第四節―――「慈愛」-Angel No.3-
これこそ百合。バブみのある師匠と弟子の百合だぞ。
涙を流して感激せよ()
私が「正義」の試練を終え、試練の間から追い出された、そのあとのことである。
この霊廟の構造だとか部屋の配置だとか、そういうものがあまり理解できていないために、ここをさまよい続けていた。さっきみたいにお迎えが来ないことは悲しいことである。
「ん? あれ? ここさっき来たような……なるほど、そういうことね」
そしてぐるぐると霊廟を回っていることに気付いた私は、何か手掛かりを得ようと、霊廟の回廊を先ほどとは垂直の方向に曲がる。すると、そこにあったのは最初に霊廟を訪れたときに広がっていた黄金の広間であった。
「よし、抜け出せた!」
私は、あのぐるぐる廊下から抜け出せたことに対して言いようのない安堵感を覚える。やっぱ人の恐怖ってのは終わらないこと、に対して覚えるもんなんだよなぁ!!
そして、一段落した私は黄金の広間の中央にそびえたつ、一本のザクロの木に背を預け、少し座ることにした。どこから差し込んでいるのかは全くの不明であるが、まっすぐと差し込む一筋の太陽がとても眩しくて、温かい。これまでの戦乱で張りつめていた緊張の糸を解すようである。
少し春うらら然とした穏やかな陽気に、眠くなる。ぷつり、と何かが途切れるように、私は意識を手放してしまった。
―――……? なんだ? 歌声が聞こえる。優しい、絹をなでるような声。昔、母がよく歌ってくれた讃美歌。もういなくなった、母親の面影を、目の前に投影する。
「……おかあ、さん?」
そう呼びかけると、歌声の主はその歌を止めてこちらを覗き込む。
「あら、起きたのですね。よかった……死んでしまわれたのではないかと、少し心配したんですよ? 求道者ちゃん」
寝起きのぼんやりとした頭に、彼女の凛とした、しかして川のせせらぎのように清らかな声がダイレクトに突き刺さる。
どこか聞き覚えのある声と顔。
「あんたは……」
「む、あんたという呼び方は癪ですが……寝起きですし、仕方ありませんね。では改めて、求道者ちゃん。私はイスラ―フィール。『慈愛』の担当者です」
その名前に、びくりと反応して、私は身体を起こす。
「い、イスラ―フィール様! す、すみません失礼なことを言ってしまって……」
「いえ、気にしてはいません。……むしろ、失礼だっていうことをちゃんと謝れるのは良いことです。えらい、えらい」
そう言って、イスラ―フィールは私の頭をなでる。……すごい、いと母性溢るる者ありけり。
それが少し気恥ずかしくて、私は目を伏せる。
「あら、恥ずかしがっているのですか? かわいい」
「か、揶揄わないでください! それよりも早く『慈愛』の試練を……!」
私が抗議しようとすると、イスラ―フィールは私を抱きしめる。「むぐぅ!」と、抱きしめられたことで、彼女の豊満な胸に顔をうずめてしまう。苦しい、窒息するわ。
「いいえ、まだいけません。あなたは、心身ともに傷つきすぎている」
「ん……ぷはっ! そんなことは……決してありません」
「……では症例を言いましょうか? まずジブリールの試練で得た脳挫傷の後遺症。そして先のミーカーイールの試練で負った数多の切り傷。そして、魔神となったことによって得た知識により、それを理解しようとした脳の一部が機能不全に陥っています。このままでは、数時間後には廃人となって死に至るでしょう。あなたが眠くなったのも、それが原因です」
「……それじゃあどうしたら……」
「簡単な話です。私がゆっくりと回復魔術を回しますから、あなたはじっとしていてください。できますよね?」
その甘い、脳髄までとろけてしまいそうな貴い声で、私をあやすように。その言葉に、私は当然のように―――
「……はい……」
と答えた。まるで当然かのように。―――子供が、母親の指示に従うように。
