第二節―――「正義」-Angel No.1-
「来たか。存外に早かったな、求道者よ」
「……マジか」
四大天使一番、『正義』の美徳をつかさどる天使であるミーカーイールが、そこに毅然とした態度で立っていたのである。
「マジかとはなんだ。我は早く来ることも見越して待機しておったのだ」
「……ありがとうございます」
「声が小さい! それは、正義にかなっていない!」
「ありがとうございます!!」
「よし!!! では行こう。次の『正義』の試練へ」
まさかの異世界でいうオラオラ系とか体育会系ってやつ? 確かに正義と言えば私の中では炎のイメージがあるとかないとかだけど……ここまで激しい物は望んでいない。なんなら裁判官とかそんなイメージだった。ミーカーイール天秤持ってるし。
そんなことを考えていると不意にミーカーイールが話しかけてくる。
「そういえば、求道者よ」
「はい!! なんなりと!!」
「ふっ、威勢がいいな! では少し気になったことがあるのだが……」
何が来る?!
「……我って、怖い?」
「へ?」
「我は怖いか、と聞いているのだ」
「い、いえ!! 滅相もありません!!」
私がそう答えたとき、ミーカーイールの背負っている天秤が揺れる。
ガチャンッ!
金色に輝く皿が、傾く。すると、ぎろり、と目をこちらに向かせて睨みながら、ミーカーイールは言う。
「今……我にウソを吐いたな」
「え、いや」
また天秤が傾く。
「また吐いたなァァ!!」
「だって、だって! あの状況はウソを吐かざるを得ない状況じゃないですか!!」
「勘違いするなよ、求道者。我は別に同意を求めてあの質問をしたのではない! 貴様の率直な意見を聞き、それを活かそうとしただけだ!」
マジかよこいつ、本当に怖いかどうか気にしていただけだし、なんならそれを次に活かそうとする普通にいい奴だった。
「……じゃあはっきり言うわ。―――怖い!」
「うっ……ウン。ソウカ……怖いか……。わかった、ちょっと態度柔らかくするね」
「それはそれでキモイから元のままで良いわ」
そんなことを話していると、金でできた門の前に着いた。
「これが……」
「そうだ。これが今から貴様が挑む『正義』の試練の場だ」
私は門を押して開ける。そこには……
「闘技場?」
「貴様の場合はそうなったか。まあいいだろう。ここが『正義』の試練場。挑む者のイメージするいわゆる『戦う場所』が反映される」
「それで? 私は何をすればいいの?」
「まあ待て。まずは準備だ。……貴様が知っている中で、一番強かった人類を思い浮かべろ」
そう言われて、私の脳は勝手にある一人の人物を思い浮かべてしまう。最強の者。その剣技であらゆる敵を切り倒してきた者。
「……ふむ。そのような者が今の最強か。よかろう。あれを見ろ、求道者よ」
「ん? って、え―――!!」
私が目にしたものとは―――そこにひっそりとたたずむ最強……カナリア・エクソスの姿であった。さっきまで何もなかったはずなのに!
「ふっふっふ。いい感じに驚いているな、求道者よ。そう、あれは貴様が想像する最強で、ええと名前は確か……カナリア・エクソスと言ったか? そいつだ。だが本物ではない。これは貴様が覚えている限りの記録を再現した言わば機械だ。だから、本物のカナリア・エクソスより弱い。隠し玉がないからな」
「……でも私が想像している最強のカナリア・エクソスなら当然あれもあるんじゃない?」
「ん? あれとは?」
「……あの光の剣。モルガンを倒した、ヤバイ武器よ」
「あれはさすがになくした。あれの元を辿ってみれば〝世界〟の防衛機構の一種ではないか。『四大天使』をフル活動させてようやく一撃止められるかといった感じだし、無理よ。再現できない」
機能の限界だったのか。確かにそうだ。あれは確かフランソワが降ろしたアーサー王の情報をもとに再現した〝純聖剣〟求めるは絶対の勝利そのもの。〝終末の妖精〟と呼ばれたモルガンを一度屠っているとされているのだから、それは恐らく人が扱っていいものではない。
「一応我ら全員の力を合わせればアレの威力の再現は不可能ではないのだが、あいにく今奴らはいない。不完全と言わざるを得ないが、まあ行けるだろうよ。……さて、求道者よ。長々と話したが、ここでの試練はいたって単純明快。あのカナリア・エクソスもどきを破壊せよ。破壊に関しては、〝般若波羅蜜多〟と〝菩提薩婆訶〟の使用は許可する。無論、魔力も返還しよう」
ミーカーイールがそう言うと、足元から燃え上がるような熱を感じる。だが、不思議と声は出ない。……否、不思議と熱くなく、身を優しく焦がすように私の体に入っていく。しばらくすると、先ほどまでは何も流れていなかった魔力回路が段々と押し広げられ、巡る様子が感じられるようになる。
手の甲を見ると、闇属性の適性を示す黒色がじんわりと滲み―――文様を成す。
「戻った!」
「成功したようだな。では求道者よ、心の準備ができたらリングに入るといい」
