導き
その日の夜、日付が変わる頃。
ヒロは一人、静まり返った闇の中に溶け込むようにして、王宮地下へと通じる入り口の前に立っていた。それはかつて、帝国からの侵入者が密かに出入りしていた扉だった。
脳裏に焼きついている、当時の鍵穴の微細な痕跡。記憶を辿りながら、ヒロは指先から当時の侵入者と同じように魔力を正確に流し込む。カチャリと静かな硬質音が響き、音もなく重い扉が開いた。
ひんやりとした湿った空気が顔を撫でる。
(……こんなこと、見つかったらただじゃ済まないけど……)
しばらく階段の先の暗闇を見つめた後、意を決して足を踏み出した。
地下へと続く暗い階段を一段、また一段と降りていくたびに、罪悪感で、ヒロの胸がキュッと締め付けられるように痛んだ。
それでも、足を止めることはできなかった。
どうしても自分の目で魔力炉の正体を確かめたかった。そして何より、スラムに生きる人々へ本当の意味での『最低限の生活』を届けたかったのだ。
最後に来たのは一年以上も前だというのに、不思議と足取りは迷わなかった。体にしみ込んだ地下道の構造を頼りに歩を進め、やがてかつて帝国兵たちが拠点にしていた「アジト跡」へと辿り着く。
見渡せば、あの時ヒロ自身が修復し、完璧に元通りへと戻した場所だ。そこに以前は隠れ家があったことなど微塵も感じさせないほど、ただひそやかに、自然な地下道がその先へと続いていた。
ヒロは王宮の真下、その中心へと向かって足を向け、ただひたすらに歩き続けた。
しかし、どれだけまっすぐ進んでいるつもりでも、気づけば足はまるで磁石に反発するように王宮から遠ざかる方向へと歩き出していたのだ。
ヒロは何度も立ち止まり、中心へと向き直り、再び歩き出す。だが、どれほど慎重に歩みを進めても、ほんの少しもその「中心」へ辿り着くことはできなかった。空間そのものが歪められているかのように、歩けば歩くほど目的地がすり替わっていく。
――さすが、アルヴィンさんだね。
ふと、ヒロの脳裏に、王宮に仕える宮廷魔術師団長の顔が浮かんだ。普段は気さくで親しみやすい、酒好きのおしゃべりなおじさんという印象しかない。しかし、腐っても王国の魔術師の頂点に立つ男。その彼が本気で張り巡らせた結界や幻影魔法の網を、一介の職人が単身で破ろうなどというのがそもそも無謀だったのだ。
これ以上進んでも無駄だと悟り、冷や汗を拭いながらヒロはため息をついた。
「……今日はここまでか。諦めて帰るしかないな」
そう呟いて踵を返そうとした、その時だった。
ヒロの真横の壁に備え付けられていた、薄暗い地下道を照らすための魔力灯が、ほんの一瞬だけ、強く点滅した。
「……えっ?」
予期せぬ光の瞬きに、ヒロは思わず足を止める。
不気味な静寂に包まれた地下道で、その挙動はあまりにも不自然だった。故障か、それとも魔力供給の波に乱れがあるのか――。
恐怖よりも先に、長年地下道や魔導具と向き合ってきた職人としての血が騒ぐ。ヒロは点滅した魔力灯へと近づくと、手際よく点検を始めた。
魔力灯の内部構造を慎重に調べ、配線を辿り、魔力の流れを一つひとつ丁寧に確認していく。しかし、点検を進めれば進めるほど、頭の中には疑問符しか浮かばなくなっていった。
(……おかしい。どこも壊れてない……どころか、魔力の循環は完璧すぎるほど正常だ)
回路のショートも、魔力の滞りもない。故障という可能性を完全に潰し切ったあと、ヒロは手元から顔を上げ、ガシガシと自分の頭を掻きむしった。
その時だった。
すぐ隣にあった、別の魔力灯が一度だけ点滅した。
「え……?」
思考の隙を突かれたように、ヒロが息を呑む。
さらにその隣、また一つ先の魔力灯が、まるで呼吸をするかのように順繰りに点滅する。その光の連鎖は、奥へ奥へと規則正しく続いていく。
考えるよりも先に、ヒロの足が自然と動き出していた。
魔力灯の瞬きに導かれるまま、ヒロは足早にその光を追いかける。先ほどまで何度迷い込んでも決して進めなかった、あの出口のない回廊とはまったく違う景色。見覚えのない通路をどんどん進んでいく。
(どこだここ……? さっきまで歩いてた場所と、明らかに構造が違う、いや、古い…….?)
胸の奥で、ほんの小さな不安のざわめきが広がる。しかしそれを圧倒するほどの、未知の地下空間に対する激しい好奇心が、ヒロの足をさらに加速させた。
しばらく迷路のように入り組んだ道を歩き続け、やがて狭かった地下道がふっと開けた瞬間、ヒロの視界に信じられないほど巨大な空間が飛び込んできた。
天井がはるか高くに見えるほどの広大な地下空洞。
その中心にそびえ立つのは、禍々しいまでに巨大な鉄の扉だった。
そして、その扉のすぐ手前――。
腕を組み、静かにこちらを見据える、見覚えのある人物が一人立っていた。
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