私は目を閉じた。……その間に、ゆっくりと身体を撫でるように駆け巡る魔力の流れ。それと同時に、背中を撫でながらイスラ―フィールが「大丈夫ですよ~」と私をなだめる。
不思議と屈辱は感じなかった。そして―――あの撫でまわすような感覚が終わる。目を開けたとき、私は我に戻った。
「……はっ! い、イスラ―フィール様! 申し訳ありません! 不敬でした」
「いえいえ、私がやりたかっただけなのです。あなたが謝る必要などないのです。……あなたが、傷つく必要など、一つもないのです」
そう言いながら、イスラ―フィールはその空色に光る双眸を涙で滲ませた。まるで我が子の不幸を悲しむ母親の様だ。……さっきからずっと私はイスラ―フィールに母性を感じてばかりだ。
「ですから、私の試練は―――『慈愛』の試練は、あなたに傷一つつきません。ただ、愛を以って決断を下すだけ。それで終わりです」
「……そんなことでいいんですか?」
「ええ。では……今すぐにやりますか? 私としては、求道者ちゃんにはもう少し休んでいてほしいのですが……」
「いいえ。すぐにやります。これ以上は―――私が堕落してしまうような気がする」
私は、彼女の誘いをきっぱりと断った。このままであれば堕ちてしまう、と感じたから。それほどまでに彼女の愛は深く……泥沼のように、底が見えない。
だから、私は「慈愛」の試練を受けることにした。
「むー……そうですか。では、行きましょうか」
そう言うと、彼女は私の目の前に手をかざして、下げる。すると、そこには一つの扉があった。豪華絢爛な石造りの扉、あるいは太古からそこにそびえ立ってきた古き門のようなものではなく、ただの白い木造の扉があった。否、扉というよりは戸と言った方が正しいか。それほどまでに、覇気がない。
イスラ―フィールはその戸をごく自然に、自分の家へ帰るかのように、自然に開け、中に入っていった。おおよそ試練に挑むという雰囲気ではない。
ただ、その眼には涙が浮かんでいた。
……その戸の中に入ると、そこには二つの墓標があった。その墓標には名前が刻まれていない。ほかに何かあるのだろうか、と周りを見渡してみるも墓標以外に何もない。……何の意味があるんだろうか?
墓標を観察してみる。すると、後ろ側に小さな扉があるのに気が付いた。私がそれに気が付いたことを察したのか、イスラ―フィールはその扉を開けた。
「では、試練を始めます」
そう言いながらイスラ―フィールは扉の箱の中のものを取り出した。……それは、二つの白い人形であった。ちぐはぐで、縫い目だらけで、他には何もない、シンプルな人形。それが場に似つかわしくなく、逆に恐怖心をあおる。
彼女はそれを見ながら話を続ける。
「この試練は簡単です。こちらの人形のどちらかを選択するだけです。愛を以って、慈愛を以って―――自分の慈悲に従って、未来を選ぶのです」
「……説明が足りないのではないでしょうか?」
「それはなぜ?」
「まさかこれだけとは、到底思えない。『忍耐』も『正義』も、絶対に生半可なものではなかった。そうなら……本質的に、『慈愛』にもそれほどのものがあると考えるのが自然でしょう?」
私に対して意図的に説明を省いたことに対して怒りを感じながら、イスラ―フィールに向けて口を開く。……つい敬語を外してしまうほどに。
「そうですね、説明が足りませんでした。……では、失礼して。魔術、発動させていただきますね。―――『妖天魔術・囚え是、裁かんと欲す』」
するとイスラ―フィールは突如として『妖天魔術・囚え是、裁かんと欲す』を発動した。……だが、私はその効果を知っている。魔法科の課題で『妖天魔術』について調べたことがある。それは―――
「……あんた、誰の魂を縛った! 誰を苦痛に縛り付けているの!」
私がそう叫ぶとイスラ―フィールはにこり、と聖母のように微笑みながら……その淀んだ眼を細めた。
「そうですね……あなたの大切な、愛の深い二人。―――クロム・アカシックとフランソワ・カリオストロですよ」
彼女は―――そんなことを平気で口にした。




