19.白翼竜、暁に飛び立つ
空が白み、夜が明け始める。『狼の冬』であるこの時期では吹雪の空が黒色から灰色になるくらいの違いしかないが、それでもヴェルの目には数理先まで見通すことのできる明るさだ。
運がいいことにヴェルガルド周辺の気候は、『狼の冬』にしては随分と穏やかだ。
テラスではレギスたち魔物がヴェルに鞄篭を付ける作業を終えた所だ。
鞄篭は馬車の荷車ほどの大きさで世界樹の枝の骨組みに魔物の革を張り、脂で固めたものだ。内部は特殊な2重構造となっており、常に中が水平になるような回転軸を持つ作りである。
中は荷物への衝撃を少なくするために毛皮張りであったが、人を乗せるとあって急ごしらえの固定されたベンチが取り付けられた。また、そのベンチには体を固定するためのベルトが付けられている。
鞄篭の固定ベルトには世界樹の枝の皮の繊維と魔物の繊維をより合わせたものが使われている。鞄篭の固定ベルトはヴェルの羽根の付けねと前足の付け根、それから胸を通すようにしっかりと締められた。試しにミネヴァが乗り込み、ヴェルが試運転したが巡航速度であればさして衝撃は感じず、また鞄篭のずれもなかった。
鞄篭を取り付けたヴェルは今テラスでじっと座っていた。医者のところまでの物資を鞄篭に入れているため、動くことができなかったのだ。
「ヴェル様、どうでしょうですか。
鞄篭のベルトがよれて痒いとか痛いとかはないですか」
ヴェルが退屈しているかと思ったのか、ミネヴァが話しかけてきた。ミネヴァの顔には幾分の疲れが見えた。何せ、今回の計画はミネヴァが実質責任者であり、昨夜からほぼ眠らずに物資の手配、空路の設定、その過程での懸念事項の案だしと対策、医者への取次の計画を一手に引き受けていたのだ。
さらに言うと、空路におけるガイドや医者との交渉もあるため、さらに1日は彼女は眠ることはできない。そう考えるとさすがにヴェルも彼女には頭が下がる思いである。
「むう。
この鞄篭と言うものは付けたら動きにくいと思ったが、あまり動きを邪魔しないな」
「ええ、そりゃもうヴェル様の体に合わせて作りましたから、動きにくいと言うことはないです。
筋肉、骨格の動きも考慮していますですので、普段通りに動けるはずです」
「・・・ちょっと待て。部下にも体を触らせることはほぼ皆無なのに、なぜおまえが俺の体のことを知っているのだ」
「それは企業秘密です」
舌をちろりと出して笑うミネヴァを見て、ヴェルはため息をついた。
こいつは信用できるし信頼もできるが、いまいち安心できない。シャバ代を免除しようかと思ったがちょっと考えよう、とヴェルは思ったが黙っていた。そんなことをミネヴァが知ったら卒倒ものだ。
「では、そろそろお時間ですので、エイル様とフレイアさんをお連れ致しますです」
そう言って、ミネヴァは小屋へと消えていった。
ヴェルと一緒に行くメンバーはフレイア、ミネヴァ、エイル、それからスコルであった。と言うのも、万が一に備えて戦闘が出来るメンバーが必要であるのだが、レギスやオルゴ―のような純粋な人間とは違う容姿のものを連れて行くと医者に警戒される恐れがある。平時に人間とほぼ同じ姿をとれ、そして最も戦闘での信用がおけるのがスコルだったのだ。
面々はヴェルの胸につけられた鞄篭に乗り込んだ。ミネヴァとスコルは鞄篭前方の外を見るためのスリットの近くに座らされた。常に外の様子を伺い、空路を間違えていないか確認するためだ。
「うう・・・さすがにスリットで外が見える位置は怖いです」
「も~、弱気なこと言わないの~。
あなたがいないとエイルさまを助けられないんだから~。
途中で居眠りしたら鞄篭から突き落とすよ~」
「ひええ」
自分の胸元で聞こえる会話を聞きながら、ヴェルは飛び立つ時間を待っていた。と、そこにテラスに入ってくるものたちがいた。
竜民たちである。その後ろからレギスが追いかけてくる。
「すみません、ヴェル様!
