不可解
ヒロのその一言が投じられた瞬間、会議室の空気は一変して張り詰めた緊張感に支配された。
役人たちが持っていたペンをピタリと止め、職人たちが一斉にヒロへと視線を尖らせる。ヒロの問いかけを皮切りに、会議は計画を巡って大きく二分されることになったのだ。
一方は、将来的な街の拡張や利便性の向上を見据え、最初から太い魔力導管を通すべきだとする「将来性」重視の意見。
もう一方は、限られた予算と現在の供給量を鑑みて最低限の細い導管を引き、一刻も早い住居の建設と上下水道の稼働を急ぐべきだとする「現実性」重視の意見だった。
議論の焦点となった太い導管の敷設には、現実的な壁があまりにも多すぎた。何よりもまず巨額の費用がのしかかり、さらに工事期間も膨れ上がる。それに、足かせとなっているのは、肝心の魔力供給量そのものが、今後増える見込みが今のところ一切ないという事実だった。
無い袖は振れないと言わんばかりに、手堅い役人たちはその無謀さを強く指摘する。
対して、細い導管であれば工費を大幅に抑えることができ、導管自体の製作も格段に早い。それに伴って地下道自体の掘削規模も狭く小さく済むため、結果としてスラム住民たちが待ち望んでいる住居の完成までを圧倒的に早められるという大きなメリットがあった。今すぐ安全な生活環境を届けるという大義名分において、それは揺るぎない選択肢だった。
「これ以上の遅延は許されない! 一日でも早く生活基盤を整えるのが我々の役目だ!」
「だが、ここでケチって細いものを通せば、数年後に街が発展したときにもう一度全部掘り返すことになるんだぞ!」
双方の主張がぶつかり合い、会議室の熱はみるみるうちに上がっていく。将来を見据えて今備えるべきだという声と、まずは目の前の暮らしを一日でも早く救うべきだという声が真っ向から激突し、議論は激しさを増していった。
「……もし、使える魔力が増えたら、どうします?」
唐突にヒロの口から放たれたその一言に、先ほどまで激しく言い争っていた会議室の空気が嘘のように静まり返った。全員の視線が、一斉にヒロへと集まる。
「どういうことだ?」
険しい顔をした役人の一人が問い質すと、ヒロは臆することなくまっすぐに見据えて答えた。
「生み出される魔力が増えないのであれば、使える魔力の効率を良くする。つまり……魔力炉の本体を改修するんです」
その大胆すぎる提案に、工房の職人たちも、役人たちも、一様に言葉を失って顔を見合わせた。
ヒロが言葉を続ける。
「この六年、ずっと地下にもぐって現場を見てきました。主幹部分の修繕もやったことがあります。でも、肝心の魔力炉やその周辺の仕事をしたことは一度もありません。」
それを聞いた頑固な親方は、腕を組んで深く唸った。
「俺も四十年やってるが一度もねぇな……。確かに、昔の設計のままだとしたら、そこを最新の技術で改修し直せば、炉から生み出される魔力の損失を少なくして、実質的な供給量を底上げできるってわけだな」
親方の納得したような低い声を聞き、役人たちは慌てたように手元の書類を引き寄せ、せわしなく羽ペンを走らせて計算を始めた。
「ま、待て、仮にそれが可能だとして……! いや、しかし工期と予算は――」
「待たなくていい。こうすればいいんだよ」
職人の一人が図面に線を引きながら提案する。
「施工をこれ以上遅らせないために、まずは地下道自体は予定通り最低限の狭さで掘り進める。もし魔力炉の改修が間に合わず、そこまで供給量が増えなかったとしても、最初から予定していた細い導管を引けばいい。逆に、炉の改修がうまくいって魔力が増産できたら、その時は掘削した地下道を後からでも拡大し、太い導管を引き直せるように拡張スペースを確保しておけばいいんだ!」
未来の可能性と現実の安全策を絶妙に噛み合わせたその折衷案に、会議室の空気が一気に前向きな熱を帯び始めた。これならどちらの意見も潰さずに、最善の道を選べる。
誰もがその青写真に活路を見出そうとした、その時だった。
重く、静かな空気のなかで、それまで黙って事態を見守っていたセバスが、スッと目を細めて口を開いた。
「――そこまでです。魔力炉の改修は、どうか諦めてください」
セバスのその一言は、先ほどまで活気に満ちていた会議室の温度を、一瞬にして氷点下へと叩き落とした。
「諦めろ……だと?」
親方が不機嫌そうに眉間を寄せ、役人たちも戸惑いの色を隠せない。今しがたヒロの提案をきっかけにまとまりかけた、合理的な折衷案を、理由も示さずに一蹴したのだ。全員が納得いかないというふうに不満を露わにし、険しい視線をセバスへと向けていた。
しかし――誰もが口を開きかけては、その言葉を飲み込んだ。
王女アンの専属執事でありながら、王国最強の「剣聖」と謳われる男。その圧倒的な実力と、王家への絶対的な忠誠心が生み出す重圧は、頑固な職人や堅物の役人たちを容易に沈黙させるだけの説得力を持っていた。セバスが「駄目だ」と言えば、それは個人の意見ではなく、国家の絶対的な不可侵領域の決定を意味する。
理不尽だと分かっていても、その凄まじい威圧感の前に、会議室の誰もがまともに異を唱えることができなかった。
結局、魔力炉の改修という踏み込んだ提案こそ見送られたものの、将来的に地下道を拡張できるスペースを確保しながら掘り進めるという折衷案のまま、会議は何とか着地した。
魔力炉そのものに手を加えることは禁じられたが、構造的に後からの拡張を可能にしておくこと自体には、誰も反対しなかったからだ。
会議が終わり、どっと疲労感を滲ませながら解散したあと、ヒロはアンとセバスに連れられるようにして王宮の大きな門まで見送られていた。
静まり返った石畳の通路で、アンは申し訳なさそうに眉をハの字に曲げ、ちらりとヒロの顔色をうかがう。
「ねえ、ヒロ……さっきはごめんね。……その、魔力炉は――」
「アン様。なりません」
アンの言葉を遮るように、セバスが静かでありながらも一切の妥協を許さない声音でピシャリと制した。
そのやり取りを目の当たりにして、ヒロはふっと小さく息をつき、やれやれといったふうに呆れたように肩をすくめた。
「はあ……どうせ、王家の秘密かなんかでしょ?」
ヒロの皮肉めいた言葉にアンが気まずそうに目を泳がせ、セバスが無言で厳しい視線を向けてくる。
王宮の重厚な門をくぐり抜け、外の喧騒が戻ってくるその去り際、ヒロは吐き捨てるように冷ややかな捨て台詞を投げつけた。
「――困ってる国民より、自分たちの都合や王家を守るのが優先なんだね。……帝国とは大違いだ」
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