序説:四天文書
こつん、こつん。岩肌に、靴がぶつかる音だけがこだまする。若干濡れて冷えている空間で、私は少し薄着で来たことを後悔している。
ゴツゴツと不規則に段差を生成しているこの洞窟は、全長約五十キロに及ぶ。
私たちの家系は、この洞窟を一生に一度は必ず踏破しなければならないという掟がある。なぜならば、それをすることで神への忠誠を示すものになるからだ―――とされている。表向きは。
だが、実際は違う。
踏破しただけでは終わらない。私たちは、この後に試練を受ける。……天使に認めてもらうための、神から与えられた試練を。
「着いたわね……イブラヒム大洞窟最奥―――〝大霊洞穴〟!」
私―――ニーナ・サッバーフは、自分が教主を務める宗教団体「暗殺教団」の本部がある〈荒魂砂丘〉の地下に広がる世界有数の大洞窟であるイブラヒム大洞窟、その最奥である〝大霊洞穴〟に足を運んでいた。
なぜ私がここに足を運んだのか。それには理由がある。
それは―――端的に言うと強くなるためである。
私は「旧王国島ブリテン」での幾度もの戦いで学んだ。私は―――強くなんかない、弱いんだっていうことを。
私はクロムほど強力な術は扱えないし、カナリアさんみたいに超人的な身体能力もない。アリスみたいに回復系の術に特化しているとか、ノアやシュトロハイム、ミッシェルのように精霊や妖精を従えるなんて言う芸当もできない。なんなら、部下のはずのフランソワにも『降霊魔術』という特化しているものがある。
私にだって暗殺技法というほかにはない特徴があるが―――それは、強大な敵には通じなかった。
〈神聖郷ケルト〉と〈妖精郷ブリテン〉の境界で繰り広げられた『木花咲耶姫』との戦い。私は先制攻撃を仕掛けたが、彼女の操る呪術によってこちらが大ダメージを受けた。
また、モルガンとの戦いでは私は指をくわえてみることしかできず、やったことと言えばフランソワの降霊の補助をしただけ。そんな自分に嫌気がさし―――私は、強さを求めた。
そして教団の書庫を漁っていると、この洞窟に関する文献を見つけた。それを読んでみると、サッバーフ家に対しての掟とその真意についてが書かれていた。
それに曰く、イブラヒム大洞窟の最奥には〝大霊洞穴〟なる霊脈の調整の役割も兼ねている空洞が広がっており、そのさらに奥には―――〝幾星霜〟の時代に何者かによって築かれた霊廟があるとのこと。
その霊廟の役割は―――現在教団が所持している〝神代の礼装〟である『四大天使』、それの封印と選定。要はもともとここに『四大天使』が安置されていて、『四大天使』の持ち主にふさわしいかどうかを見るための場所、ということであろうか。
「ま、とにかく着いたなら早くしちゃいましょうか」
〝大霊洞穴〟の中を駆け抜けていく。すると、苔むしたいかにもな石門が見える。
「これね」
私はその石門の前で止まると、あたりを見渡してみる。
石門から通路が続き、左右が鏡合わせのようになるよう設計されている造り。そしてその奥は洞窟の壁へと埋まっており、掘りぬいて作られているようである。
そして石門に刻まれている、古代語の一節。
『汝、この門をくぐる者、純潔なる心を持ち、一切の欲を捨てよ』
「……いかにも信心深い人が刻みそうな文だわ。久々に聞いたわよ、こんな聖典の端っこに書いてあるような言葉」
聖典の第十章二十四節。旅をする聖人が、神が作られた理想郷へ入る許可を得るために様々な試練を乗り越える話。その試練が始まろうとするまさにその場面で綴られた文である。
初等学校で習う聖典は第五章までなので、これ以降は神学に進む者か聖人の家系しか学ばない。それゆえ、第十章の内容はごく一部の人間しか把握していない。
「ま、いいわ。私は進む、それだけよ」
荘厳な石門を押して開ける。
多分じめっとした遺跡みたいな空間が広がっているんだろうな、と思ったら―――
「なに……これ」
そこには黄金の光が差し込む、幻想的な空間が広がっていた。圧倒的なまでの神々しさに、私は息をすることを忘れてしまう。
