20.そして、白翼竜は父となる
ガレノス・ヴェサリウスは山奥の診療所兼自宅で茶を啜っていた。診療所と言っても、ここまで足を運ぶものはおらず、近隣の村々を往診するための道具置き場といった体だ。
もう山奥にこもってから何年かすらもガレノスは覚えていない。あのころと違い、もう頭には外を覆う雪と同じ白い毛しか残っていない。それを考えるとずいぶん年月がたっただろう。
第一線から退いて、それからも随分と誘いの手はあった。だが、どれも断った。今はありがたいことにバイエルン家が他の者から自分を隠してくれているらしい。たまに来る彼らの使いを追い出せば、静かな村医者として生活できた。
ガレノスに野心だとか、研究心がなくなったわけではなかった。村の往診をしている間はいいが、このように吹雪で外に出るわけもいかず一人でじっとしているとまた研究と実践の日々に戻りたい、と心が疼くことがある。
それは焚火に残り火が燃え広がるような危うさがあったが、それでもこのような山奥からまた王都に出る手間を考えることで抑えることができた。そのようなこともあって、ガレノスはこの地を気に入っていた。
「さあて、そろそろ寝る頃かな。
『狼の冬』もそろそろ終わってくれればいいのだが」
薪や食料の残量を見ながらガレノスが愚痴った。まだ余裕はあるとはいえ、蓄えていた物資がなくなれば自分はここで冷たく堅い死体になってしまう。
ガレノスが部屋の灯りを消そうとしたときである。何かが扉を叩く音がした。
「また、木の枝も当たったか」
このように風が強いと近くの木が扉を打つことがままあった。もちろん誰かが着てドアを叩いているなどという発想はない。『狼の冬』の夜にここまで来るなぞ自殺行為、いやそんな行為が出来るなら医者など必要ない。
そのまま無視して寝室に向かおうとしたが、扉を叩く音は大きくなっていく。さすがにこれは寝るのに支障が出そうだ。
「まったく、冬になる前にきちんと剪定しとくべきだったか」
とりあえず、扉を打つ枝だけでも切り落とすべく、手斧を持って扉を開いた。
「あ~、ようやく出てきた~。
急患なんだから~、早く出てきてよね~」
そこには金髪豊満な女性がいた。その顔は吹雪に晒されたせいか赤らんで見えた。
(女性・・・、いや、何故ここに。
・・・うん?)
その女性の横には見慣れた赤い頭があった。確かよくバイエルン家の使いとして来てた少女だ。
「・・・ミネヴァか。
どうしてこんなところに」
「お久しぶりです。ガレノスさん。
実は急患でございます」
「急患!?
どうやってここまで」
「・・・あの方でここまで」
ガレノスはミネヴァの視線の先を見る。そこには巨大な竜が佇んでいた。
「・・・」
「そういうことです。
・・・あの、ガレノスさん?」
「うーん・・・」
ガレノスはそのまま昏倒した。突然現れた竜に認識が追い付けなかったのだ。
「ちょっと、ガレノスさん!?
あなたが急患になってどうするんです?
ガレノスさーん!」
―――
「落ち着きましたです?
ガレノスさん」
「はあ、どうにか。
まさか君が魔物側につくなんてな」
どうにか気を落ち着かせたガレノスはヴェル以外の家に入る者を全員、家に招いた。ヴェルは別に吹き曝しでも大丈夫だからと外で待っている。
「魔物についたわけではないですよ。
一番よい顧客としてヴェル様を選んだだけです」
「王国からしたらどちらでも同じさ」
「あなたにとってもそのはずです。
患者であれば、魔物側も人間側も同じと言ったです。ミネヴァのこの耳は確かにそう聞いたです」
「わかっている。わかっているさ。
しかし、赤死病か。また懐かしいものをもってきたな」
ガレノスは診察室に寝かせたエイルのほうを見ながらつぶやく。
エイルがついて、ガレノスは一目見て赤死病だと見抜いた。
そして、そのまま診察室のベッドに寝かせたのだ。
「あの、ガレノスさまは治せるのですか?
