目と耳
日曜日の朝、ベッドの中で目を覚ましたヒロは、窓の外から響いてくる、規則正しくも力強い音でぼんやりとした意識を覚醒させた。
小気味よく響く薪割りの音。
(……ああ、そうか。今日も、無事に帰ってきたんだな)
胸の奥に灯った小さな安心感と共に、ヒロはまだ眠気の残る目をこすりながら、心の中でそっと呟いた。
(……お帰り、ガレス)
ガレスは、以前とは比べ物にならないほど多忙を極めていた。ギルドから舞い込む危険な高難度依頼の数々を、文句一つこぼさずに完璧にこなしていく。
しかし、そんな中でも、ガレスには「絶対に譲れない条件」が一つだけあった。
それは、「日曜日だけは絶対に休む」というもの。
最初、その話を聞いたときは「Aランクの冒険者が何を我が儘を……」と、ヒロは呆れ返ったものだった。
だが、ガレスは頑として折れなかった。「俺もヒロと一緒の日に休む!!」と子供のように突っ張り、無理やりギルドにその条件を押し通したのだ。
その結果として、今日もこうして過酷な任務を終えたガレスが、深夜にひっそりと帰ってきては、朝早く起き、庭で日課の薪割りを始めているというわけだった。
朝食を済ませた二人は、穏やかな休日の空気が漂う酒場を出て、のんびりと街をぶらぶらと歩き出した。
「それにしても、やっぱりガレスが帰って来ると、セレナもどこか嬉しそうにしてるよねぇ」
ヒロはチラリと隣の男を見上げ、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべてからかうように言う。
しかし、当のガレスはきょとんとした顔で首を傾げた。
「あ? 何言ってんだよ。俺がいない時のセレナの顔なんて見てねぇから、分かんねぇよ」
(……確かに)
意外な返しに、ヒロは思わず突っ込みを忘れてしまった。この男、時々底抜けの馬鹿なのか、それとも変なところで頭のネジが外れているのか、本気で分からない時がある。
妙に納得してしまっているヒロの顔を、ガレスは「なんだよ」とばかりに不思議そうに覗き込んできた。
「でさ、今日は何すんだ?」
そんなガレスの問いかけに、ヒロはわずかに呆れたような息をつく。王都から遠く離れた危険な地域に赴き、命懸けの依頼をこなしてようやく帰ってきたというのに、自分のやりたいことの一つすら自分で決めないらしい。
「ガレスが決めなよ。せっかくの休みなんだからさ」
ヒロがそう促すと、ガレスは「うーん……」と腕を組んで深く考え込み始めた。
相変わらず不器用で、だけどどこまでも真っ直ぐな相棒の横顔を眺めながら、二人は足の向くまま、賑わう王都の通りを歩き続けた。
気がつけば、いつの間にか二人の足は王都の外れ、スラム街の入り口へと向かっていた。
顔を見合わせた二人は、どちらからともなく小さく吹き出し、そして声を上げて笑い始めた。
「…..僕ららしいね」
「違えねぇ!」
そんな二人の声を聞きつけてか、周辺で遊んでいたスラムの子供たちが、わぁっと歓声を上げながら一斉に駆け寄ってきた。
そして、いつものように「遊ぼうよ!」と無邪気に鬼ごっこをせがんでくる。
「よし、じゃあ鬼は俺だ! 」
ガレスは我先に駆け出して子供達を追いかけまわす。
ヒロはそんな相棒の背中を、やれやれと呆れながらも温かい目で見守る。
「……どっちが子供だか分かんないね」
ヒロが苦笑しながら呟いた、その瞬間だった。
「ヒロお兄ちゃん、タッチ!」
背後から不意を突くように肩を叩かれ、振り返ると、いたずらっぽい笑みを浮かべた少女が走り去っていく。
(――ふっ、やってくれたね)
ヒロはわずかに不敵な笑みを浮かべる。
次の瞬間、全身を淡い魔力の光が纏う。
風を切り裂くような圧倒的な加速。あっという間に子供たちを追い越し、真っ直ぐにガレスの背中へと肉薄していく。
その異常な速さに気づいたガレスが、慌てて振り返り、大声を張り上げた。
「ちょっ、おまっ……! 魔法使うとか、反則だろ、汚ねぇぞ!!」
ガレスの必死な叫び声にはどこか嬉しそうな響きが混ざっていた。
結局、本気を出したヒロと、それにむきになって食らいついたガレスのおかげで、その日の鬼ごっこは全員が地面に大の字になって倒れ込むまで続いたのだった。
青空を見つめながら、ヒロはポツリと静かに呟いた。
「……この間は、ありがとね」
本当は、言うつもりなんてなかった。
南門から潜入してきた謎の集団にスリを働き、帝国軍人の認識票を鮮やかに奪い去るという離れ技を行った子供達。もしここで変に褒めたり感謝したりすれば、調子に乗ってまた危険な真似をするかもしれない。そう思って、あえて口を閉ざすつもりでいた。
だけど、こうして一緒になって泥まみれになりながら遊んで、ふと思ったのだ。
そんな心配や理屈なんて、どうでもいいか、と。
あの時、子供たちが盗み出してくれた認識票があったからこそ、自分はガレスと共に立ち上がり、王宮へと足を踏み入れることができた。そして、その結果として王女を救うことにも繋がったのだ。
ならば、変に気取ったり隠したりせず、ただ感謝の言葉は素直に伝えたい。それだけだった。
ヒロの予想外の素直な言葉に、子供たちは少し照れくさそうにニヤッと笑い、頭をポリポリと掻きむしりながら誇らしげに言った。
「なんだよ、急に……。でも、二人の役に少しでも立てたなら、やった甲斐があったよ!」
ガレスは少し照れくさそうに、鼻をポリポリと掻きながらそのやり取りを聞いていた。
そんな穏やかな空気を切り裂くように、一人の子供が、ふっと表情を引き締め、意を決したようにポツリと切り出した。
「……ねえ。僕ら、帝国に行くことにしたんだ」
そのあまりにも唐突で重い言葉に、ヒロとガレスはハッと息を呑み、勢いよく上半身を起こして子供たちを見つめた。
皆幼い子供とは思えないほどに強い覚悟を宿した、真剣な表情をしていた。
「……あの時さ、スリしたの、実はすぐバレてたんだ。だけど、あの人たちは怒るどころか、笑って僕らの頭を撫でて、食べ物を分けてくれたんだよ」
ヒロは驚きのあまり、思わず目を見開いた。
そんなヒロの隣で、ガレスはふっと表情を曇らせ、気まずそうに視線を地面に落として俯く。
その場に、ずっしりと重たい空気が落ちた。
しかし、子供は怯むことなく、まっすぐに前を見据えて言葉を続けた。
「もちろん、何か危なくて悪いことを企んでるのは分かった。……でも、あの人たちは悪い人には見えなかったんだ」
「だからさ、帝国を見て来る。――僕らが、二人の目と耳になるよ!」
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