それだけ言い残し、ミーカーイールは飛んで闘技場の一番上の席に座る。確かオルレアン・ローマになる前のローマの皇帝が座っていた場所だったような気がする。
そして、いつの間にか私はリングに入るための通路に立っていた。砂の敷かれたリングの奥にはすでに、目を閉じて剣を携えて精神統一を図っているような仕草をしているカナリアもどきが立っていた。
……勝てるのか、私が。
そう思うほど、足が震える。前に進めなくなる。
圧倒的なまでの力でブリテンに潜んでいた怪物をなぎ倒してきた英雄と、一介の暗殺者。実力の差は圧倒的で、優位は武器のランクぐらいしかない。
弱気になっていると、私の中の正義が叫ぶ。
―――私はあの地獄を耐え抜いた。ならば、もう恐れるものはない、と。
「……よし」
頬をパチンと叩くと、気合を入れる。―――行こう。
リングに入るための門をくぐると、私の気配に気づいたのかカナリアもどきは目を開けて私を鋭い眼光で睨む。
「……ッ」
そんな気迫に押し切られそうになったが、私はぐっと耐えてカナリアもどきに向き合う。そしてどこからともなく『死にゆく者たちに敬意あれ!』という声が聞こえた。
恐らく、それが合図だったのだろう。
―――カナリアもどきは、目にもとまらぬ速さで私の眼前まで迫っていた。
「は?」
カナリアもどきは拳を前へ突き出し、私の腹部を強く殴りつけた。
「ぐっ……おぇ」
……やばい吐きそう。攻撃として完成されつくしている攻撃、と評さざるを得ない。殴りつけるときの力はもはやその細い肩から出力できる膂力を超えていると思うし、武術としてもただまっすぐ拳を突き出すのでなく、腕をひねりながら突き出すことで回転分のエネルギーを上乗せするというテクニックを完璧かつ自然に使いこなしている。
これが序の口ってマジ?
私は腰に提げている〝般若波羅蜜多〟と〝菩提薩婆訶〟をじっと見つめる。この疲労度ならば〝菩提薩婆訶〟でも大きな一撃を加えられるかもしれないが……なんか、カナリアもどきはその斬撃すらも捉えて落としてきそう。こわ。
ともすれば〝般若波羅蜜多〟に頼るしかないが……残念ながらこの〝般若波羅蜜多〟、対人戦にはめっぽう弱い。なぜならば、これが魔性のものの魂を「輪廻の輪から外す」という性質を持っている以上、物質体を持つ生命体には効きづらいのだ。
そもそも魔性のものは大体魔力で肉体を編んでいることが多いから、これが効くのだ。
だから私が〝般若波羅蜜多〟を対人戦で使いこなすには……今の性質と逆の性質を発生させる必要がある。
「ひゅーっ、ひゅーっ」
息が上がっている。先ほどの攻撃から続く神速の拳や蹴りを避けている。慣れてきたが、一撃一撃が重く、それでいて相変わらず速いので見切れずに当たり、大きなダメージを追うこともしばしば。
……あばらが三本折れてる。
そう判断せざるを得ない。
私は、この極限の状況下で考えを巡らせる。感覚をとがらせる。
〝般若波羅蜜多〟の性質を反転させる方法―――それは、今負属性の魔力で起動している〝般若波羅蜜多〟を停止させ、正属性の魔力を流して起動させることである。
だが、そんな簡単に正属性の魔力を生成できるわけがない。それができるのは、魔神か聖女だけである。
そこで私は思いつく。―――魔神になるしかない、と。
今の手札を整理しよう。今あるのは魔術を発動するのに十分な魔力、〝般若波羅蜜多〟、〝菩提薩婆訶〟。だが、この手札は全てカナリアもどきの前では恐らく無力。否、完全に無力である。さっき空いた所に〝菩提薩婆訶〟を打ち込んでみたが、ものの見事に逆に切り落とされた。斬撃を切るってなんやねん。
だが……今、魔神になれば〝般若波羅蜜多〟を手札に戻すことができる。そんな一縷の望みをかけて、私は集中する。
「魔力ってなんだ?」
純粋な問い。神のごとき暴力を目の前にしながら、私は自分に問う。
それは、原子の中に魔素が置換されたエネルギー。
「じゃあ、魔素ってなんだ?」
魔素とは―――それは、魔術師にとって永遠の課題。それを見つけることこそが、魔術師が目指す一つのゴールで、魔神へと至る最後の関門。
正直言って、わからない。魔素について私が知りえるものは「ただそういうものがある」という情報のみだ。強いて言うならば、魔素とは神の御業の賜物である、と信仰で答えるしかないのだ。
「くっ、……は!」
問いが頭を駆け巡る間にも、戦いは続く。目の前には、神のごとき暴力の化身が、陽炎のようにぬらぬらと揺らめいて立っている。
そこに降りる、天啓。
今、最も人類で神に近い力を持つ彼女……そしてその複製体であるならば、もしや。
戦いの中で、魔素の正体を知れるのではないだろうか。
そう考えたあとの私の動作は速かった。
息を整え、目の前に立つ偶像をしっかりと見つめて離さない。目の前の偶像を―――ただ、破壊することだけを考える。
「よし、行くわ。……ラウンドツーよ」
私がカナリアもどきにそう宣言すると、それは少し口角を上げた―――ような気がした。
お祭り系暗殺者ニーナ・サッバーフ誕生の瞬間である。