赤死病を」
フレイアは不安そうに尋ねる。ガレノスはそれをちらりと横目に見ながらも話を続ける。
「赤死病は治せる。
赤死病自体は目に見えるか見えないかくらいの蟲が腹に入り、毒素を出して起こす病気だ」
「え、そんなの初耳ですが」
「そりゃ、俺だけの研究成果で他の誰も認めてないし」
とんでもないことをさらっというガレノスにミネヴァもあんぐりと口を開ける。
「王都のお偉いお医者様は患者の排せつ物だの臓物だのを詳しく見ようともしないからな。
ましてや、その中の蟲なんぞ探す根性なんてねえよ。
まあ、とにかく治す方法としては一つは蟲の寿命まで待つ。蟲は腹の中にいつまでもいることはできず、いずれは排せつされる。
これは赤死病が月が巡るまで生きていれば治るという話の元だな」
「ですが、それまで持たない人が大半なのでは」
「そうだ。よほど元気があるか、ゆっくり療養できる環境にないかぎりは死ぬな。
次は蟲を無理やり排せつする。これは特殊な下剤を使う。
ただ、これもある程度元気のある成人の初期症状でしか行えない。
排せつにも体力がいるからな」
「もったいぶらずに、エイルを治す方法を教えて下さい」
焦るようにせかすフレイアにガレノスはどんと構えて最後の方法を話す。
「うむ、今までのはいわゆる民間療法。経験則でこうすれば治せると言われている方法だ。
で俺が作った方法は、蟲の出す毒を弱めると言うやり方だ。
きちんと蟲の毒を調べているから実に実戦的だ。
これなら、患者がある程度体力をなくしていても対処可能ってわけさ」
「そ、それならエイルは助かるのですね」
フレイアの希望に満ちた目に、ガレノスは短く切り揃えた白髪をぽりぽりと掻き、気まずそうな顔をする。
「そうだ、と言ってやりたいが、薬の材料がない。
いや、有り合わせの薬でもなんとかなるが、成功率が低くなっちまう」
「そ、そんな・・・!」
「いったいどんな材料が必要なんです?」
「そうだな、まずセキシイトベニと言う木の実が必要だ」
「むむ、商人をやってそれなりですが聞いたこともないです」
「そりゃそうだ。何せ未開の地でしかとれなかった珍しい品だ」
「それって~、どんな木の実なの~」
「血のように紅く、艶があって、ちょうど爪くらいの大きさで、種が詰まっている独特の芳香臭がする実だ」
そう言われて、スコルは竜民からもらった革袋をまさぐり、木の実の入ったお守りを取り出し、ガレノスに渡す。
「血のように紅く、艶があって、ちょうど爪くらいの大きさで、種が詰まっている独特の芳香臭がする実ってこれかな~」
ガレノスはそれを怪訝そうな顔で受け取る。
「おいおい、セキシイトベニがそんな簡単に出てくるわけがないだろう。
いいか、セキシイトベニは、こんな感じで血のように紅く、艶があって、ちょうど爪くらいの大きさで、種が詰まっている独特の芳香臭がして・・・。
こ、これだー!?」
「いや、結構見るよ~、その木の実~」
「え、うそ・・・?
