第18話 雄姿は後で話すから
ヨルシャミとの約束の日まで残り一日。
このまま見つからなければ倒れたヨルシャミがどうなるかわからない。
助けを求めてきたくらいなのだからきっと良い方向には転ばないだろう。
伊織は草の根を掻き分けてでも探す心持ちで森の中を歩いていた。
今日は伊織とリータ、静夏とミュゲイラでチームを組んで森を探索している。
昨日よりも奥深くまで潜るため、それぞれのチームに森に詳しいフォレストエルフのふたりがついている形だ。
そうして探索を始めて半日、この辺りも小屋らしきものは見当たらないか――と踵を返しかけたところで伊織たちは出会ってしまった。
魔獣でもなんでもない、しかし生身で対峙するには油断ならない動物。
まだ幼さの残る若いオスのイノシシである。
「かなり警戒してるみたいだけど穏便……には帰ってもらえない、かなぁ」
「食料にもなりますし射ましょうか? あ、でも一撃では無理かもしれないから、もしそうなったら興奮させて手が付けられなくなるかも……」
頭蓋骨は硬く、素早く動き回り、隙あらばこちらの命を狙ってくる生き物だ。
魔法の存在するファンタジーな世界でも一撃で仕留められると自負することは自らの死を招くことになりかねない。
それに加えて野生動物なら心臓を射抜いてもしばらく動く可能性がある。
若い個体とはいえ、リータは己の腕前と秤にかけて難しいと判断したらしい。
「里ではイノシシ相手でも二人か三人で対応してました。罠にかかっていれば単独でも距離を取って仕留めることはありましたが……」
今回は完全にフリーな状態である。
イノシシはこちらが敵か否か見極めているのか微動だにしない。
前世ではイノシシは混乱や興奮してない限り自分から積極的に攻撃をしてくる動物じゃなかったはずだけど、と伊織も緊張しながら固まる。まったく同じとは限らないのだ。
しばらく緊張感漂う膠着状態が続いた後、リータは「そうだ」とイノシシから目を離さずに言った。
「テイマーの才能を信じてテイムできるか試すのはどうでしょうか?」
「試すにはちょっと危険すぎる気がするんですが!?」
まだ一撃必殺を狙うほうが現実的ではないだろうか。
そんな気持ちをたっぷりと込めた声音で伊織は言ったが、もしかすると上手くいくかも、とリータはそわそわとしている。間近で見たいようだ。
幸いにも危険なほど興奮していないたけでなく野生動物といえども完全な成体には程遠い影響か、危機感よりも憧れのほうが勝っているらしい。
そして、これは伊織が実際にウサウミウシをテイムしてみせた――と言うには自然な流れだったが、兎にも角にも慣らした実績があるからこそだ。
もっと小さな動物から試したほうがいいんじゃないか。
そんな気持ちはあったが、伊織としても確かめてみたい点ではある。
「一撃で仕留めるのは難しい可能性が高いですが、隙を作るくらいはできます。いざという時は私が応戦するので、その……」
「わ、わかりました。じゃあリータさんは後ろに退いてください」
「いえ! 助けるなら近いほうがいいので一緒に行きます!」
魔法弓術は近距離でも使えますから、とリータは言いながら伊織にひっついた。
さっきとは別の意味で緊張するぞと思いながら伊織はイノシシに視線をやる。
(でもテイムなんてどうすればいいんだ?)
ウサウミウシの時は撫でただけだ。それ以外に目立ったことはしていない。
伊織は細かな感情をまったく読み取れない顔をしているイノシシを見つめる。
テイムの発動が撫でることだったとしよう。
――あれを撫でろと?
――鼻息荒く今にも飛び掛かってきそうなあれを?
(無理……!)
若いイノシシには短いとはいえ牙が生えている。下手をすれば撫でる前に牙が太腿に刺さって出血多量でおしまいだ。そもそも伊織の身長では姿勢次第では腹部に刺さることさえ想像できる。
そう、驚くほど簡単に、明瞭に、確実に想像できる。
しかしそうしている間にも襲われるかもしれないという焦燥感に背中を押され、伊織はじりじりと自らイノシシに近づいた。
「よ、よしよし……カッコいい牙だね、こ、この森のヌシかな?」
言葉は通じないとわかっているが、恐怖心から無意味に褒め殺しながら手を伸ばす。もちろんヌシとは到底思えない。
イノシシはじっとしていた。
意外といけるんじゃないか、と感じたところで脇の茂みから突然ウサギが飛び出す。伊織とイノシシに挟まれる形で身動きが取れずに息を潜めていたらしい。
――プギォォォォォォーッ!!
