嘘
ガレスは分厚い肉の塊を豪快に頬張りながら、ジュースのグラスを片手に活字を目で追う相棒へと視線を向けた。
「なんか面白れぇことでも書いてあるか?」
ヒロはパタリと新聞を丁寧に折り畳み、テーブルの端に置くと、グラスを傾けて冷たいジュースを一口飲んだ。
「いや、相変わらず見当外れなことばっかり書かれてるね。――『謎の怪物は夜空へ飛び去った』だとか、『王宮の魔導防壁の誤作動』だとかさ」
その言葉に、ガレスは「ぶっ」と盛大に吹き出しそうになり、慌てて口元を抑える。
「そりゃそうだな『帝国に王女を誘拐されそうになりました』なんて口が裂けても言えるわけねぇもんな」
ヒロは呆れたように肩をすくめ、目の前に並んだ料理へとフォークを伸ばした。
「まったくその通りだね。そんなことしたら戦争だよ……」
あの誘拐未遂、そして王宮襲撃事件後、すぐに関係者には箝口令が敷かれ、その結果としてこの数日間、ヒロが読んでいた新聞のような憶測がまことしやかに王都中で噂されていたのである。
かく言う二人もまた、『ギルドの規則』により公にはその日、王宮の地下の整備をしていたことになっていた。
ガレスはフォークを皿に置き、悔しそうに顔を歪めながら大きな体を椅子にもたれかけさせた。
「にしてもよぉ、……やっぱりすっげぇ惜しいことしたよな」
ヒロは目の前に運ばれてきた温かいスープにスプーンを浸しながら、何でもなそうに聞き返す。
「何が?」
ガレスは「決まってんだろ!」と大げさに両手を広げ、やれやれといった表情で首を振る。
「王女を救い出したんだぜ?美味いもんを腹いっぱい食わしてもらえるチャンスだったかもしれねぇだろ!」
ヒロは呆れたように小さくため息をつきながら、スープを一口啜る。
「仕方ないでしょ、表立って表彰されるような立場じゃないの、僕たちは。それに、美味しいものならここでいくらでも食べられるし」
ヒロの現実的すぎる返しを聞いて、ガレスはしばし呆けたような顔をしたが、やがてふっと悪戯っぽくニヤリと笑った。
「……まあ、それもそうだな!」
ガレスは目の前の山盛りの肉を再びフォークで突き刺すと、豪快にかぶりつきながら満足そうに咀嚼した。
ヒロは目の前で豪快に肉を頬張るガレスの姿をぼんやりと眺めながら、ふと、胸の奥に小さな、しかし無視できない疼きのような寂しさを覚えていた。
――今日も、来ないな。
意識せずにはいられなかった。あの日、無事にアンを王宮へと送り届けた後。ヒロとガレスは、表向きのクエストの報告をするため、ギルドへと足を運んだ。
重い木製の扉を開けてギルド内へ足を踏み入れた瞬間、受付カウンターから視線が飛んできた。そこにいたのは、一睡もしていないことがひと目で分かる赤い目をしたリリアだった。リリアはゆっくりとヒロの目の前まで歩いてきた。
――そして、何の躊躇いもなく、乾いた音が響くほど強く、ヒロの頬を叩いたのだ。
驚きで固まるヒロの前で、リリアは堪えきれなくなったようにポロポロと大粒の涙をこぼしながら泣いていた。
どれほど心配をかけていたのか、その涙がすべてを物語っていた。
それからだ。
あの日の気まずさと、リリアの張り詰めた怒りと悲しみが入り混じった表情が脳裏から離れないまま、一言もまともな会話をしていない。当然、この酒場にリリアが現れることもなかった。
「……なぁ、ヒロ」
ガレスが口の周りにソースをつけたまま、少し心配そうにヒロの顔を覗き込む。
「どうかしたのか? さっきからずっと、店の入口の方ばかり気にしてやがるけど」
ヒロはハッと我に帰り、慌ててグラスに視線を落として首を振った。
「なんでもないよ。……ただ、少し風通しが悪い気がしてさ」
ガレスは首をかしげ、分厚い肉をもう一口飲み込んでから、豪快に笑った。
「んだそれ?外出て夜風にでも当たってこいよ」
適当に口をついて出た「風通しが悪い」という嘘を、何の疑いもなく真に受けて勧めてくるガレスに、ヒロは思わずやれやれと呆れたような目を向けた。
だが――。
「……それも、いいかもね」
小さく呟くと、ヒロは腰を浮かせて椅子から立ち上がった。ふと、見下ろすと、ガレスは鼻をひくつかせながら、どこか得意げな表情をしていた。
そんな相棒を背に、ヒロは複雑な胸中を抱えたまま、店の出口へとゆっくりと歩き出した。
ヒロは店の木製の扉に手を掛け、夜の外へと押し開こうとした――その時だった。
「きゃっ!」
扉の向こう側から、聞き慣れた、少し慌てた女の子の悲鳴が聞こえた。
自分が内側から急に扉を開けたせいで、ちょうど中に入ろうとしていた相手を驚かせてしまったに違いない。ヒロは反射的に慌てて声をかけた。
「あ、すいませんっ! 大丈夫ですか……?」
すぐに外へと一歩踏み出し、ぶつかりかけた人物のほうへ歩み寄って覗き込む。
――そこに立っていたのは、リリアだった。
いつもは凛々しい立ち振る舞いで仕事をしているリリアだが、今の彼女はどこかソワソワとしていて、目のやり場に困るように指先をもじもじと絡ませている。
あの日の涙や怒りはすっかり影を潜めていたが、代わりに言葉にできない気まずさが、二人の間にふわりと漂った。
リリアは気まずそうに視線を泳がせながら、小さな声でぽつりと呟いた。
「……あの、ヒロくん。もう、夕飯食べちゃった……?」
その予想外の問いかけに、ヒロはわずかに目を丸くした。
「あ、いえ……まだ食べてません」
――大嘘だった。ついさっきまで、ガレスと共に目の前の山盛りの料理を平らげようとしていたところだったのに。
なぜそんな不自然な嘘をついてしまったのか自分でも全く分からないまま、気づけばヒロの体は勝手に動いていた。
思考が追いつくよりも早く、ヒロは目の前に立つリリアの細い手首を、そっと優しく掴んでいた。
「……よかったら、一緒に食べましょう」
驚いたように目を見開くリリアを引っ張りながら、ヒロは再びあたたかな喧騒に包まれた酒場へと足を踏み入れたのだった。
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