敵と悪
口を開けば、いくらでも止めるための言葉なんて出てきたはずだ。
王女を攫おうとした敵国に行くなんて危険すぎる。
子供達だけで一体どうやって暮らしていくつもりだ。
しかし、ヒロの喉まで出かかったその言葉は、どうしても最後まで紡ぎ出すことができなかった。
国のスラム再開発計画が動き出したとはいえ、実際に街が生まれ変わり、彼らの生活が底上げされるまでに何年かかるのか――いや、そもそも本当に実現するのかすら誰にも分からない。
この場所で飢えや貧困に耐えながら燻り続けるのと、自らの足で世界を見るために旅立つのと、どちらが本当に彼らのためになるのか、ヒロにはもう分からなかった。
結局、強く引き止めることはできず、かといって賛成することもできぬまま、二人は「少し頭を冷やしてよく考えろ」と時間を稼ぐことでその場を誤魔化すのが精一杯だった。
答えの出ない問題に頭を支配されたまま、二人は沈んだ足取りで教会の門をくぐった。
いつもなら、足音を聞きつけて元気よく駆け寄ってくるはずの子供たちの姿は、今日の庭には見当たらない。
ガレスは太陽の位置をちらりと確認し、低い声で呟いた。
「……昼寝の時間だな」
ちょうどその時、教会の木の扉が音を立てて開いた。子供たちを寝かしつけ終えたのだろうあの神官が、静かに姿を現す。
神官は悩みくさった二人の顔を見るなり、クスリと上品に口元を隠して笑った。
「そんな顔してないで、ほら」
その穏やかな笑みに促されるまま、ヒロとガレスは神官と並んで教会の冷えた石段に腰を下ろした。
静寂に包まれた教会の前で、ヒロは膝に視線を落としたまま、絞り出すようにポツリ、ポツリと、先ほどスラムで子供たちから告げられた出来事を語り始めた。
神官は穏やかな笑みを浮かべたままヒロの言葉を最後までじっくりと聞いてくれた。そして、ヒロがすべてを語り終えると、ふうっと静かなため息を一つ吐いた。
「……そうですか。君たちでも、あの子たちの決意は止められませんでしたか」
不思議なことに、その声には悲壮感も、頭を悩ませるような苦苦しさも含まれていなかった。それどころか、どこか嬉しそうな響きすらあった。
ヒロは思わず目を丸くし、驚いたように隣の神官へと顔を向けた。
「……『君たちでも』って、どういうことですか?」
ヒロの反応に、神官はクスリと少し呆れたような笑みを浮かべて肩をすくめた。
「あの子たちのことなら、昔から全員知っていますよ。教会で保護しようと、何度も声をかけていますから。もちろん今回の件も、止めようとはしましたが……やっぱりダメでした!ははっ!」
神官のどこか呑気な様子に、ヒロは胸の奥がチクリと疼くような苛立ちを覚えた。
「なんでそんなに平気そうなんですかっ! あの子達はこれから、敵国である帝国に行こうとしているんですよ! もしかしたら、二度と戻ってこないかもしれないんです……!」
ヒロの真剣すぎる問いかけと、その隣で「ううむ」と腕を組んで難しそうにうなずいているガレスの真面目くさった顔を見て、ついに神官は我慢できなくなったように声を上げて吹き出した。
「ふふっ……あははっ!君たち……まさか帝国に行ったら、子どもだろうが何だろうが問答無用で捕まって処刑されるとでも思っているんですか?」
その指摘に、ヒロとガレスはハッとして顔を見合わせた。
言われてみれば、確かにそうだ。頭の片隅で「帝国=敵」「敵=恐ろしい悪の国」と勝手に決めつけ、実際にはありえないような想像して思い詰めていただけだった。
神官はそんな二人の様子に優しく目を細めると、クスリと笑いながら言葉を続けた。
「それに、本当にあの子たちが帝国までたどり着けると思いますか? 帝国までの道のりは果てしなく遠く、魔獣だってうろつく危険な道のりです。あの子たちは賢いですからね。調べたらすぐ気づいて諦めますよ」
そこで神官は言葉を区切り、ふっと視線を横へと滑らせた。
「――誰かさんが、『よし、俺が護衛して一緒に連れて行ってやる!』とか言い出さない限りは、ですがね」
そう言いながら、神官はからかうようないたずらっぽい笑みを浮かべて、じっとガレスの顔を見つめた。
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