初対面
「侵入者の反応があったから来てみれば、君かい……ヒロくん」
そこに立っていたのは、いつも酒場で気さくに冗談を言い合っていた「おしゃべりおじさん」の姿ではなかった。アルヴィンの顔に浮かんでいたのは、これ以上ないほど冷徹で、一切の妥協を許さない宮廷魔術師団団長としての険しさそのものだった。
「……すいません、アルヴィンさん」
冷や汗が背中を伝う。ここまで感情のままに足を踏み入れてしまったことを、ヒロは今になって激しく後悔していた。アルヴィンの最高峰の幻影魔法で守られた領域なのだ。そこに何らかの干渉を加えれば、術者本人に気づかれることなど最初から分かっていたはずなのに。
「謝って済む問題じゃないよ。王宮の禁忌に触れたんだ。それ相応の処分を覚悟してもらう……。それに、どうやってここまで来たんだい? 私の結界を抜けて、ここまで辿り着けるはずがないんだけどね」
追及するような冷たい視線に射抜かれながら、ヒロは震える声で、先ほど起きた出来事を必死に説明した。
途中で魔力灯が不自然に点滅したこと、まるでその光に導かれるように道が開けたこと、そして、その規則正しい瞬きがここへと自分を案内したのだと。
ヒロの言葉を聞き進めるにつれて、アルヴィンの表情がみるみる変わっていく。最初は疑わしげだったその目が、やがて驚愕の色に染まり、最後には信じられないものを見るかのように大きく見開かれた。
すべてを語り終えると、アルヴィンは息を呑み、わずかに声を震わせた。
「そ、そんな……! まさか……!?」
目の前で激しく動揺するアルヴィンの姿に、ヒロはただ混乱するばかりだった。
(一体、何にそんなに驚いてるんだ……? 僕が無断でここまで侵入してきたからじゃなくて、魔力灯の点滅の話に……?)
なぜ彼がここまで狼狽えているのか、その理由がまったく分からないまま首を傾げていると、アルヴィンは突然、鬼気迫る表情でヒロの手首を掴み、有無を言わせず引っ張るように歩き出した。
「ヒロくん! 行くよ!」
手首が千切れそうなほど痛い。その力任せな引っ張り方に抗うこともできず、ヒロは必死の思いでその後をついていくしかなかった。
地下の階段を、ただひたすら上へ、上へと駆け上がる。
このまま地下のどこか暗い牢屋に放り込まれるのか、それとも王宮の秘密を見た罪でその場で処刑でもされるのか――最悪の想像が頭を駆け巡り、心臓の音がうるさいほどに鳴り響く。
(この場所は……確か――)
ヒロの思考が追いつかないまま、アルヴィンが通路の突き当たりにある重厚な扉を荒々しく押し開いた。
夜の冷気がふわりと肌を撫でる。
そこにあったのは、冷たい地下道ではない。豪華な調度品が並び、月明かりが美しく差し込む、見慣れた王宮の廊下だった。
突然現れた二人に、深夜の警備にあたっていた衛兵たちが武器に手をかけ、一斉にざわめき立つ。
「なっ、ゼノス様……!? 一体、夜更けにそのような場所から……!」
衛兵たちの鋭い声が飛ぶのも構わず、アルヴィンは荒い息を整えもせず、怒号のような声を張り上げた。
「――陛下を今すぐ叩き起こしてくれ!! それと、王女殿下とセバスさんもだ!!」
アルヴィンのただならぬ気迫と剣幕に圧倒され、衛兵たちは一瞬たじろいだものの、すぐに「はっ!」と返事をして暗い廊下の向こうへ一目散に駆け出していった。
ヒロは相変わらずしっかりと腕を引かれ、宮殿の廊下を引っ張られていく。今さらジタバタしても無駄だと悟り、半ば諦めたような心持ちでただ足を進めるしかなかった。
アルヴィンが廊下の途中にあった、金色の装飾が施されたひときわ重厚な扉を乱暴に開け放つ。