すると、私の中から何かが抜けてしまう気配がした。
気が付いた時には、遅かった。
「! 魔力が、なくなっている!」
私の魔力回路を流れる魔力が、綺麗サッパリ無くなっていたのである。手の甲を見てみても、『魂の刻印:魔術師の焔印』が跡だけ残して透明になっている。あれだけ黒く染まっていた文様が、今ではただの傷跡みたいだ。
それと同時に、腰が異様に軽いことに気づく。
「ない……ない! 『四大天使』が、ない!」
腰に提げていた『四大天使』が、その姿を消している。
魔力反応をたどってみると、それは私の上空―――斜め上に浮いていることが分かった。
「誰よ、私の礼装持って行ったのは! ……って、え?」
振り返って『四大天使』が浮かんでいるであろう場所を見る。だが、そこには『四大天使』なんぞ、一つもなかった。
その代わり―――そこには四人の羽の生えた女性が浮かんでいた。それは、天使と形容するのが正しい。
「え……あなたたちは、何?」
無意識に、そう問いかけていた。答えてくれるかどうかの確証もないのに。
だが、一番前に浮いている目隠しを付けた女性が口を開く。
「私たちは、天使。天の御使い。地に立つ人類に、魔に抵抗するための力を授けるため、送られた四人の伝道師。あなたに、試練を与えるもの」
その声は、軽快なラッパのようでいて、上品なトロンボーンのようでもあった。よく響く、自らの魂に直接語り掛けるような声。本能的に畏怖を抱いてしまうような、そんな声だった。
「あなたがたは、何者なんですか?」
柄にもなく敬語になってしまう。
そして、その質問に女性はまた答えた。
「私はジブリール。四大天使二番の天使にして司る美徳は『忍耐』」
続いて、その隣に浮いている、背に天秤のようなオブジェを背負った天使が名乗る。
「我はミーカーイール。四大天使一番の天使にして司る美徳は『正義』なり」
その隣、包帯で全身を覆い、右手に蛇の巻き付いた杖を、左手に石板を携えた天使が名乗る。
「私はイスラフィール。四大天使三番の天使にして司る美徳は『慈愛』です」
最後にシスター服とも喪服ともとれる服装に身を包み、後光のように鎌を放射状に並べる、唯一羽が黒い天使が名乗る。
「私はアズラーイール。四大天使四番の天使にして司る美徳は『冥想』」
『四大天使』の名を冠するその天使たちは、口々に名乗りあげた。その応答に、私は驚きを隠せない。
「まさか、礼装が意思を持ってしゃべるだなんて……」
「あなたは少々誤解されている。我々はもとより意思無き者。しかし、この霊廟の中においては一時的に疑似人格を得ることができ、試練を与えるものとして君臨する」
「なるほど。あなたたちはこの霊廟の中だけの存在ってわけね」
「然り。我らは貴君に試練を与えるだけの、ただの幻想である」
そして、ジブリールが降り立ち、私に近づく。
「さて、ではあなたはまず『忍耐』の試練から始めましょう。着いてきなさい」
「え、あ、はい!」
通路へ消えていくジブリールの背を追って私は走り出す。一瞬の眼を放しただけなのに、もう数十メートル先まで移動している。それも、この異界だからこそできる技なのだろうか。
そしてしばらく走った後、ジブリールは質素な鉛のように鈍く光る門の前で待っていた。
「では、こちらへ」
案内されるがまま、私はその扉を開けて中へ入る。すると、そこには―――
「何にもない?」
「今は、です」
ジブリールが部屋に入ると、ガシャン! と音を立てて勢いよく扉が閉まる。
「え、閉じ込められた?!」
「ええ。試練なのだから、当然でしょう? ―――あなたに今から挑んでもらうのは『忍耐』の試練。これは持論ですが……」
そう言ってジブリールは言葉を紡ぐ。
「耐えて耐えて耐えて……すべてを耐え抜いて視野が限界まで狭くなったその先に、すべてを見ることができる視野と強さを持つことができるのです」
アズラーイール「Fatality...」




