「ファイトォォォ!!」
『それではこれより、バドミントンダブルスの決勝戦を始めます』
再び、会場が歓声で包まれた。対戦相手は大樹と同じく男女のペアであり、二人とも背中に『藍咲学園』と刻まれたユニフォームを着ている。
「朝日さん、芝崎はどうしたの?」
その対戦相手である男子が朝日にたずねてきた。身長は大樹とそんなに変わらず、大樹より先輩のはずだがその威厳が伝わらない。ただ妙な落ち着きがあり、部長職やまとめ役に向いていそうだという印象があった。
「さっきの試合で手首をひねってしまったので、保健室に連れていきました」
「なるほど」
すると今度は大樹を一瞥する。
「それで助っ人を呼んだわけか……。どうやら一年生みたいだけど、大丈夫?」
「彼は強いですよ」
と、月夜は自身たっぷりに宣言した。
(やめてくれー、ハードルあげないでー)
もう半年以上、バドミントンをしていない。体はなまっているはずだし、そんな状態で昔通りのプレーが出来るわけがない。そして仮に実力を取り戻したとしても現役の高校生に果たして通用するのか。
「へえ……」
面白いものを見つけたとばかりに男子生徒の目が細められる。
「経験者なの?」
「一年の、篠原大樹です。中学のとき、朝日先輩と同じくバドミントン部にいました」
「あ、そうだったの。……と、僕は三年の相馬遥斗です。よろしく」
相馬が手を差し出し、大樹はそれを軽く握った。
「………」
そこで気付く。相馬の手の平にはいくつもマメができている。相当な練習量を積んでいるということだ。これは手強いかもしれない。
「おーい、真琴! 君も挨拶しておきなよ」
びくっ、と女子生徒の体が震えたのがわかった。顔を真っ赤にして相馬を睨む。
「こ、こんなところで、名前で呼ばないで……」
真琴と呼ばれた女子生徒が大樹のところまで駆け寄り、少しだけ頭を下げる。大樹も慌ててそれに倣った。
「バドミントン部部長の、姫川真琴です」
ただ一言だけの自己紹介だった。大樹もさっき相馬にしたように自分の名を名乗る。
(へえー、この人が部長か……)
ただ失礼なことに、頼りなさそうに見えてしまう。相馬という先輩が部長だと思っていたのに。
「それにしても、朝日さんがいるとギャラリーの数が違うよねー」
周りを見回しながら、相馬が言う。
「? それだけバドミントンに人気が出てきたということでは?」
「自覚なしかー」
困ったような相馬はぎこちない笑みを作った。
「ま、いいか。とにかく、優勝は僕たちがもらうよ」
「そうはさせませんよ」
月夜は挑戦的な姿勢で答えた。
「勝つ以外、ありえません」
試合前にクリアーだけの練習を行うのは、中学の公式戦の時と同じだった。ラケットを振っていると、意外にも体が感覚を覚えていることに気付く。練習を終え、シャトルが大樹の手元に渡った。サーブは大樹。レシーブは相馬からのスタートだ。
ラケットを手の中でクルクルと回す。月夜からもらったラケットはグリップが太く、大樹としてはもう一回り細い方が扱いやすい。特にダブルスにおいてはラケットの持ち替えは勝敗を左右する要素の一つだ。だがこれでも十分にやれるはず。
『ラブオールプレー』
相手、線審、味方にそれぞれ一礼して、大樹は優しくサーブを打った。
だが、
「あっ……」
シャトルはネットを越えず、その真下に落ちた。
審判も少しばかり戸惑ったが、すぐに気を取り直し、
「サービスオーバー、1-0」
会場からの壮絶なブーイング。大樹は耳を塞ぎたくなるような思いに駆られたが、すぐに次のラリーの準備をしなければならなかった。
シャトルを姫川に渡し、月夜に謝る。
「す、すみません……」
「いい。久しぶりだからしょうがない」
改めて、試合が再開される。姫川のサーブを月夜はハーフコートに狙って落とした。しかもダブルスのサイドライン、ギリギリだった。
(上手い!)
