第三節―――神に似たるもの
「よし、行くわ。……ラウンドツーよ」
私がカナリアもどきにそう宣言すると、それは少し口角を上げた―――ような気がした。
その宣言に感化されたのか知らないが、カナリアもどきは、剣を引き抜く。……それは、今まで見たことがない、ただの、普通の剣だった。
……舐めているのか? いや、いい。今は好都合! こちらも、〝般若波羅蜜多〟、〝菩提薩婆訶〟で対抗してやる。
「……」
静寂が続く。空間に、緊張が走る。今にも逃げ出したい、そんな弱気な気持ちに襲われる。相手は、あの身体能力最強の、魔族と単体で渡り合う人類側の怪物、カナリア・エクソス。そのほぼすべてを再現した、生命体。
それと打ち合うと考えただけで、手が震える。
そして―――
(くるっ!)
カナリアもどきが動き出した。一瞬にして神速と言えるほどの速さで距離を詰めてくる。それはまさに、伝説上の武道家が習得しているとされた「縮地」という技術に似ている。
だが、魔力で身体を強化していたおかげで、そのスタートを見切ることができた。
初撃の突きをかわし、私は右手に握っている〝般若波羅蜜多〟をたたきつける。
「!」
おそらくは初めてのダメージ。……否、彼女が師匠と呼ぶ、今は亡きエクター二世を除く人類から受けた久々の痛みであるのだろう。
だが、それをものともせず、カナリアもどきは空いている左手を剣と私の身体の間に滑り込ませ、裏拳を薙ぐ。
「くっ!」
その裏拳の威力はすさまじく、私はコロシアムの石壁まで吹っ飛ばされる。
だが、その数瞬後にはもはや私の目の前まで迫っていた。……おおよそ、人間の肉体能力だとは考えられない。確かに聖人ではあるが、もはや『四大天使』と同じ天使のような上位存在なのではないだろうかとすら思える。
しかもこれはカナリアもどき。本物のカナリア・エクソスはこれ以上であると考える方がいいだろう。
……それゆえ、私でもまだ抵抗できる可能性がある!
「うおおおおお!!!」
動体視力を総動員し、その剣戟の軌跡を追いかけ、刃にナイフを当て、止める。
そして―――神速の、打ち合いが始まる。
カナリアもどきが両手剣を高速で片手で振り回す(?!)という暴挙を行いながら、私を切り刻もうと躍起になっているようである。
それに対して、私は〝般若波羅蜜多〟と〝菩提薩婆訶〟を両手剣に当てることで威力を相殺し、その中で相手の隙を狙う。カナリアもどきの振り回す両手剣は一撃一撃に成人男性一人分ほどの重さが乗っており、それが純粋に伝わってくる。身体強化と持っている武器が〝神代の礼装〟であったことでそれに対抗することが可能になっている。……改めて化け物だな、こいつ。
右、左、袈裟切り、燕返し、押しつぶし、突き、袈裟切り、左、押しつぶし、突き、右、袈裟切り、燕返し……無限とも思える剣戟を必死で捉える。
視野は狭く、耳鳴りは酷く、鼻血が止まらない。すべてを、カナリアもどきの剣戟をとらえるための演算領域として使用する!
もっと、もっと速く。もっと、もっと力強く! 近づけ、神域へ。現行人類の頂点、その模倣品でさえ到達できるのだ。少し傲慢かもしれないが、私が到達できない理由はない! 手をかけろ、神域の頂点へ!
―――視界が、真っ白に染まる。
なにも、かんがえられない―――
―――だが、その白痴の安寧は、唐突に、そしてあっけなく晴れた。
それと同時に、情報の雨が降り注ぐ。
(なに、これ……?)
