「どっちに転んでも」
ファイナルゲームは熾烈をきわめた。大樹の調子が戻ってきたとはいえ、疲れが溜まればショットの精度はがくっと落ち、ミスをすることも増えた。
だが、それはコートにいる全員がそうだった。それでも両チーム、声を出すことで相手にプレッシャーを与えたり自らを鼓舞していたりしていた。
『20-19』
先にマッチポイントを取ったのは、相馬・姫川だった。ここで落とすわけにはいかない。
相馬のサーブを大樹はヘアピンをした。シャトルは白帯のわずか上を通過したと思ったらそのすぐ真下にシャトルは降下を始めた。こういうショットで決まるのはラッキーである。
『20-20』
デュースだ。ここからは先に二点差をつけた方の勝利となる。上限は三十点。そこまで続く試合は今まで経験したことがないが、デュースは何度もある。とにかく集中しなければ。
大樹がロングサーブを打つと、まるで予測していたかのように相馬は後ろに飛びスマッシュを決めた。21-20。だが姫川の浮いたサーブを月夜がプッシュで取り、21-21。月夜のサーブを姫川がロブで上げ、大樹がスマッシュ。相馬が取り損ねて22-21。やっとこっちがマッチになったと思ったら月夜がサーブをミスして22-22。
まさに死闘だった。
お互いに譲ることなく、均衡を保ったまま、ついに29-28となった。
大樹は頭が真っ白になりそうだった。もう体力も限界に近い。しかも大樹たちは追い詰められていた。サーバーは相馬。レシーバーは大樹だった。ショートサーブを大樹はロブで後ろに上げ、姫川がクリアーで返す。大樹は渾身の力でスマッシュを放つ。が、姫川がそれをクロスドライブで返した。
「やっべ……」
体重は前にかかってしまっている。今からダッシュで追いかけられない。
前衛の月夜がそれをカットしようと手を伸ばす、しかしそれも届かない。
月夜と目が合った。二人ともあの球をどうにかする術を持っていなかった。あれがコートに落ちれば敗北が決定する――
「大樹!!」
「っ!」
はじかれたように、体は動いた。しっかりとした構えでは打てない。どう球を返すかなんて考えない。ただ夢中にシャトルを追いかける。野球でベースに飛び込むように滑り込んでラケットを伸ばす。体が床との摩擦で肌が焼ける感触があった。
床に倒れた状態から少し顔を上げる。シャトルが落ちていた。
「う、あ、ああ……」
あと一歩、だった。もっと早くから走っていれば間に合ったかもしれないのに。
「センパイ……」
大樹は泣きそうになりながら月夜を見ると、彼女も悔しそうに顔を歪めていた。
姫川がガッツポーズをしようとしたとき、
「アウト」
線審はそう告げた。
「え……?」
『29-29』
スコアが耳に響いた。そしてそれが間違いじゃないと理解したとき、大樹の体から力が抜けていった。どうやらシャトルはラインの外だったようだ。シャトルを拾い、起き上がったとき手足に痛みが走った。
「いたっ……」
手の平、そして膝を擦りむいていた。血がにじみ出ている。だが続行不可能ではない。
「! 篠原くん……」
大樹が怪我をしていることに気付いた月夜が静止をかけた。
「大丈夫です。ラスト一点。どっちに転んでもこれで終わりですから」
「駄目、そこまでしてやることじゃない。今すぐに止めるべき」
「でも……」
「おい、バドミントンはまだ終わらないのか!?」
その時突如、学年主任が乱入してきた。
「何をしている!? もうとっくに集合時間は過ぎているぞ!! 運営委員会は何をしている!!」
学年主任の怒号が会場に響き渡る。
壁にかかった時計で時間を確認してみると、なんと既に一時間も経過していた。バドミントンは、サッカーやバスケのように時間制限が設けられていないため、場合によって数時間もかかることがある。