後ろにいた相馬が飛び出しそれを拾う。しかし、甘い。ふわりとした柔らかい球だった。そんなチャンスを月夜が逃すはずもなくそれをプッシュで叩きつけた。パン! と気持ちのいい音がした。
『サービスオーバー、1-1(ワンオール)』
今度は歓声。一気に会場が盛り上がった。
「かっこいい……」
そんな言葉が漏れていた。その小さな呟きは誰にも聞こえていなかった。
昔からそうだった。月夜のプレーはいつもお手本のように上手くて綺麗だった。あんな風になりたいと思って、ずっとその背中を追いかけていた。
「よし」
両頬を叩き、気持ちを入れ替える。中学時代の教えを頭の中で反芻させる。
相手の頭がネットの下から見えるくらいに腰を落とす、いつでも打てるようにラケットは常に立てておく、相手のプレーを観察し、弱点を突き止める……。
「やってやる」
月夜のサーブで再び試合が続行される。
『11-8、インターバル!』
バドミントンでは、十一点になったときに休憩するための時間が一分間与えられる。ゲーム間なら二分。大樹と月夜のペアは三点リードで折り返した。
「篠原くん、疲れてない? お茶いる?」
お茶の入ったペットボトルを差し出された大樹は、ありがたくそれを受け取った。
「すみません、何から何まで……」
ゴクゴクと喉を鳴らす。体から汗が噴き出していた。
「はい、タオル」
「本当にすみません……」
タオルで汗を拭う。ちらりと月夜を見るとあまり汗をかいていなかった。疲れた様子もない。やはり日頃から鍛えているだけはある。
「やっぱセンパイは強いですね。向こうの部長たちはセンパイのショットが全然とれてないですし」
「普通にやっているつもりだけど……」
そうなのだろう。バドミントンの試合では身体能力以上に、心理戦が絡んでくる。月夜がそれに優れているとは思わないが、とにかくプレーの一つ一つのクオリティが冗談みたいに高い。中学時代も、それだけで周りを凌駕していた。
「このまま、一ゲームとっちゃいましょう」
「ええ」
だが、そう簡単にいくはずもなかった。次からの試合展開は大樹に対する集中砲火が行われたのだ。
「くっ」
相馬のスマッシュが突き刺さる。大樹はそれを根気強く返すが次第に甘い球になってしまう。後ろから前へ、相馬が詰めていく。返球しきれなかった。
『イン、15-12』
すっかり逆転されてしまっていた。あのインターバルから、月夜を狙う球は極端に減っていた。
「ダブルスじゃ、弱い方を狙うのは鉄則だよ」
「あまり好きじゃないけど」
相馬、姫川の弁。大樹が月夜に劣ってしまうのは仕方のないことだろう。ブランクがある。だが、その言葉に大樹はついカッとなってしまった。
「このっ……!」
バドミントンに関しての熱意なら、誰にも負けないという自負が大樹にはあった。安い挑発に乗ってしまったのも、普段の大樹ならありえないことだったが、思うように動けないことが焦りを生み出し苛立ちに変わっていった。
『21-16』
修正する余地もなく、第一セットをとられてしまった。
「くそっ」
奥歯を噛みしめる。ラケットを強く握りしめた。
(どうしたら勝てる……?)
相馬・姫川の二人は付き合いが長いせいか、ダブルスの動きが出来上がっている。トップアンドバック、サイドバイサイドの展開も申し分ない。加えてこちらの動きはチグハグだ。一つしかないシャトルを二人で追いかければ当然スペースが空いてしまう。それも失点の原因になっていた。
加えて――
「ねえ、あの一年下手くそじゃね?」
「ホント。朝日さんの邪魔ばっかりしてる」
「さっきなんか、朝日さんにぶつかりかけてたし」
会場の声がやけに聞こえてくる。わかっている、相手ではなくギャラリーに熱くなってはいけない、雰囲気に呑まれてはいけない。目の前の相手だけを見ていればいい。わかっている。でも――
(わかっている、けど……!!)
