第五節―――神の癒し手
僕は好きだ。あの上位存在独特の価値観。自分がやられるとマジ、こいつ……! ってなる。
「―――あんた、誰の魂を縛った! 誰を苦痛に縛り付けているの!」
私がそう叫ぶとイスラ―フィールはにこり、と聖母のように微笑みながら……その淀んだ眼を細めた。
「そうですね……あなたの大切な、愛の深い二人。―――クロム・アカシックとフランソワ・カリオストロですよ」
彼女は―――そんなことを平気で口にした。
私がその言葉に激情を覚えるのだって、予想できることだった。……あれほど「怒り」という感情が湧き出てきたのは、後にも先にも私の人生でこの試練が最高であるのだろう。
「あ、あんたねぇ! 私が絶対に怒るってこと知っててのことなの?! あんたそれでも『天使』ってやつなの!?」
「ええ。私は確かに『四大天使』の三番目。天使ですよ? だからあなたに、こんな……悲しみや怒りを感じさせたくなかったのに」
その言葉で―――私は、本当の「憤怒」を覚えた。私の身体から赫い、鮮やかな赤の靄が滲みだす。これは、憤怒の波動。
私は人生で一番強い、カナリアもどきと戦った時よりも強い力でイスラ―フィールの首を締めあげていた。
ぐぐぐ、と腕に強い力が入り、頚椎がきしむ音が聞こえる。
「……苦しいです、離してください。私を誰だと思っているのですか? ……私を、舐めているのですか?」
「舐めているのはそっちの方だ! 口を開けばさっきから私を守るだの傷つけないようにだの……私を一介の求道者と同じ、力のない存在に見てるじゃない! それが、なめてるって言ってんの!」
「……? だって事実じゃないですか。私がその気になれば小指ですりつぶせそうな小さな、弱い命……それを守りたいと思うのは、悪いことなんでしょうか?」
話が通じないやつ!
私は心の中で悪態をつきながらイスラ―フィールの首を絞める力を強める。だが、イスラ―フィールはただ苦しいと口で言うだけであって、全然苦しそうには見えない。……やはり単純な物理攻撃は通じないのか。
そう思って、私は手を放す。すると、持ち上げていたイスラ―フィールの体が落下せずにその場にとどまっていた。
「あ、あんた……!」
「ん? ああ、手を離したのですか。そうならそうと言ってくれればいいのに」
そう言うと同時にイスラ―フィールは地に降り立つ。……どこまでも、コケにして。私をただの求道者と見るだけでは飽き足らず、私がイスラ―フィールを持ち上げようとする動きに合わせて自らを空中に固定するとか……はらわたが煮えくり返るとはこのことか。
「……それで? あなたはどちらを選ぶのですか? クロム・アカシックとフランソワ・カリオストロと」
「ほかの選択肢は……」
「ありません。もし他を選べば、あなたの魂が代わりに無限の苦しみを味わうことになります」
くっ、どちらにしろ私はクロムかフランソワかを選ばなければならないのか……。どちらかが選ばれれば、どちらかが永久の苦痛にもだえることになる。なってしまう。私の最も信頼する二人……平等に友愛を感じていたことが、今アダになっている。
つぅ、と輪郭を汗が伝う。それも、少し重い、嫌な汗が。私のことをじっと見つめてまだかまだかと決断を待っているイスラ―フィールが、まるでそこにあるだけの無慈悲な断頭台のように見えてくる。慈愛とは何だったのか。私が思い返すに、イスラ―フィールの行動すべてが「人類」という視点から見ると「慈悲」や「憐憫」は溢れていても、まったくと言っていいほど「尊敬」という感情がなかったように感じる。
それも私の勘違いかもしれない―――やはり上位存在の価値観は人間にはわかりかねる。
考えろ、二人が助かる方法……あの大事な二人を、傷つけないためにできることを! 私はどうなってもいい、だから二人だけでも助ける方法は……
「あっ」
私はふと思い出した、イスラ―フィールが言っていた言葉を。
『愛を以って、慈愛を以って―――自分の慈悲に従って、未来を選ぶのです』
そして、先ほど語った言葉を。
『もし他を選べば、あなたの魂が代わりに無限の苦しみを味わうことになります』
そうだ。私が選ぶべき正答、この少ない選択肢の中で唯一生きて輝けるもの。それは―――
「分かった。―――私が、その苦しみを背負う」
「……正気ですか?」
「正気よ。あんたが言ったのよ、『愛を以って、慈愛を以って―――自分の慈悲に従って、未来を選ぶのです』―――って。だから、私は自分の意思を持って、慈悲に従い、この未来を選ぶ。そこに、例え永遠に終わらない苦しみがあったとしても、私の愛する人たちがそれを負わなくていいのなら迷いなく背負うことを選ぶわ」
