後始末
朝食を食べ終えると二人は家を出て、ギルドへと向かって歩き出した。
並んで歩くその距離感は、昨夜に比べれば遠い。しかし、いつも何気なく歩いていた距離に比べれば、明らかに近かった。
その絶妙な距離感が、初めての朝を分かち合ったばかりの二人にとって、心地よくてたまらない。
商店街の扉はまだ固く閉ざされたままで、王都の本格的な目覚めはもう少し先のことだ。静まり返った早朝の街には、ひんやりとした冷たい風が吹き抜けている。それなのに、不思議と二人の頬はほんのりと温かかった。
特別な言葉を交わすわけでもなく、ただ並んで歩く沈黙の時間。
気まずさなんて微塵もない。むしろ、どちらの顔にも自然と穏やかな笑みが浮かんでいた。
しかし、そんな心地よくて幸せな時間も束の間、二人の足はあっという間に目的地へとたどり着いてしまった。目の前には、見慣れたギルドの重厚な扉がそびえ立っている。
二人は顔を見合わせると、少し照れくさそうにはにかみ、そして諦めたような笑みを浮かべて、ゆっくりとその扉を開けて中へと入った。
まだギルドの始業時間には少し早く、冒険者たちの姿はまだない。しかし、カウンターの奥では数人の受付嬢たちが、今日の業務の開始に向けてせっせと書類を整理したり、備品の準備をしたりして忙しそうに動き回っていた。
ヒロとリリアが並んでカウンターへと近づいていく足音に気づき、受付嬢たちは一斉に顔を上げる。
そして――二人の並ぶ姿や、いつもと少し違うまとっている空気感を一瞬で察した瞬間、彼女たちの顔にパァッと花が咲いたように笑みが綻んだ。
普段なら冷やかしたり騒いだりしそうなものだが、今日ばかりは誰も野暮なことは言わない。
ただ、いつもより少しだけ優しい眼差しを向けながら、穏やかな朝の挨拶を投げかけてくれたのだった。
そうこうしているうちに、ギルドの壁に掛けられた時計が始業の時刻を告げ、甲高いチャイムの音が広間に響き渡った。
リリアはシャキッと背筋を伸ばしていつもの受付カウンターへと回り、ヒロはカウンターを挟んだその正面に立つ。
お互いにいつもと変わらない、いつもの見慣れた距離だ。けれど、ヒロにとっては、たったそれだけの距離が、なんだか途方もなく遠く感じられて、胸の奥がキュッと締め付けられた。
甘い余韻から現実の日常へと引き戻されたその瞬間、ヒロはふと違和感を覚えて自分の身体のまわりを視線で探る。
――あれ。工具箱が、ない。
リリアも同じ異変に気づいたのだろう。カウンターの向こう側で、彼女の視線がすっとヒロの肩へと向けられた。
けれど、リリアが見つめていたのはヒロの肩越し、まさにその背後だった。
「……忘れもんだぜ、職人さんよ」
聞き覚えのある豪快な声が背中から降ってきた。
振り返ると、そこに立っていたのは、あの赤い工具箱を持ったガレスだった。顔の端で意地の悪い、それでいて温かい笑みを浮かべながら、工具箱をそっとヒロの肩にかけた。
「……ありがと」
ヒロは少し照れくさそうに呟きながら、相棒が持ってきてくれた真っ赤な工具箱にそっと手を触れた。
ガレスは「おう、しっかりやれよ」と言わんばかりに片手を軽く上げ、ヒロに背を向けてギルドの扉へと歩き出す。
――ああ、今日は休みのはずなのに、わざわざ届けに来てくれたのか。
ガレスの不器用な優しさに心の中で密かに感謝しながら、ヒロは前を向き、カウンターの向こうに立つリリアへと再び視線を戻した。
すっと背筋を伸ばし、気の引き締まる思いが胸に広がる。
さぁ、仕事だ。やるべきことはまだ山のように残っている。
簡単な事務手続きを滞りなく済ませると、ヒロはいつものように地下へと続く階段を下りていった。
王都地下の魔力導管の修繕作業は、今や完全にヒロの定番業務となっていた。しかも、それはもはや「指名依頼」ですらなくなっている。
理由は至って単純だった。
ギルドマスターが、「インフラ整備ごときで、毎回いちいち呼び出されて判を押すのがめんどくさい」と言い放ったからだ。
それからというもの、この魔力導管の点検と修繕は、定例の「一般依頼」としてリリアの手元を介して回されるようになっていた。
もちろん、書類上の扱いは変われど、裏でマスターがしっかりと便宜を図ってくれているおかげで、支給される報酬は指名依頼の時と一切変わらないままだった。
そんな依頼の用紙を改めて眺めながら、ヒロは今回の作業目的である区画へと到着した。
いつもなら工房の親方や職人たちが作業を始めているはずだが、今日は誰もいない。
ヒロは、ギルドマスターがこの案件をあえて指名依頼にせず、一般依頼の形にしたもう一つの本当の理由に思い至り、納得したように小さく息を吐いた。
なぜなら、そこは先日、帝国からの潜入者たちが隠れ家として使っていた、いわば「事件の現場」そのものだったからだ。
今回の王宮襲撃にまつわる一連の騒動は、国家の機密として厳重な箝口令が敷かれている。そのため、表立って他の職人たちを立ち入らせるわけにはいかない。必然的に、この場所の修繕や後始末は、関係者であるヒロがたった一人で任されることになったのだろう。
「……はぁ」
思わず、大きなため息が口をついて出た。
先日、この場所に足を踏み入れた際の惨状が脳裏に蘇り、これから自分がやらなければならない膨大な修繕作業を想像しただけで、ヒロは心底うんざりした気分になり、思わずその場で肩を落としたのだった。
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