料理の熱
朝日がカーテンの隙間から差し込む頃、ヒロはゆっくりと目を覚ました。
広がっていたのは、見慣れない部屋の天井だった。
記憶が次々と蘇ってくる。
ベッドに倒れ込んだ後、リリアに覆い被さられ、「どこにも行かないでね」と囁かれたこと。その甘い緊張感はどこへやら、リリアはまるで糸がプツリと切れたようにそのまま眠りに落ちてしまったのだ。
リリアはヒロの腕に自分の頭を優しく預けたまま、すやすやと穏やかな寝息を立てている。
その寝息を聞きながら、無防備な寝顔をじっと眺めているうちに、ヒロの頭はすっかり冴え渡ってしまっていた。
(……これ、どうやったら起き上がれるんだ……?)
身動き一つしようものなら、せっかくの穏やかな眠りを妨げてしまうかもしれない。そう悩んでいると、ふいに、リリアの長い睫毛がパッと揺れた。
潤んだ瞳がゆっくりと開き、二人の視線が交差する。
「……っ、ヒロくん……?」
寝ぼけ眼から一気に意識が覚醒したのだろう。状況を理解した瞬間、リリアはみるみるうちに顔を赤らめた。それを見たヒロも、真っ赤になりながら、硬直したまま息を飲む。
リリアは限界まで赤くなった顔を両手で隠すと、気恥ずかしさをすべて誤魔化すように、パッと勢いよくベッドから跳ね起きた。
「と、とにかく朝ご飯にするから! 待ってて!」
そう早口でまくし立てると、乱れた髪を慌てて直しながら、キッチンへと向かっていく。その背中はヒロの目にはどこか楽しげに見えた。
小気味よい調理器具の音が響き、あっという間に美味しそうな朝食の匂いが部屋の中に広がっていった。
一方のヒロは、テーブルの前の椅子にちょこんと座ったまま、どうしていいか分からずにもじもじと両手を膝の上で合わせるばかりだった。
――よく考えたら。
頭が冷静になってくると、今さらながらとてつもない事実がヒロの脳裏をよぎる。
そもそも、女性の部屋に泊まったことなんて一度もない。ましてや、あんな風に密着して触れ合うなんて、人生で初めての経験だった。
心臓が、さっき目覚めた時よりも遥かに激しい音を立てて暴れ出す。
じわじわと、全身の血が一気に沸騰するような強烈な恥ずかしさが込み上げてきた。
先ほどベッドの上で見つめ合った時の、刹那的な気まずさとは訳が違う。時間が経つにつれてじわりと染み込んでくるような猛烈な照れくささと、胸の奥からこみ上げてくる抑えきれない嬉しさが混ざり合い、ヒロの胸の中は今まで一度も感じたことのない、甘く切ない感情に完全に支配されていたのだった。
思考の渦に溺れかけていたヒロの耳に、トコトコと軽快な足音が届く。
顔を上げると、リリアが「お待たせ!」と明るい笑顔を浮かべ、湯気を立てる出来立ての朝食をテーブルへと運んできた。
先ほどまでの赤面と気まずさはもうすっかり嘘のように消え去り、そこにはいつもの元気で少しお姉さんなリリアの姿があった。
ヒロは促されるまま、温かいスープとトーストを口に運ぶ。
その瞬間、じっと顔を覗き込んできたリリアが、不安そうに小首を傾げた。
「ど、どうかな……? 口に合う?」
ヒロは少しだけ目を見張り、ポツリと呟いた。
「……美味しい」
意識する間もなく、心の声がそのまま口から零れ落ちていた。
頭の中では冷静な分析が働いている。
ヒロがこの五年間ずっと食べてきたのは、酒場の女将が作る手料理だ。長年の経験に裏打ちされた抜群の腕前で、毎日のように極上の美味しい朝食を味わってきたはずだった。
頭の中では「女将の料理の方が上手いはずだ」と告げている。それに、頭で考えるのと別に、女将の優しさを感じられる料理の温かさも知っていたはずだった。
ーーしかし
胸の奥――心が、熱く叫んでいた。
女将の作る料理とは違う、別の熱を持ったこの朝食こそが、今の自分にとって何よりも美味しくて、愛おしいのだと。