「すぐに試合を終了させろ。それから片付けだ!」
ええー!! これからいいところなのにー!! と会場が抗議を起こしたが、学年主任は聞く耳を持たず、渋々生徒たちは解散となってしまった。
激闘の決着は、つかなかった。
本来、大樹に出場資格はなかった。それを無理に認めさせたのは月夜だった。よって大樹・月夜ペアは失格。相馬・姫川ペアが優勝ということになったが、二人はちっとも納得した様子ではなかった。
大樹は球技大会の閉会式に参加せずにそのまま保健室に向かい、怪我をした箇所に治療をしてもらった。大樹が戻る頃にはすでに閉会式は終わっており、教室に行くとほとんどの生徒は帰ってしまっていたのだが、
「ん? 大樹じゃないか」
そこには楓が残っていた。
「おう……。まだいたのか」
「うん。君のことが心配で」
「え!?」
「というのは嘘だが」
舌をちろりと出した楓はクスクスと笑っている。
……今すぐにでもかなたを呼んで、目の前の悪魔に然るべき制裁を加えたい。
「けっ、そうですか。まあ別に大したことなかったけどね」
右の手の平と膝を見せる。そこには絆創膏が貼られていた。楓は特に興味もなさそうにそれに一瞥をくれた。
「まったく。あんな終わり方、後味が悪すぎる。だいたいファイナルまでもつれこむなんて長すぎる。……君がさっさと勝ってくれないから」
「え、何? 応援してくれてたの?」
「そりゃあ、どこの誰だか分からない人よりは朝日先輩たちに勝ってもらって――」
「あ、えっと、そうじゃなくて」
楓の言葉を大樹は遮った。
「ずっと見ていたの?」
「へ?」
楓にしては珍しく、素っ頓狂な反応だ。
「結構長い試合だったし……、俺たちはもちろん真剣だったけど周りはそうでもなかっただろう? 途中で退屈になった人もいただろうし抜け出す人も見かけたよ。……でもお前は――」
へらっと大樹の頬が緩みかけたとき、唐突に楓は自分の鞄を手にするとそそくさと教室を出ていこうとする。
「え、ちょっと待てよ」
「うるさい。帰る。じゃあ」
静止を呼びかけるも、ずんずんと一人で進んでいく楓が止まってくれるような素振りを見せない。仕方なくその背中に一言だけ、
「ありがとうな!」
と言ったが、楓は後ろ姿を見せたまま手をあげただけだった。
まだジャージ姿のままだったので、更衣室で制服に着替える。
「明日は筋肉痛かな?」
あれだけ激しい運動をしたのは、それこそ中学の部活の引退以来だ。
瞼を閉じると試合のヴィジョンが蘇る。シューズと床が擦れる音、ラケットがシャトルを捉えたときに伝わる感触、そしてあの緊張感……。
やっぱりどうしようもなく、自分はバドミントンが好きなようだ。
「またやろうかな……」
更衣室を出て、玄関の靴箱でローファーに履き替える。夏が近づいているためだろう、午後七時を過ぎてもまだそんなに暗くない。正門を通り過ぎようとしたとき、人影にそこにあることに気が付いた。
「あっ……」
それは月夜だった。重そうなラケットバッグを背負っている。
「お疲れ様、篠原くん。怪我は大丈夫?」
「あ、お疲れ様です……、はい大丈夫です」
「ならよかった」
月夜は胸を撫で下ろした。
「それじゃあ、私はこれで」
「待ってください」
去ろうとした月夜を呼び止める。
「地元が同じじゃないですか。折角なので一緒に帰りましょうよ」
「!?」
ビクリと震えた月夜が、さっと大樹から距離を取る。
(あ、あれ!?)
どういうことだろうか。この反応は一体何だ。もしかして迷惑だったのだろうか。
「え、あ、あの……」
妙に歯切れが悪い月夜に、大樹は嫌な予感しか持たなかった。が、
「私でよければ……その……よろしくお願いします」
「え、いいんですか!?」
思わずガッツポーズをとりそうになった。
「う、あ……はい」
夕日のせいか、月夜の顔が真っ赤に見えた。