中に足を踏み入れると、そこは天井が高く、足音が心地よく反響するほどの広大な空間だった。その突き当たり、一段高くなった場所に鎮座している荘厳な椅子を見て、ヒロはすぐにそこがどこであるかを悟った。
――謁見の間。
しんと静まり返ったその部屋を見渡していると、遠くの通路からバタバタと慌ただしい足音が近づいてきた。
やがて扉が開き、飛び込んできたのはアンとセバスだった。
セバスは深夜の呼び出しだというのに、いつものパリッとした執事服に身を包み、背筋をピンと伸ばした隙のない立ち姿のままである。対してアンは、寝巻きの上から上着を急いで羽織っただけの姿で、目をこすりながらウトウトと半分眠っているような顔でフラフラと歩いてきていた。
「んぅ……? こんな夜中に、いったい何の騒ぎ……?」
アンが小さくあくびを噛み殺していると、少し遅れて、重々しい足音とともに国王が姿を現した。
王は周囲の慌ただしさをよそに、まっすぐと玉座へと歩みを進め、どっかりと腰を下ろす。
絢爛豪華な服装とは裏腹に、そこに座った国王のたたずまいは驚くほど自然体だった。威厳や権力の誇示などは微塵もなく、まるで茶飲み話でも始めるかのような、柔らかく温かな笑顔をヒロに向けていた。
拍子抜けするほど朗らかな王の姿に気圧されつつも、ヒロはふと今の状況の異常さに気づいてハッと息を呑んだ。深夜にパジャマ姿の王女と、最強の剣聖、宮廷魔術師団長に囲まれ、王の目の前に立っている。
「……すいません。その、こういう礼儀作法とか、よく分からなくて……」
慌てて頭を下げようとするヒロに対し、アルバスは「はっはっはっ!」と豪快に笑いながら、気にするなとばかりに大きく手を振った。
「構わぬ構わぬ!……おっ、そういえば礼儀といえばそうじゃな、一応、挨拶をしておこうかの。おほんっ!ヴェストリア王国、第三十八代国王、アルバスである」
その言葉に背筋をピンと伸ばしたヒロは、見よう見まねで慌てて腰を深く折り、カチコチになりながらお辞儀をした。
「あー、えーっと、平民で、その……冒険者見習いの……」
すべて言い切る前に、アルバスは片手を挙げてヒロの言葉を優しく制した。
「知っておるよ。ヒロじゃろう?」
その言葉に、ヒロは思わず目を丸くして顔を上げた。なぜ、国の頂点に立つ国王陛下が、自分のような職人、それも一介の見習い冒険者の名前を知っているのか。
驚愕に目を見開くヒロの疑問を、アルバスはすべてお見通しだと言わばかりに、隣でまだ目をこすっている寝ぼけ眼のアンをチラリと見てから、愉快そうに笑った。
「なに、二度も我が愛娘を救ってくれた恩人じゃからな。知らんわけがあるまいよ」
その言葉を聞いたヒロは、呆れたようにほっぺたをぽりぽりと掻いた。
「いや、一度目はともかく……二度目の事件なんて、箝口令が敷かれていたはずじゃ……」
ヒロが苦笑しながらそう呟くと、アルバスは「ぽかん」と間抜けに口を開けたあと、すぐに腹を抱えて大笑いを始めた。
「わっはっはっはっ! 面白いやつじゃのう! この場所で今さら隠す必要もあるまい!」
――確かに、言われてみればその通りだった。
ここにいるのは、当事者である王族と、事情を知る者たちばかりだ。今さら隠し立てする必要などない。
怯えながら地下から引きずり出されてきたときは、どうなることかと思ったが、目の前で豪快に笑うアルバスを見ていると、処罰を言い渡されるようなピリピリした空気は微塵も感じられなかった。すっかり肩透かしを食ったヒロは、緊張の糸がプツリと切れ、どこか脱力したように大きく息をつくのだった。
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