聖典の第三章の『聖人列伝』、その中の一人に〝救世の者〟のエピソードがある。それの最後はこの世にはびこるありとあらゆる罪を背負い、昇天した。それと比べるのはとてもおこがましいことではあるだろうが、かの者と同じ末路をたどれるのならば、求道者としてこれ以上の幸せはない。なぜならばそれは自らが模範とする聖典に記されるほどの高名な聖人と同じ道をたどれるのであるから。
私の覚悟は決まった。蕩けるほどに甘かったイスラ―フィールの声も、今では私の理性・覚悟を融かすことはできないだろう。目の前に悠然と立ち尽くしている無機質な断頭台―――否、絞首台をじっと見つめる。
その目線に気付いたのだろう、イスラ―フィールはやれやれと言った感じで額を手で押さえながら困ったようなジェスチャーをする。
「本当に正気だとは。……ま、いいでしょう。それがあなたの結論だというのならば、私は審判としてその決意を認めるだけです」
そう言うと、イスラ―フィールは人形から二つの光る玉を抜き取り、それを縛っていた鎖をジャラジャラと外し、その玉たちを天へ放した。
玉たちはふよふよと、まるでドラゴンが天へ上るように浮かんでいく。
そして、その鎖を私の方に向ける。
「来なさいよ」
「では、悲しいですが……あなたの選択ということで尊重させていただきます。『妖天魔術・囚え是、裁かんと欲す』」
イスラ―フィールが持っている鎖が私の方へ勢いよく伸びていく。そして私の中の最も重要な部分―――魂に、それが巻かれた。瞬間―――
どくん。
勢いよく心臓が跳ねる。それと同時に反射的に後ろへ跳ねてしまう。なにがここまで私を突き動かしたのかはわからなかったが……答えはすぐに示された。
―――死への恐怖。
それもただの死の恐怖ではない。魂が縛られるということは、永久とも思える時間を苦痛とともに過ごし、物質的な脳がないため狂いたいのに狂えず、それでも知能があるがゆえに苦しみを感じれてしまう空間で最終的に魂が摩耗しきった末の「次」もなければ神の国へも行けない〝最悪〟の一種とも言える死を迎えることになるのだ。
だが、それを感じたところで『妖天魔術・囚え是、裁かんと欲す』はすでに私の魂を捕らえて離さない。
そしてイスラ―フィールが手を伸ばし、魔術発動のトリガーを起こそうと手を閉じる―――その瞬間に急にイスラ―フィールは魔術を解除した。それと同時に鎖がほどけ、私の魂は解放され、同時に私は安堵を得る。
死への恐怖から逃れられたことで脳は信じられないほどの高揚感に包まれ、呼吸は荒くなる。
しばらく死の恐怖から帰ってきた余韻に浸っていると、次第に冷静さを取り戻してきた。
「はぁ……はぁ……な、なんで、魔術を解除したの……?」
「なんでって……そりゃあ、試練を突破したのでこれ以上苦しめるのはお門違いですし。私としてもこれ以上あなたが死の恐怖、その先にある〝最悪〟におびえる様子を見るのは心が痛むので」
イスラ―フィールは私が放った疑問に対してそうさらっと答えた。続けて、イスラ―フィールは言う。
「それに、あの人形の中に入っていたのはそもそもあなたがの最愛の人たちではありません。ただのそこらへんに漂っていたもはや自意識すら保っていない小亡霊です。しかしまあ、あなたが慈悲を持たずにどちらかを選んでいれば、私はどちらか一方……いや、どちらも捕らえて永遠の苦しみに沈めるところでした」
その言葉を聞いた瞬間に、私はぞっとした。
あの時あの選択をしていなければ、今頃クロムとフランソワは死を迎えるよりもつらい、否、比べるのもおこがましいほどに苦痛に満ちた罰を受けていたのかもしれない。そう考えると、身も凍る思いだ。
「で、でもこれで……」
「はい、『慈愛』の試練は突破となり、最後の試練へ赴くことになります。最後は『冥想』の試練。恐らく『正義』の試練よりかは容易でしょうが、それでもあなたが〝気づかなければいけないこと〟に気づけなければ絶対に突破はできずそこで性根尽き果てるでしょう。
―――ですが、あなたなら突破できると信じています。なんたって……」
イスラ―フィールはくいっと指を振るう。すると、それと同時に「正義」の試練の最後に受けた力と同じ感じの力を受け、試練の間の出口へ強制的に移動させられる。
「うわああああ! またかよおおおお!」
そして扉が閉められる直前。
「あなたは、ちゃんと『愛』を知る人ですから」
そう、言っているのが見えた。
この作品の精霊信仰はいわゆる「アブラハムの宗教」と呼ばれる宗教の部分部分を抽出して、そこにアーサー王伝説とかその他もろもろ素敵なものをいっぱい入れて再構成したものだと思ってください。なおこれとは別に救世主信仰とかいうものもある模様()