脳髄が、情報で埋め尽くされていく。下手に神の域に近づいた代償なのか、物量が多すぎて処理しきれない。資格がない、みたいな状態なのだろうか。
……多くの情報は捌ききれずにそのまま忘却という名の蔵にしまわれてしまったが、ただ一つ、残ったものはある。
私が求めていた、魔素の全て。
そして、私は現実に戻る。否、引き戻される。
「……ぃっ!」
魔神として再臨したと目される私なのだが、その目の前には鋳型にした偽の神が迫っていた。手には先ほどと同じようなロングソードを持ちながら。
神の如き刺突。だけど……
「今は、全部見切れる」
私は、二本のナイフを手に、その全てをはじき返す。前みたいなドジはしない。そう、文字通りすべてだ。追加の傷一つなく、私はその全てをいなし切った。
それが予想できなかったのか、カナリアもどきは驚愕の表情を浮かべ、理解に苦しんでいるようである。
「……あんただけが、最強とは思わないことね」
身体に満ちている全能感。それに流されるまま、私は啖呵を切る。
その喧嘩を買うように、カナリアもどきは持っていたロングソードを地に落とす。……そして、何もないところからカナリアがブリテン島で使っていた〝六業剣〟妖翼の双剣と呼ばれる双剣を取り出す。
「やっと本気ってわけね」
目の前に立っているだけで肌がびりびりと震えるような覇気を浴びながら、私もそれに応えるようにどぷり、と思考の海につかり、自分の体内に集中する。
魔力回路、その中に存在する魔力に、大気中に存在する魔素を結合する。これにより、人工的に魔素の偶数置換を再現する。そして―――正属性の魔力が完成する。
それを、〝般若波羅蜜多〟に流し―――性質を反転させる。そして完成するは、最も危険な対人魔剣。
刃に触れるだけで人体に流れる魔力を分解し、一瞬にして連鎖的に分子間力を著しく弱める。
「やってやるわ。この一撃で決めましょう」
はねのけたカナリアもどきに対して、私は歩み寄る。
カナリアもどきも、私の歩みを感じてその双剣を提げながらこちらに歩いてくる。
互いに、互いを見つめる。それはただ見とれているわけではない。―――どの関節から動くか、観察するためである。
そして―――
「……はッ!」
私が最初に駆け出し、そのあとからカナリアもどきが駆け出す。そして―――一瞬のうちに、無詠唱で私は『系統別魔術:紛暗魔術・斬り刻む、其は聖義―――変則変換、天使へ』を発動させ、世界から消える。
とぷり、と自らを小宇宙と見立て、この世界に紛れる。『系統別魔術:紛暗魔術』とは、そのような魔術である。
存在を隠したまま、私はカナリアもどきに接近する。そして―――私は再び世界に存在を証明した。
『系統別魔術:紛暗魔術』は、そのままでは現実世界に干渉できない。だから相手を殺すときには、姿を現せなければいけないのだ。
カナリアもどきから一メートルほど背後に回った私は、跳躍して背中からカナリアもどきを狙う。
背後は取った。あとはこの右手のナイフを―――振り下ろすだけ!
だが、カナリアもどきはそこで終わる器ではなかった。
「な―――」
「―――剣技、解業。〝六業剣〟妖翼の双剣、一の業〝無間の堕天〟」
最後の一撃として、カナリアもどきはあの妙技―――一の業〝無間の堕天〟を発動させた。六撃の死が、私の目の前に降りかかる。
それは鮮明に、先の死の予感をよみがえらせる。
ブリテンにて体験した、強い死の予感。何度も、何度も。死ぬかと思った。
今の私は、結局のことろ、こういう強いやつらと直接対峙していないから、奇跡的に運命の歯車がかみ合っているだけであって、実際はもうこの世にいないほど弱いんじゃないかと、思う。
―――だが、それが逆に、この霊廟に立ち入った初心を思い出させた。
そうだ。
「私は、こんなところで、死ぬために来たんじゃあない!」
そう言って、私はその全てを見切り―――カナリアもどきの心臓に深く深く、反転させた〝般若波羅蜜多〟を突き刺した。その瞬間、カナリアもどきの身体には亀裂が入り、ガラス細工、あるいは陶芸品のように簡単に割れて、散ってしまった。
そしてその破片は、光の粒子となって消えていく。
「……はぁ、終わった……!」
私は、打ち勝った。自らの思う最強に、打ち勝ったのである。
そして、上からミーカーイールがダイナミック着地を成功させ、降りてくる。
「うむ、よくぞ、よくぞ理想に打ち勝った! あれこそが貴様が求めていた力、すなわち正義である! あれを打倒したということは、貴様は自らの正義を、自らの力で押し通すことが可能になったということだ。うむ、実にあっぱれ!」
「……それ、『正義』をつかさどる天使の発言としてどうなんです?」
「何がだ?」
「私が正義を力で押し通すことが可能になったってとこです! こういうのって、神のみが正義、みたいな話じゃないんですか?」
その問いに、ミーカーイールは笑って答える。
「ああ、そのとおりだ。基本、我は神のみが正義というスタンスでやっているが……それが本当に『真理』と呼べるものなのか、というものはまだ議論の余地があってな。例えばほら、聖典の中で悪魔より神の方が人類や魔族を殺害した人数が多い、という話があるだろう? それは正しいのか? 倫理にのっとっているのか? 求道者よ、貴様はどう思う」
「……神がそうするのがよいと判断されたのなら、それが最適解なのでは」
「無論、そうではある。だが、世の人類の中にはこれが正義ではない、と考える者も数多く存在する。それゆえ、〝幾星霜〟の世が終わり、〝世界〟の管理権が神秘から人類へ移行した今、本当に神の行いは正義と呼べるのか。これは、そういう問いなのだ」
そう言い終わると、ミーカーイールは指を振る。
すると、私は不思議な力によって闘技場の外に引きずり出されていった。
「え、ちょ!」
「では、これにて『正義』の試練を結果を合格としたうえで終了する! 次の試練も、気張って行けよ、求道者よ!」
私が試練の間から完全につまみ出され、扉が閉まる前に、ミーカーイールは満面の笑みでそう言った。




