修羅の如き令嬢、酒の席にて改心する
第3章 修羅の如き令嬢、酒の席にて改心する
第1節 カニ鍋の余韻に浸る相田の前に現れたのは、焦燥という名の鬼火を纏ったトップランカーだった
【相田視点】
地下水道ダンジョンの最奥。先程まで巨大なマッドクラブが鎮座していた空間は、今や芳醇なカニ出汁の香りにすっかり包まれていた。
配信を終えた相田は、ワンカップ大関の空き瓶を転がしながら、満ち足りた気分で晩酌の余韻に浸っていた。
「ふぅ、食った食った。やっぱりカニは最高だな」
相田は「来た時よりも美しく」という小市民的な流儀に従い、携帯コンロをリュックにしまい、カニの殻や空き缶などのゴミをビニール袋にまとめて帰る準備をしていた。
その時だった。
静寂を切り裂くような、鋭利でヒリヒリとした殺気がダンジョンの通路から吹き抜けてきた。
カツ、カツ、カツ。
硬質な足音と共に薄暗がりから現れたのは、一人の少女だった。
煌びやかな銀髪に、透き通るような白磁の肌。深紅のオーダーメイド軽鎧を纏い、手には身の丈ほどもある巨大なハルバード(戦斧槍)を握りしめている。
国内屈指のトップクラン『天照』の次期当主にして、Sランク探索者候補と名高い神宮寺麗華。
だが、その美しい出で立ちとは裏腹に、彼女の瞳は充血し、獲物を探す飢えた獣のように狂気と焦燥感を孕んでいた。
「……見つけましたわ」
ネットの監視カメラ映像から相田を探し出した麗華は、切迫した声でハルバードの石突きを地面に叩きつけた。
「私に欠けている『強さの真理(無我)』を、貴方のその拳で暴いてみせますわ!」
(うわぁ……)
突然現れて物騒な凶器を振り回すヤバい少女を見て、相田は猛烈にウンザリした。
(絶対に関わっちゃダメな、面倒くさいのが来た。早く帰って寝たいのに……)
だが、相田の胸ポケットで昼寝をしていた灰色の毛玉が、そのネガティブな感情にピクりと起き出した。相田以外の第三者には絶対に見えない毛玉は、相田の胸元からひょっこりと顔(?)を出す。
毛玉は、相田の「面倒くさい、逃げたい」という逃避の感情と、目の前の麗華から立ち昇るどす黒い執着のオーラ(ストレス)の両方を「極上の苦味」としてロックオンした。
『美味しそうな匂いがするぞ。あの娘、とっても苦しそうだぞ』
毛玉は相田のネガティブな感情をスゥーッと吸い込むと、それを美味しいエサとして咀嚼した。
『肩の荷を下ろして、たっぷり吸ってやってほしいんだぞ』
毛玉によってストレスを「ポジティブな解決意欲」へと変換して還元された相田は、先程までのウンザリした気分が嘘のように晴れていくのを感じた。
(……しょうがないな。少しだけ相手をしてから帰るか)
相田は、休日に親戚のやんちゃな子供の相手をするような気楽な感覚で、ため息を一つついて麗華と向き合った。
第2節 強さへの渇望に蝕まれた少女の猛攻を、相田は暖簾のように受け流し続ける
「構えなさい!」
咆哮と共に、麗華が地を蹴った。
音速を超える踏み込み。戦車すら両断するという必殺のハルバードの一撃が、相田の脳天めがけて真っ直ぐに振り下ろされる。
(うわっ! あんなの当たったら真っ二つじゃん! 怖い怖い!)
相田は普通に命の危険を感じて、強烈にビビり上がった。
しかし、すかさず毛玉が相田のその「恐怖と生存本能」をズズッと吸い上げ、瞬時に「極限の動体視力」と「全てを受け流す滑らかな回避力」へと変換して相田の身体に巡らせた。
その結果、相田の目には、麗華の超高速の斬撃がまるでスローモーションのようにゆっくりと映った。相田は、飛んできたボールを避けるような気怠い動作で半身を引き、巨大な刃を鼻先数センチで躱してしまう。
「なっ……なぜ当たらないの!」
全力の一撃をあくびが出るような動作で躱された麗華は驚愕し、さらに焦りを募らせて怒涛の追撃を繰り出した。
横薙ぎ、突き、袈裟斬り。
ダンジョンのコンクリートの壁が紙のように破壊され、瓦礫が舞う嵐のような連撃。
(うわー、壁が壊れた。公共物を壊したら弁償とかさせられるのかな、嫌だなあ)
相田自身は極めてネガティブにビビりながら逃げ回っているつもりだったが、毛玉の回避力変換が働き続けているため、傍目には柳のように揺らめき、最小限の動きで刃の軌道を逸らす無敵の達人にしか見えなかった。
誰よりも強くなりたいという強迫観念に蝕まれている麗華は、全く当たらないことに焦り、次第に呼吸が荒くなり、精密だった技が雑になっていく。
『苦味がすっかり熟成されたぞ。そろそろ食べ頃だぞ』
毛玉の優しげな声に促され、相田は暴れ回る少女の姿を見つめた。
(彼女も随分と疲れてるみたいだし、そろそろ休ませてあげよう)
相田は、麗華が大振りの突きを放った瞬間に合わせて、一歩スッと踏み込んだ。
そこは本来、ハルバードの刃が届く死の領域。だが、相田はまるで散歩でもしているかのような足取りで、彼女の最も無防備な間合いの内側へと入り込んだ。
第3節 圧倒的な実力差を見せつけられた麗華は、魂を揺さぶる一撃によって強制的に停止させられる
【麗華視点】
麗華は凍りついた。
自分の手首を、いつの間にか男の手が掴んでいたのだ。
それは鋼鉄の万力などではない。赤子をあやすような、温かく柔らかい手。