「篠原くん」
そのとき、大樹の肩に月夜の手が優しく置かれた。おそるおそる、ぎこちない動きで月夜の姿を捉える。
呆れていると思った。怒っていると思った。失望されたかと――
「っ!」
そんなことは全然なかった。
何故なら、目の前の少女は笑っていたから。
「大丈夫。あなたはあなたのプレーをすればいいから」
「俺の……?」
「あんな速い展開、無理に合わせる必要はない。ギャラリーも関係ない。以前のあなたみたいに、ゆっくりじっくり攻めていけばそれでいい」
それと……、と月夜は続けた。
「私たちはダブルスだから、一人で考え込まないで。困ったら私を見て。次からはどんどん声をかけあうから」
一度、月夜は大きく息を吸い込んだ。何をしているのか、いまいち分からなかったが――
「ファイトォォォ!!」
それは誰の声だったのか。
会場は一気に静まり返った。さっきまでの熱気が嘘のようだった。
一番に硬直が解けたのは相馬たちだった。
「今……朝日さんが、声を出した……?」
「……うん、多分。勝負所にはあんな感じで声を出していた気がするけど……」
どよめきが、拡散していく。
あの無口で冷静沈着な朝日月夜が、こんな大声を出せることを一体誰が信じられただろうか。大樹ですら、こんな月夜はあまり見たことはない。
『せ、セカンドゲーム、ラブオールプレー』
主審も驚きを隠せない。相馬からのサーブで試合は始まる。対角線にいる大樹に向けてシャトルは放たれた。
(センパイ……)
さっきのは、自分への激励だったのか。びっくりしすぎて、体がまだ震えてしまっている。しかし、それが心地いいと思っている自分がいることに大樹は気付いている。
さっきまでの自分は熱くなって、むしろ体が硬くなり視野も狭くなっていた。
今なら見える。相馬も、姫川も、後ろにいる月夜でさえ――
向かってくるシャトルに、大樹は飛び出した。相馬は体の前にラケットの面を用意した。
(ドライブかな……)
第一セットのプレーで、大樹はサーブレシーブにはドライブを多用していた。次に打つショットが予測できるなら、返球するのは簡単だ。
だが、大樹のラケットがシャトルに触れる寸前、そのラケットの面の向きがくるっと回転するのを相馬は見た。
「え?」
コートにシャトルが落ちている。点を決められたのだ。
だが落ちている位置がおかしい。大樹が飛び出していった――その反対側だったのだ。
「クロス、ヘアピン……?」
茫然と姫川が呟いた瞬間、
『う、おおおぉぉぉおおっ!?』
すごい、なにあれ、うまい、数々の声が上がる。
そう、これが全盛期の大樹の武器だ。大樹はフェイントショットが得意だったのだ。相手の体重がどちらにかかっているかを見極め、その反対に返す。
『サービスオーバー、1-0』
「センパイ、お願いします」
シャトルを渡す。その際、月夜は一言だけ、
「ナイスショット」
と言った。
月夜がロングサーブを打ち、少し反応が遅れた姫川はクリアーを打った。
「篠原くん!」
言うまでもなく、それを追っていたのは大樹だった。十分に落下地点に間に合った。ドロップを打つ。速さはないが、相手を前に誘い出すためのショットだ。サイドに展開していた相馬・姫川はそれを無難に返した。再び、ドロップ。相馬がそれをロブで返し、三度大樹はドロップを打った。
試合展開に変化がなくなっていた。痺れを切らした相馬と姫川は、今度もドロップが来たら上から叩くつもりでラケットを立てた。
と、そこで大樹は大きく跳躍した。リアコートで飛ぶ理由はいくつかあるが、ここではおそらく――
(スマッシュか!!)
二人はラケットを下に構え、万全の体勢で臨む。それを見た大樹は、
「違いますよ」
ドロップを繰り出した。
「なっ!?」
まずい、と相馬は思った。完全にスマッシュだと思い込んでいたので、ドロップを取るには体勢が悪い。しかも打点が高いせいで通常のドロップよりも角度が鋭い。
「真琴!!」
「わかってる!」
爪先で床を蹴り、前に飛び出した。ギリギリでシャトルには届いた。しかし、
「相変わらず巧いわ、篠原くん」
ずっと前にいた月夜がそれをすかさず押し込む。
『2-0』
月夜は大樹のラケットに自身のそれを当てた。
「ナイスです、センパイ」
「君も」
ここから、比較的に大樹たちのペースで試合は進んだ。大樹が揺さぶり、崩す。月夜が決める。部の中でも一、二を争う実力を持つ二人に、大樹たちのダブルスは通用していた。
『21-12』
かなりの点差で第二セットを制した。これでファイナルに突入できる。ここで勝った方が優勝だ。ファイナルにまでもつれこむ試合は中学でも滅多になかった。さっきから体が熱い。
「大丈夫? 疲れてない?」
月夜が心配してくる。
「全然! センパイこそ大丈夫ですか。さすがに汗がすごいみたいですけど」
「こんな激戦、なかなかないわ」
汗をタオルで拭き、お茶を飲み干す月夜。ふと視線を相手コートに向けると相馬たちも肩で息をするほどに疲労していた。
ここからは、一点が重くのしかかってくるだろう。ここまでほぼ互角に戦っている。少しでも気が緩んだ方が負けることは明白だった。




