話だと思う。なんで頑張っている彼がここまで追い詰められなくてはいけないのだろう。
「陰では何かいろいろ言われているんだろうな、って勘付いていました。でもこういうやり方しか俺には分からなかったし、なんだかんだで、これまで一緒に頑張ってきた仲間を見捨てることもできませんでした」
それでいて彼は優しかったのだ。腐らず直向きに己を貫いているところは素直に尊敬する。
「でも状況は悪くなっていく一方で……。集合時間になっても部員が全然いなかったり、練習には全然身が入ってなかったり、片づけもずさんになっていきました。顧問からは、お前がしっかりしてないからだと怒られるし」
その頃の顧問のことは、あまり好意的に思えなかった。確かに教え方は上手いしそれで勝つことが出来たのも事実だったが……結果にしか重きを置いてなかったところもあった。
「そんなときです。バドミントン部が廃部になったのは」
今度こそ、月夜は信じられない思いだった。冗談を言っているのではないか、と大樹の顔をみつめるが、すぐに嘘ではないと理解できた。その瞳が潤み始めていた。
「部員の過半数……特に俺より下の世代が一気に辞めてしまって……見切られてしまったんです。おかげでさらに部活として機能しなくなって……ついには学校側から廃部を言い渡されてしまいました」
大樹は肩を震わせながら頭を下げた。
「本当にごめんなさい。センパイから託されたのに……センパイにとっても大事な場所だったのに……」
もう限界だった。
月夜は横から大樹を抱きしめた。
「え……」
「謝らなくてはいけないのは、私の方。引退してからも、君たちの様子を見ておくべきだった」
本来なら、そうするつもりだった。好きな人がその後どうしているのか、気にならないわけがない。だがその直後に大樹に彼女ができたと噂に聞いて……それで顔を出せずにいた。くだらない理由だと思う。その間に大樹がどうなっているかも知らずに。
「い、いや、それは仕方ないですよ! 受験もありましたし!」
大樹は何故だか焦っている。顔が赤いのも気にかかった。
「どうしたの?」
「ど、どうしたって……。あ、あの、ちょっと離してもらえないですか、恥ずかしいので!」
「誰もいないけど……」
運が良いのか悪いのか、月夜たちの車両には他に人がいなかった。
「そんなの関係ないです!! お願いです、恥ずかしすぎます!!」
……なんだろう。もう少し彼を困らせてみたい自分がいる。月夜は自身の頭を大樹の肩に寄り掛からせた。
「少し眠いわ。このまま寝させて」
「いやいやいや!? このタイミングでそれはないでしょう!? ……って、なんか寝息が聞こえるんですけど、ひょっとしてマジですか、狸寝入りこいてるだけですよね!? ちょっ、起きてー!!」
いつの間にか本当に眠ってしまっていたようで、気が付けばもう降りなければならない駅に到着していた。
何故か大樹は顔を両手で覆って隠していたが。
「ありがとう、起こしてもらって」
「まあ……そうするって言いましたからね……」
「どうしたの? 篠原くんも疲れた?」
「ええ、まあ」
なにやらぶつぶつと、「乗り込んでくる人、全員こっちを見るなりニヤニヤしていましたからね……」とか呟いているが、月夜には何のことかさっぱりである。
改札を出てしまえば、そこからは別方向の帰路だ。よって月夜の楽しい時間もここまでである。
「……それじゃあ、篠原くん。ここで」
名残惜しいが、別れを告げなくてはならない。月夜はそのまま歩き出そうとして――
「あ、センパイ」
大樹の声に呼び止められた。慌てて振り返る。
「なに?」
「それでも、俺、やっぱバドミントンが好きなんだなって思いました」
どうやら、さっきの話の続きのようだ。
「今日の試合は、本当に楽しくて……失った気持ちを思い出させてくれるものでした」
「失った気持ち……?」
「なんでだろう。あれだけつらい思いをしたのに、それなのに……今度は大丈夫かもしれないとか、考えてしまうんです。センパイがいるからかもしれないですけど」
何が言いたいのか、月夜にはいまいち呑み込めなかった。だが次に大樹が口にした言葉はその疑問を、そしてこれまでの不安を払拭してくれた。
「あの、俺……バドミントン部に入っちゃってもいいですか?」
大樹は照れくさそうに頬を掻いた。月夜の返答は速かった。
「も、もちろん! いいに決まってる!」
つい、大きな声が出てしまい咄嗟に口元を押さえた。大樹は苦笑していた。
「それで、次の部活っていつですか? 見学したいんですけど」
明日からゴールデンウィークとなり、大型連休に入る。月夜は部活の日程表を思い起こして告げた。
「明後日……四日にある」
「じゃあ、明日は暇ですか?」
「え、ええ……」
「なら……」
月夜が答えると、大樹は満面の笑顔を浮かべた。不覚にも心を奪われかけ――次の瞬間には完全に奪われた。
「それなら、明日買い物に付き合ってくれないですか?」
衝撃的すぎて言葉が出てこない。ついに幻覚を見てしまうようになったか。もしくは夢を見ているのではないか。こっそりと太ももをつねると、しっかりと痛かった。
「いや実はですね」
大樹は複雑そうな顔になる。言いにくそうに、
「バドミントン道具、一式処分してしまったんです。早計でしたね。それで新しく買いたいと思って……あ、あとラケットバッグも欲しいですね!」
だが最後には目を輝かせていた。コロコロと表情を変える彼を見ているのが楽しい。
「だ、駄目ですかね?」
断る理由が何一つとしてない。そしてそんな上目遣いに頼まれてしまっては、いよいよ頭がショートを起こしそうだった。
「だ、大丈夫。明日、どこ?」
「本当ですか!? ありがとうございます!! 新宿に行こうと思っていますけど、平気ですか? 時間はまた後で連絡しますから」
「ええ……」
「よし。それじゃあセンパイ、また明日」
そう言うと大樹は踵を返して去ってしまう。その後ろ姿を月夜はぼんやりと立ち尽くしたまま見送っていた。
(これって……)
休日に男女で街に出ることの意味は――
「っ……」
思わず両頬を叩く。が、どうにも効果はないようで、どうしてもにやけてしまう。こんな顔は誰にも見せたくない。早く帰らなくては。
と、そのとき大樹がこちらを振り向き片手を上げて大きく振った。それから道を曲がってしまい姿は見えなくなってしまう。
月夜は誰もいない歩道に向けてかすかに手を振った。
「……また明日」