それなのに、ピクリとも動かせない。どんなに力を込めても、ハルバードを引くことも押すこともできない。まるで、大自然の法則そのものに固定されたかのような、絶対的な静止。
これが、圧倒的な実力差。存在としての格の違い。
「少し、肩の力を抜きましょうか」
相田が優しく微笑む。
「生き急いでいますね。呼吸が浅いですよ」
その言葉は、麗華の心の一番脆い部分を撫でるように響いた。
かつてのブラック企業で心をすり減らしていた相田が、「結果(強さ)を求めて生き急ぎ、息苦しそうにしている麗華」に深く同情してかけた、限界社畜時代に自分自身が言われたかったであろう労いの言葉。
そして相田は、空いている方の手を麗華の鳩尾にそっとかざした。
「還りなさい」
パチン。
ただの、軽いデコピンだった。
物理的な衝撃は皆無に等しい。だが、その指先から放たれたのは、相田の「彼女を楽にしてあげたい」という願いを、毛玉が「ストレスを強制解除する純粋なる安らぎの波動」に変換して打ち込んだものだった。
ドクンッ。
麗華の心臓が大きく跳ねた。
次の瞬間、今まで彼女が背負っていた重圧、強さへの狂気的な焦燥感、絶対に負けられないという恐怖が、砂の城が崩れるように一瞬で消え去っていった。
張り詰めていた神経の糸が、プツンと切れた。
カラン……。
指先から力が抜け、ハルバードが床に転がる。
麗華は膝から崩れ落ち、冷たい床に這いつくばった。
視線を上げると、逆光の中に立つ相田の姿があった。あまりにも巨大で、あまりにも慈悲深く、そして温かい。
「……負け、ました……」
麗華は、涙で滲む視界の中で、圧倒的な敗北感を胸に完敗を認めた。
【相田視点】
相田は床にへたり込んだ麗華の前に屈み込むと、リュックをごそごそと探った。
取り出したのは、会社員時代に備品からくすねていた、未開封の安物ポーションだ。
「これをどうぞ。少し落ち着きますよ」
相田は蓋を開け、震える麗華の口元にそっと差し出した。
第4節 相田の説く味わうことの大切さに涙し、麗華は憑き物が落ちたように弟子入りを志願する
ポーションを飲んだ麗華は、それがただの安物の回復薬であるにもかかわらず、心が安らいでいるためか、まるで甘露のように「おいしい」と感じていた。
相田は、自分も残っていたワンカップの残りをチビリと飲みながら、不思議そうに尋ねた。
「君は、何のためにそんなに急いでるんですか?」
麗華は少し俯き、震える声で答える。
「誰にも、負けないためです……。負けたら、私の価値がなくなってしまうから……」
その悲痛な答えを聞いて、相田はふむ、とダンジョンの薄暗い天井(夜空のつもり)を見上げた。
「さっき、カニ鍋を食べたんですけどね」
「……カニ?」
「ええ。カニ鍋は、急いで食べようとすると殻が刺さって痛いんですよ。ゆっくり、身をほじくって、その繊維の一本一本を舌で味わう。それが一番美味しいんです」
相田は、さっきの夕食を例に出しただけの、極めて小市民的なアドバイスを口にした。
「強くなることも大事なんでしょうけど、その過程を楽しまなきゃ、ただの苦痛な作業(サビ残)です。君の生き方は、カニを殻ごとバリバリ食ってるみたいで、見ていて痛々しかった」
だが、この相田の適当な例え話が、毛玉の放つ安らぎの波動の影響も相まって、麗華の心には「結果だけを求めず、過程を味わうという強さの本質(真理)」として、深々と突き刺さった。
――私は、強さを求めるあまり、自分自身を傷つけていた。過程を無視し、結果だけを求めていた。
その事実に気づいた瞬間、麗華の中で堰き止められていた感情が決壊した。
「ああ……私、間違っていました……!」
憑き物が落ちたように、麗華は子供のように声を上げて号泣し始めた。
相田は「言い過ぎたかな」と少し焦りながら、困ったように彼女の背中をポンポンとさすってやった。
数分後。
すっかり泣き止んだ麗華の表情は、先程までの狂気が嘘のように晴れやかだった。充血していた瞳は美しい碧眼に戻り、頬にはほんのりと赤みが差している。
彼女は居住まいを正すと、相田に向かって唐突に深々と土下座をした。
「私を弟子にしてください、師匠!」
「……はい?」
「貴方のその『味わう強さ』、そして『無我の境地』……生涯をかけて学びたいのです!」
「いやいや、私はただの無職のおじさんだから……」
面倒事に巻き込まれたくない相田が断ろうとした時、胸ポケットの毛玉がポンッと跳ねた。
『良質な感情エネルギーの供給源になるから、飼っておくんだぞ』
毛玉から強烈なゴーサイン(圧)が出されたため、相田ははぁとため息をつき、渋々了承することにした。
「……まあ、邪魔しないならいいですけど」
「ありがとうございます!」
改心してすっかり相田の信者(弟子)となったトップランカーの麗華は、パッと立ち上がると、相田の安物リュックと生臭いゴミ袋をひったくった。
「師匠のお荷物……いえ、聖遺物は私が丁重にお持ちいたします!」
最高級の軽鎧を着た令嬢が、コンビニのゴミ袋を嬉々として持ち歩くというシュールな光景。
相田はツッコミを諦め、地下水道の出口に向かって歩き出した。
最強の社畜(元)と、勘違い全開の令嬢。奇妙な師弟関係は、こうしてひっそりと幕を開けたのだった。




