第一節―――「忍耐」-Angel No.2-
「耐えて耐えて耐えて……すべてを耐え抜いて視野が限界まで狭くなったその先に、すべてを見ることができる視野と強さを持つことができるのです」
そう、ジブリールは言った。
苔むした石の扉。その前に立つ天使は、そのようなセリフを吐いて部屋の奥にある小さな直方体のくぼみに身を収める。
「いいですか、ニーナ・サッバーフ。あなたは今から、『忍耐』の試練を受けてもらいます。試練の内容はいたってシンプル。この第一霊廟のシステムが召喚するモンスターを全て狩ることができれば試練は突破となります」
「え、私モンスターと素手で渡り合えるほどフィジカルないわよ」
そんなフィジカル担当はカナリアさんにでも任せておけばよいのだ。モンスターを素手で狩るなんて、そんな力あったらこんな霊廟になんて来てない。
その言葉を聞いて、ジブリールはあきれたような声を出す。
「はぁ全く……軟弱ですね」
「うっさいわね」
「まあいいでしょう。この試練中、〝菩提薩婆訶〟だけ使うことを許可しましょう。ただし、没収した他の『四大天使』やあなたの魔力はまだ返しません」
「……ええ。それでいいわ」
「では始めます。せいぜい頑張ってくださいね」
ジブリールがパチンと指を鳴らすと、どこからともなく〝菩提薩婆訶〟が部屋の広場の中心に勢いよく刺さった。
「よし。あれを取りに行けばいいのね」
私が駆けだそうとした、その時だった。
『GURUOhhhhhhhh!!』
「な、なに?!」
私が叫び声がした方向を見ると、そこにはいつの間にか大型のモンスターであるジャイアントゾンビ・クールーが何匹も沸き、群れを成していた。
そいつらは私を認識したようで、全速力で襲い掛かってくる。
「くっ! こいつらから逃げろってのね!」
私はジャイアントゾンビ・クールーの群れから逃げまどいながら広場の中心に刺さっている〝菩提薩婆訶〟を手にしようと走る。
幸いにもジャイアントゾンビ・クールーたちはあまり足が速くないので、俊敏さが売りの私としては逃げるのは簡単なのだが……。
『GURUOOOOOOOOOOOOOO!!!』
「だー! 多すぎるし疲れ知らずすぎ! やってらんないわ!」
いかんせん数が多く、そのうえ奴らは体力というものを知らないのでどこまでも追いかけてくるのである。しかも身体がでかいから一歩一歩がでかい。
いくら体力に自信があるとはいえ、このペースだといずれ体力切れが来て私はあのゾンビの集団に飲まれてしまうだろう。最悪の場合、私はお天道様の出ている間は絶対に外に出れなくなるかもしれない。物理的に。
そんなときどうするか。
恐らく、ジブリールが私に問いかけている課題にして試練は、どんな状況でもチャンスを手に入れるマインドと強さである。
私がこんな状況に追い詰められたら―――
私は、今ある情報をすべて整理して、あの集団を乗り越える突破口を探す。
「あれはアンデッドで魔性。今ある武器は拳だけ。魔力なし。第一目標は〝菩提薩婆訶〟の回収」
ぶつぶつと周りの情報を声に出してインプットする。全ての情報をつなぎ合わせて―――解を出す。
「ならば、自分の足を信じて逆にゾンビを乗り越える!」
初等学校に入学するより前、私は当時の教主だった父からの命で初めての単独任務に向かった。その時に対象の護衛と戦った際に使った戦法がこれ―――暗術『人海疾走』である。
暗術『人海疾走』とは、その名の通り人海を疾走する手法。多勢に無勢の時にしか使えないというのは弱点だが、護衛や守りを突破するときに使える。方法は簡単で、集まっている人の頭を踏みながら走る。
「よし、行くわよ! ……はっ!」
私はゾンビの大群に向かって走り、そして勢いよく跳躍する。
まず一歩。バランスを取りながら慎重に一歩目を踏み出す。そしてまた一歩また一歩……と順調に足を進める。
否、あまり順調ではない。
なぜならば、時折出てくるゾンビの手に足を取られて転びそうになることがしばしばあるからだ。しかもあいつら痛覚ないからどれだけ踏もうと迷わず向かってくるのマジ意味わかんない。
「だああああ! もうヤケクソよ!」
私はもう無我夢中で走った。緑色の、気色の悪い地面を気合で走った。腐臭が鼻につく。だがしかし、私はそれすら心頭滅却すれば云々の精神で無視した。
そして―――
「あいきゃんふらあああああああい!!!」
体長約五メートルあるジャイアントゾンビ・クールーの頭上から飛び降りた。高所恐怖症気味のある私にとっては少し勇気のいる出来事だったが、過ぎてしまえばそんなの関係ない。