イノシシは大きく鳴いた。
ブタの鳴き声を二倍汚くしたような声に伊織は仰天する。
直後にまさに猪突猛進、飛び掛かってきたイノシシを見た伊織は背中から転倒しただけでなくそのまま藪に突っ込んだ。
「おわああああっ!?」
視界がぐるりと回転する直前、そんなイノシシの片目にリータの魔法製の矢が突き立ったのが見えたものの、伊織は喜べないまま斜面を転がり落ちる。
「やった、目ならもしかしてと思っ……わあッイオリさん!? 大丈夫です!?」
「い、生きてます~……」
よかった、と安堵したリータが引っ繰り返っている伊織のもとへと降りてきた。
どうやら藪の向こうは斜面になっていたらしい。
強制的にでんぐり返りを何回もさせられた伊織は落ち葉まみれ土まみれになっていたが、幸いにも擦り傷程度で大きな怪我はなかった。
目に矢を受けたイノシシは即死はしていなかったようで、そのままどこかへ走り去ってしまったらしい。獣臭さだけが周囲に残っていた。
「うーん、撫でることすらできなかった……」
よろよろと立ち上がりつつ、ついさっきまで撫でようと伸ばしていた手を見る。
派手に失敗したため心が後ろ向きになったのか、無事に撫でられたところでテイムなどできなかっただろうという気がしてしまった。
やはりテイマーの才能などなく、あのウサウミウシが人懐っこい個体なだけだったのでは? と考えた伊織は少し落胆する。
なにかしら才能があれば人助けに活かせると思ったが、上手くいかないものだ。
そこでリータが伊織の汚れをはたきながら元気づけるように言った。
「まだ早計ですよ、ウサウミウシってそんなに人には慣れないんです」
「そうなんですか?」
「食べ物があれば寄ってきますし、常にご飯を貰えると学習すれば居座りますけど……それだけです。ご飯の切れ目が縁の切れ目ですね」
「そんな金の切れ目みたいな……!?」
しかしそれだけウサウミウシにとって食べることが重要なのだろう。
伊織がツッコミを入れつつもどこか納得しているとリータは微笑んだ。
「だから私も伊織さんには才能があるのかもって思ったんです」
今のところ、あのウサウミウシは伊織以外に自分から触れようとしない。
伊織がいるからなんとか他人から触れられるのは許している、というように見えないこともないだろう。本人から話を訊けないので予想するしかないが。
今後ウサウミウシが仲間たちと打ち解ければこの差もわからなくなってくるかもしれない。しかし今は確実に謎の線引きがあった。
つまり伊織だけが特別だということだ。
なら――まだ試してみる価値はあるのかもしれない。
なんとかそう考え直した伊織がネガティブな考えをポジティブな方向に軌道修正した時、リータがハッとした顔で「あ」と一音だけ発しながら指をさした。その先は伊織の背後である。
まさかまたイノシシでも出たのだろうか。
伊織はそう本能的な冷や汗を流しながら振り返る。
「……あ」
そしてリータと同じ一音を発した。
そこに建っていたのは、落ち葉を被った苔だらけの小さな小屋だった。
***
ふたりだけで中を調べることは無謀だと判断して控え、静夏とミュゲイラたちと合流してから四人で小屋へと向かう。
見つけた小屋はとても古く、手入れがされておらず腐食が進んでいた。
壁など軽く押しただけでふわふわと動くほどだ。
ドアは軋むがなんとか開く。四人でそうっと中へと入ると――どうやら昔は狩猟小屋として使われていた様子だった。
ミュゲイラは視線を一巡させる。
「村が設置したっつーより個人で構えたように見えるな」
「わかるものなんですか?」
「小屋に残ってるのは私物っぽいし、随分朽ちてるけどひとり分の生活感もあるしさ。村との中継地点や一時的な宿っつーより、ここで狩りをしながら暮らしてた奴でもいたんじゃないか?」
この世界にも厭世家のような暮らしを好む人間が存在していたようだ。
その家主も今はいない。村人のように忽然と姿を消している。
木製の固そうなベッドには布団代わりの黒い熊の毛皮が掛けられ、立てた樽には用途がわからない棒や網が挿してあった。
小さな簡易暖炉は錆に覆われて煙突がところどころ欠けている。
四方の壁には様々な道具が掛かっていた。
木で編んだ涙型のザルのようなものは魚捕りにでも使うのだろう。
そして壊れた弓矢が床に散らばっている。その破片を摘まみ上げて静夏は「ふむ」と小さく言った。
「戦おうと手に取ったところで押し入られたのかもしれないな……劣化して見づらくなっているが床にもやはり村と同じような足跡がある」
「つまり人間の仕業……?」
少なくとも人間のように二足歩行で靴を履いている集団に襲われたのだろう。
こんな森の奥に住んでいても狙われるなんて一体どんな理由で襲われたのかますます気になるなと伊織は眉を下げた。
「わからないことだらけだけど、とりあえず小屋は見つけた。念のためこれ以外にも小屋がないかチェックして、見つからなかったら明日はこの小屋と周辺を見張っていよう」
「ですね。もしかしたら逃げ込んでくる前に助けてあげられるかもしれませんし」
「よっしゃ、もう一仕事といくか! ……ところで気になってたんだけどさ」
ミュゲイラはじっと伊織を見る。
「なんでそんなボロッボロなんだ?」
「あー……えっと、それは」
あの失敗を自分の口から語るのは少し恥ずかしいものがある。
伊織がそう口籠っているとリータが助け舟を出してくれた。
「……お姉ちゃん、イオリさんの雄姿は後で話すから今は見なかったことにして」
その助け舟は助け舟でちょっと辛いものがあります。
伊織は心の中でそう呟きながら遠くを見遣り、壁に飾られたイノシシの剥製と目が合って小さく唸った。