い、いや、セキシイトベニだけがあっても駄目だ。
セキシイトベニは通常の鉱物や陶器と反応して性質を変えてしまう。
薬を精製するにはダマスカス原石が必要なんだ」
「はい」
「おいおい、こんな石のナイフ・・・。
ってこれ、ダマスカスのナイフ!??」
「まあ、うちだとそこら辺の石だけどね」
「なん・・・だと・・・!?」
あまりのショックにガレノスはその場で崩れ落ちてしまう。
「ちょっと、ガレノスさん、倒れるのは患者を治してからにしてほしいです!」
ミネヴァに支えられ、ガレノスはどうにか立ち上がる。
「ああ、わかっている。
だが、あくまで俺の治療は蟲の毒を弱めるだけだし、患者の症状と体質に合わせて都度調合を変えないといけない。
まあ、これが俺以外に赤死病を治療できなかった理由だが。
とにかく患者にはここに居てもらう。
いいかい」
「わかりました。
ヴェル様にもそうお伝えいたします」
もちろん、ヴェルもこれを二つ返事で了承した。それどころかエイルが治るまでここに居ると言い出したのだ。
スコルは幾つかの言葉を交わして説得したが、すぐに諦めてしまった。それでもの状況を伝えることと薬の材料の確保のために何度か帰還する約束だけを取り付けた。
そうして、エイルの闘病生活が始まった。
ガレノスが薬を作り、適宜それをエイルに飲ませていた。日々の世話はフレイアが行っていた。
蟲の毒が弱められているからと言って、すぐにエイルの調子が良くなったわけではない。むしろ、ガレノスのところに来たときはかなり危険な状態だったらしく、何度か山場があった。ヴェルは一睡もせずに、診療所の窓からエイルの様子を覗いていた。ヴェルには中の声は聞こえず、声をかけることもできず歯がゆい時間だけが過ぎていった。
だが、『狼の冬』が終わりに近づき、吹雪が少なくなるようにエイルの発作もだんだん収まっていった。
そうして、完全に『狼の冬』が過ぎ、春の訪れを感じる陽射しが当たるようになったある日のことである。
その日はまだ名残惜し気に雪がちらちらと降っていた。
「ヴェル、今日は報告がある」
「ほう、ガレノスから話しかけてくるなんて珍しい。
これは良い知らせが聞けそうだ」
珍しく外に出てきたガレノスがヴェルに話しかける。ガレノスは常に鬼気に迫る表情で診療所を見てくるヴェルが苦手でなかなかヴェルに話しかけなかった。つまり、今日はかなり珍しいことが起きている。
「うむ、嬉しい知らせだ。
フレイア、出てきていいぞ」
そうして、診療所から出てきたのはフレイアと彼女に抱かれたエイルだった。その肌にはまだ赤い痣の跡が残っていたが顔色は一か月前に比べて格段によくなっていた。
「だあぁ!おとおぉん!!」
エイルはヴェルを見るなり、そちらに手を伸ばした。まるで何かを求めるように。
「あ、もう、エイルさま、そんなに暴れては」
「おぉぃて!」
腕の中で暴れるエイルをフレイアは持て余し、一旦地面に下ろす。
「ガレノス、ちょっとまだエイルさまの興奮状態が酷いのではないです?」
後ろからミネヴァが声をかけるが、ガレノスは微笑んでいる。
「そんなことはない・・・いや、そんなことだな。
まあ、問題ない。正常な興奮の範囲さ」
「本当にそうです?・・・あっ」
ミネヴァは思わず、驚いてしまった。
それはエイルがフレイアの足につかまり立っていたのだが、ふと手を放して、ヴェルのほうへ歩き出したからだ。ミネヴァはエイルが独り立ちしたのを、今初めて見た。
「お、とぉおあん」
ふらふらと、それでも一歩一歩エイルはヴェルの方へ歩いていく。
「エイル・・・」
ヴェルはその翼でエイルに雪がかからないように傘をつくる。その下をエイルは歩ていく。
「お、とぅ・・・たん」
ついにエイルはヴェルの胸に生えた羽毛に飛びついた。ふんわりとした感触と熱がエイルを包む。
「おとう、たん・・・!おとぅ・・・たん!」
そして、その胸の羽毛はエイルの涙で熱く濡れていた。それは嬉しさと寂しさと今まで我慢してきた分の痛みの涙だった。
「エイル・・・!」
ヴェルは首を曲げ、なるべくエイルの近くにあろうとした。ヴェルは自分の顔の上を何かが熱いもの滴っているのを感じた。
「よく耐えた・・・よく生きていてくれた・・・我が娘よ・・・!」
エイルの無事を確かめて、安心し、緊張の糸が切れて、流れるそれが涙だとヴェルはしばらく気が付かなかった。
ヴェルは自らの娘をその胸にしばらく抱いたまま、その熱を感じていた。




