再始動
数日後。
ヒロは胸の奥に深く刺さったままの小さな棘を抱えたまま、どこか俯きがちにギルドへと向かっていた。
それでも、いつものように道すがらカゴの中に入った瓶を街の人々へ一つひとつ丁寧に配り、温かい笑顔や「いつもありがとう」という言葉を交わしていくにつれて、ささくれ立っていた心は次第に軽くなっていくのを感じた。
(もし、魔術師として生きていたら、こんな風に人々と温かい関わりを持つこともなかったのかも知れない)
それに、アルヴィンも言っていたじゃないか
――その圧倒的な力を持つ者としての責任を、『いつか』必ず負わなければならなくなる
(……今じゃない。いつか来るであろうその日を迎えるまでは、まだ、この日常を全力で楽しもう)
自分の進むべき道を納得させるように心の中でそっと呟きながら顔を上げると、いつの間見慣れたギルドの建物が目の前に迫っていた。
重厚な木の扉を押し開けると、広間の遠く、カウンターの端に陣取っていたリリアが、ヒロの姿を見つけて小さく手を振ってくれた。
その可愛らしい仕草に、ヒロの胸元がキュッと締め付けられ、思わず顔の筋肉が緩んでいく。
(……リリアさん、本当に綺麗だな)
心の中でこっそりそう呟きながら、足取りを少しだけ速めて受付へと向かう。
冒険者たちは、ヒロの顔を見ると「おう、お疲れ!」といつものように道を譲ってくれた。その穏やかな空気感に包まれながら、リリアの真っ直ぐな瞳の前に立つ。
「おはようございます、リリアさん」
「おはよ、ヒロくん!」
いつもと変わらない、しかしヒロにとっては特別に愛おしい朝の挨拶を交わす。
それから、国家機密に関わる部分は巧みに伏せつつ、先日の地下での修繕作業のことや、宮廷魔術師団長アルヴィンという予想外の厄介な男に出会ったことなど、他愛もない雑談をリリアに聞いてもらいながら手続きを進めてもらった。
リリアは嬉しそうに耳を傾け、うんうんと頷きながら手際よく書類を仕上げていく。
「これ、今日の依頼書ね。――あ、そうそう。親方さんたち、ヒロくんが最近いなくて寂しそうにしてたよ」
手渡された依頼書を受け取りながら、ヒロはふと目を瞬かせた。
そういえば、ここ最近は特殊な案件ばかりで、工房の親方や職人たちと一緒に働いていなかった。気心知れた仲間たちと、久しぶりに肩を並べて汗を流しながら仕事ができる。そう想像するだけで、胸の奥から自然と活力が湧き上がり、心が昂るのを感じた。
「ありがとうございます! じゃあ、行ってきます、リリアさん!」
「うん、気をつけてね! 行ってらっしゃい!」
リリアのまぶしい笑顔に見送られ、ヒロは軽やかな足取りで、いつもの賑やかな工房へと向かって走り出した。
工房の重い扉を押し開けて中に入ると、いつもなら金属を打つ音や怒鳴り声が響いているはずなのに、今日は妙に静まり返っていた。
見渡すと、珍しく全員が手を止め、作業台の上に大きく広げられた一枚の図面を囲んで深刻そうに頭を悩ませている。
扉の音に気付いた親方が顔を上げ、ヒロの姿を捉えるなり、早く来いと言わんばかりに力強く顎をしゃくった。
それに釣られて、周りの職人たちが一斉にこちらを振り返る。
「おっ! ヒロじゃねぇか! 久しぶりじゃねぇかよ!」
「まったく、指名依頼を出しても『不在だ』の一点張りで追い返されるし、ギルドに理由を聞いてもはぐらかされるし…..」
「おい、一体この数日、どこで何やってたんだよ!」
一斉に向けられる容赦ない質問責めに、ヒロは冷や汗を流しながら、わざとらしく目を泳がせて白々しく言葉を濁す。
「……あー、えーっと、ほら、いろいろと……野暮用でさ」
そう言ってごまかしながら、ヒロはみんなが囲んでいる机の上の図面へと視線を落とした。
そこに書かれていた文字に気づいた瞬間、ヒロの息が止まる。
『スラム再開発計画』
上下水道の工事が完了してからその後の計画が立っていなかったスラム。それが再始動したのだ。ヒロは喜びを隠せないまま、勢いよく顔を上げて親方を見つめた。
しかし、親方の表情は驚くほど険しく、締まったものだった。腕を組み、低く唸るような声を落とす。
「浮かれた顔してんじゃねぇぞ、小僧。――喜ぶのは、まだ早ぇ」
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