どうしてもと押し切られまして」
「ヴェル様!エイル様が重病とお聞きして!」
「遠くの医者に連れて行くって本当ですか!?」
今は一刻を争う事態である。理屈で言えば、竜民なぞ放っておいてさっさと飛び上がってしまえばいいだろう。だが、ヴェルはそうしなかった。
「エイルさまが居なくなってしまったら、俺たちどこに行けばいいのか・・・。
いや、そんなことじゃない!おこがましいかもしれませんがエイルさまはヴェル様のお子であると同時に、俺たちの子でもあるんです!」
竜民たちの目は確かに心配の色があった。それは自分の未来ではなく、今鞄篭の中でうなされているエイルに向けられている。
奴隷たちにとって、ヴェルガルドの子供であるエイルとグレンは未来の象徴であった。
(こいつらも俺と同じなのだ)
エイルが竜民に慕われているのはヴェルも十分承知である。彼らも自分と同じくエイルに訪れる結末がどうであれ納得がしたいのだとヴェルは理解した。
突然彼らが慕う赤子が知らない間に奪われるという苦痛を彼らに与えるのは許されざる不徳であるとヴェルは感じた。何故なら自分自身も彼らと同じく納得したいという感情で行動を起こしているからだ。
「そうだ。エイルは重病だ。
それ故に治せるかもしれない医者に会いに行く」
ヴェルは嘘偽りなく竜民に告げる。
「そんな・・・」
「エイル様・・・」
「せめて、一目でもエイルさまに合わせてくれませんか」
「駄目だ。エイルの病はうつるかもしれない。
今、この鞄篭に載っているもの達はうつることを覚悟しているのだ」
「だったらぁ、せめてこれを渡せねえですかぁ」
そう言って、竜民を代表して出てきたのはアンディである。元御者の彼は普段は荷物の運搬作業や街の番兵を行っている。その手には膨らんだ革袋があった。
「これぁ、竜民の人々がエイル様のために作った病気避けや守りでさぁ。
まあ、いろんな出自の人が集まってるんで、果物を乾かして巾着に居れたお守りだったり、石のナイフだったりとまとまりゃあないですが、重いとして受け取ってほしんですが」
「わかった。スリットから中のスコルに渡せ」
さすがに竜民達の想いまで無下にすることはヴェルにはできなかった。
竜民のお守りなどを詰めた革袋はスリットからスコルに渡された。
「お前たちの想いは確かに受け取った。
・・・その想いに報いれるよう、俺もエイルを守る」
「そんな!ヴェル様がそのような!」
「そうです、俺たちが勝手に思っているだけです」
「いや、今、お前達と俺の気持ちは同じだ。竜民よ。
必ずや、エイルを元気な姿で連れて帰る」
そう言って、ヴェルは翼を大きく広げた。
出発の時間である。ちょうど風も止み、雪も小降りとなった。それどころか厚い雪雲に切れ目が出来、朝日が光の帯となって大地を照らしている。
これ以上良い出発の時間はなかった。
「行くぞ!」
ヴェルの翼が大きく羽ばたきだす。その巨体がふわりと浮かび上がる。
「ヴェル様、どうかお待ちしております!」
「エイル様を!」
そうして、竜民たちはヴェルをいつまでも見送っていた。
―――
「行ってしまったのぅ」
それを少し離れた所で見ていたのは、オルゴ―とカミラだった。
「まったく、人間の娘にあそこまで入れ込むなんて、少し妬けるわ」
「ほほ、お前さんはヴェル様のことを格別に慕っているからの。
1年前に現れた赤子に取られれば、そりゃ嫉妬で餅も焼けよう」
「むっ!」
「おお、怖い怖い。お主の魔眼に魅入られたら、息の根もとまろうというもの。
おっと、ワシの息の根は300年前に止まっておったか、カカカ」
カミラは怒りの魔眼を向けた。それは無防備な人であれば心臓が止まるほど強い力が込められていたが、オルゴ―は既に心臓も息の根も止まっている身であるので特に影響はない。
「まあ、ヴェル様が自分が育てている赤子に入れ込むのも、もしかしたら無理もないのかもしれないの」
「・・・どういうこと?」
かなり曖昧に、そしてもったいぶった言い方をするオルゴ―にカミラは疑問の目を向ける。
「まあ、300年前、ワシが生きていたころのおとぎ話よな。
少し聞いてくれんかの。
『昔、あるところに竜の子がいました。その竜は翼が鱗ではなく、鳥のような白い羽で覆われていました。
竜の子はその変わった姿から誰にも仲間に入れてもらえず、ひとりぼっちだったのです。
ある時、竜の子は美しい人間の娘に出会いました。竜は人間の娘に恋をし、娘も独りぼっちの竜を憐れみ寄り添いました。
そうすると何の奇跡か娘の姿は竜へと変わったのです。二匹は自然と番となりました。
そうして、二匹の間には卵が出来たました。だが卵を産んだときの病で娘は死んでしまいました。
さらに、孵った卵から出てきたものは竜の姿も人の姿もしていない魔物をして化け物と言われるものだったです。
その子は竜のように空を飛ぶことも人のように二本の脚であることもなく、数年で死んでしまいました。
今でも一匹残された竜の泣き声が山の向こうから聞こえるのです』
おしまい」
オルゴ―の昔話を聞いて、カミラは目を丸くした。
「白い翼の竜って・・・ヴェルのこと!?」
「さあのぉ、ヴェル様がはたして御年いくつなのか、子供がいたのかさえ、ワシは知らんしそんな失礼なことを聞く気もないからの。
それに人が竜になるなんぞ、与太話にもほどがある。竜と人との姿の行き来が出来る法があるならぜひとも知りたいものじゃ。
この話も魔物との異種交配は愛があってもいかんという分離政策のような教訓じゃしな。
そういった話をつくりたい昔の人の想像がたまたまヴェル様の姿を映していたか、ヴェル様のような竜が実際にいたのか、はたまたおとぎ話の竜はヴェル様そのものか。
神のみぞ知ると言う奴じゃ、カカ」
そう言って笑うと、オルゴ―は再びヴェルの飛んでいった方向へ目を向け、小さく独り想いを口にする。
「果たしてワシの幼き日にきいたあのおとぎ話がヴェル様のものであったら。
きっと妻の死も子供の死も納得がいっておらんじゃろう。
さすれば自らを慕う幼子を己が子と重ね、今度こそ納得のいく結論を出したいと考えるのもまた自然じゃろうて」
その言葉は『狼の冬』の風音にかき消された。先ほどまでの小康状態が崩れ、また天候が荒れてきた。
「さて、荒れてきたことじゃし、室内に戻るとするか。
老骨には寒さが染みるからのう。おっと、もう血も涙も乾いて凍るものもないがの」
「・・・そうね」
考え込んでいるカミラを誘導し、オルゴ―は遺跡の中へと入っていく。そして、もう一度だけ荒れ模様となった空を見上げた。
(無事についておくれよ・・・)
オルゴ―の目にはもはやヴェルの影も映らず、その耳にはただ吹雪の音だけが聞こえていた。




