天才の言語化
村長から魔法書を譲り受けた次の日。岩場での修行は大きく様変わりした。
ヒロは目を皿のようにし、夢中で魔法書の文字を追う。
魔力の流れ、属性、術式、詠唱。
そこに記された魔法の基礎を、一つひとつ咀嚼し頭に刻み込む。
一方のガレスは文字の多さに眩暈を覚えたのか、一瞬でクラクラとしながら後退りし、黙って大剣を振り始めた。
そんな相棒に呆れながらも、ヒロは目の前の魔法という名の未知に向き直る。
書いてある通りにしっかりと基礎を守り、静かに詠唱をする。頭の中で魔力の回路をイメージし、手のひらへと意識を集中させた。
――ポッ、と小さな音がして、ヒロの掌の上に橙色の光が灯る。
小さいが確かな熱を持つ火球が放たれた。それはふわりと宙を舞い、数歩先の岩肌を焦がして静かに消えていく。
初めて手に入れた「理」が、自分の力となって現実世界に形を成した瞬間だった。
それを見ていたガレスが剣を肩に担ぎながら近寄ってきた。
「そんなのろまで小さい火より、剣の方が速くて強い!」
剣の相手をしてもらえなくて拗ねているのか、どこか不機嫌そうだった。それもそうだ、ヒロが村長から魔法書を貰ったように、ガレスもまた木こりから大剣を受け継いでいた。
それでも、ヒロは魔法の修業を続ける。
今は遅く、小さくても、何度でも繰り返せば――必ず!
そう心の中で決意し、再び小さな火球を放つ。
ガレスはそんなヒロを見て呆れながら言った。
「だーかーらー!その熱意を剣に向けてくれよ!それに、火球なんて使えなくたって家じゃコンロに火がつくぜ?」
ため息をつきながら、ヒロは魔法書を開いて図面を指し示した。
「それは王都の魔力炉から魔力導管を通じて各家に魔力が供給されてるからなんだよ。ほら、この地図と導管の――」
ガレスはページを覗き込むなり、文字通り吐きそうな顔をして盛大に目を背けた。そして、もう何も言うまいと黙って素振りに戻った。
ヒロが魔法の修行に没頭し、その傍でガレスが素振りをする日々が続いた。そんなある日のことだった。
ヒロは魔法書を広げ、火球の速度、威力を上げようと魔力の流し方や量を調整して丁寧に詠唱をする。
ぽっ、と手のひらの上に小さな火球が生まれる。――初めて発動した時から、あまり変わり映えのしないものだった。
「明日は明日の風が吹く、か。……火球だけどね、ふふっ」
一向に大きくならない火球に心折れることなく、不意に、父から聞かされた物語を思い出して懐かしさを覚えていた。物心がつく前に聞いたその物語は今思い返してもどこか遠い世界の話のようだった。そんなことを考えていると、横で見ていたガレスが、突如として大声を上げた。
「あぁ、くそっ! じれったい!」
そう吐き捨てるなり、愛用の大剣を地面にガツンと突き立てる。そして、何の前触れもなく右手を前へ突き出した。
ボウッ――! と、空間が膨らんだような爆発音が響き渡る。
直後、ヒロの小さな火球の数倍はあろうかという巨大な炎が、目の前の岩へ向かって猛進し、直撃した。凄まじい熱量と衝撃波に、頑丈な岩肌が一瞬で黒く焦げ伏せ、激しく煙を上げる。
あまりの出来事に、ヒロはその場でピタリと動きを止めた。
ーーそんな、詠唱なしで魔法を発動させるなんて。
驚愕に目を見開いた次の瞬間、ヒロの身体は勝手に動いていた。震える指で魔法書を凄まじい速度でめくっていく。
この数日、寝ても覚めても読み込んできた。ページを繰る指先は擦れ、もう何周したかも覚えていない。
(もしかしたら、見落としがあったのかもしれない……!)
思考を全速力で回転させ、最後のページまで目を皿のようにして通す。そして、ゆっくりと本を閉じ、そのまま天を仰いだ。
――やはり、何も書いていなかった。
無詠唱の発動方法も、あんな莫大な魔力を制御するコツも、そこには一文字たりとも記されていない。
だが、不思議と焦りはなかった。ヒロの中で、奇妙な納得感が広がっていく。
そうだ、この規格外の天才の在り方なんて、文字に起こせるわけがなかったのだ。
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