私はそこから全速力で駆け抜けて、中心に刺さっている〝菩提薩婆訶〟を引き抜いて回収する。
「よし! 取ったどー! ……ってそんな悠長にしていられるほどいい状況じゃないわね」
周りを見ると、〝菩提薩婆訶〟を取っているすきにもうジャイアントゾンビ・クールーが私をかこっている。存外に早かった。
だが―――そんなこと、〝菩提薩婆訶〟を手にした私にとっては些事である。囲まれている? それがなんだ。今のこの疲労感ならば〝菩提薩婆訶〟の能力を存分に発揮できる。
「それじゃあよくやってくれたわね、ゾンビども! こっからは私の反撃ターンよ!」
手にした〝菩提薩婆訶〟を逆手に構える。基本的な暗殺のスタイル。だが、今は下手に特殊な構えをした方が帰って邪魔になる。
息を整え、今は何も通っていない魔力回路に習慣的に意識を向ける。
魔力のない状態において、礼装を起動する手順はないわけではない。―――ただ、とても苦しい。
「でも、それを耐え抜くことこそ、ジブリールが求めているものでしょう!」
その方法とは、魔力の貯蔵率が高い場所を貫くことである。では、自らの体の中で一番魔力の貯蔵率が高い場所とは何か。それは―――
「簡単よ……眉間の奥を貫くだけ!」
眉間の奥にある松果体。そこが、人体の中で一番魔力貯蔵率が高い場所である。私は〝菩提薩婆訶〟の刃で、左脳と右脳の間を潜り抜け、視床を裂き、松果体を貫く。
「あああああああああああああ!!!!!」
脳が裂かれる感覚! 痛覚はないが、自分の中身をすべてバラバラにされているような。脳梁が破壊されているからか、いつもとは違う、奇妙な感覚に襲われる。
「でも、これで……〝菩提薩婆訶〟!」
どくん、と〝菩提薩婆訶〟が鼓動する。その刃は正属性の魔力を宿し、眠っていた魔力回路を強制的に拡張させる。まるでクレアチンの様である。
「さあ、行くわよ〝菩提薩婆訶〟……今なら最高の一撃を叩き込める」
私は、〝菩提薩婆訶〟を構えてゾンビの集団全てを視界に入れる。
耐えて耐えて耐え抜いた先に、全てを見通す視界を手に入れる。そうのたまうジブリール、その能力は―――
「鏖殺せよ、〝菩提薩婆訶〟」
所持者の視界を範囲とし、そこに不可視の斬撃を、所持者が負っている傷や疲労の分だけ威力を持たせて放つというもの。通常時は錆びた包丁ぐらいの切れ味しかないが、今のこの状況(脳挫傷、魔力皆無、疲労困憊の大三元)では、無比の威力を発揮する。
不可視の斬撃が、ジャイアントゾンビ・クール―の胴体を一刀両断する。アンデッドである以上、正属性の魔力にはめっぽう弱く、この威力ならば上位の魔族以外耐えることができず浄化する。
うめき声をあげながら、ゾンビたちは塵になっていく。そして、うめき声が聞こえなくなるころには、そこには大量の塵が山となって積みあがっていた。
「うげ、こんなにいたの?」
「ええ。私が出しました」
「あ、ジブリール……あれ?」
視界が歪む。
ああ、そうか。脳挫傷してるんだ、私。
「はぁまったく……アフターケアはしてあげましょう」
ぼやける視界の中で、ジブリールが手をかざすのが見えた。すると、優しい光に包まれ、意識がだんだんと明瞭になっていく。
「……あ……はっ! 死んでない!」
「ふむ。ここまで元気ならよさそうですね」
よさそうですねじゃねぇよ死にかけたんだよ。
「ではこれで『忍耐』の試練は突破となりますね」
「……なんかないの? 報酬とか」
「強欲な人。まぁ……試練を突破したならば、さすがに報酬はありますよ」
お、なになに?
「私―――〝菩提薩婆訶〟に強化が入ります」
「……それだけ?」
「はい。ここは力を試す場。金品なんてありませんよ」
まじか、帰ってもいいかな。
「ちなみに一度試練を開始すると全ての試練を突破するまで外には出られません」
「……終わりだ。私はここで飢えて死ぬんだ」
「そう悲観しないで。多分、ここが一番きついと思いますから」
こほん、とジブリールは一回咳ばらいをし、私に話しかける。
「では、『忍耐』の試練を突破しましたので、次の試練へお進みくださいな」
「次はどれの試練なの?」
「序列順ではないので何とも言えませんが……おそらく次は『慈愛』か『正義』のどちらかだと思いますよ。どちらにせよ、頑張ってください」
私は、その言葉を聞いた後に通ってきた石門を押して廊下に出る。後ろに、ジブリールはいない。だが、その代わりに―――
「来たか。存外に早かったな、求道者よ」
「……マジか」
四大天使一番、『正義』の美徳をつかさどる天使であるミーカーイールが、そこに毅然とした態度で立っていたのである。




