ギルドマスターの生き様
ヒロとガレスはギルドへと足を運び、クエストボードの前に並んで立っていた。
ガレスは壁一面の依頼書を眺めながら、納得がいかないといった様子で首を傾げる。
「なあ……俺たちは今、帝国の潜入者を追ってんじゃねぇのか? なんでわざわざ普通の依頼を探してんだよ」
ヒロはボードから一枚の依頼書をヒラリと剥ぎ取りながら、涼しい顔で答えた。
「だって、地下道に不法侵入するわけにはいかないからね。ちゃんとした『依頼のついで』って名目があった方が動きやすいでしょ」
「はあ……めんどくせぇな」
ガレスがやれやれと頭をポリポリとかいた、その時だった。
「――おい、クソガキども」
背後から、低くよく通る声が響いた。
振り返ると、腕を組んだギルドマスターが鋭い視線を二人に向けて立っていた。有無を言わせぬ凄みが漂っている。
「ちょっと来い」
ギルドマスターはそれだけ言い残すと、返事を聞くこともなく、奥にある自分の執務室へと歩き出す。
突然の呼び出しに、ヒロとガレスは「……は?」と顔を見合わせた。二人は首を傾げながら、その背中を追って執務室へと向かうのだった。
重苦しい空気の漂う執務室に入ると、ギルドマスターは大きな机にもたれかかり、部屋の中央にあるソファの方へあごをしゃくって言った。
「座れ」
二人はこれから何を言い渡されるのか全く見当がつかないまま、促されるがままに恐る恐る腰を下ろし、ちらりと室内を見渡した。
王宮の華美で眩しい装飾とは打って変わって、この部屋には余計な飾り気が一切ない。ただ一つ、部屋の隅の壁に掛けられた、常人には到底振るうことなどできそうもない巨大な大斧が場違いな輝きを放っていた。
ガレスは壁の大斧を一瞥し、苦笑いを浮かべて言う。
「おいおい……なんだあれ。オーガの武器でも拾って来たのか?」
しかし、そんなガレスの軽口など気にも留めず、ギルドマスターは鋭い眼光を二人に向けると、一刀両断するように低く言い放った。
「今やってることから、手ぇ引け」
その言葉に、ヒロとガレスは思わず顔を見合わせた。
(――なんで知ってるんだ?)
ヒロが驚愕と疑問に満ちた目を向けると、ギルドマスターはまるでその心を見透かしているかのように、懐から一通の封筒を取り出した。
そこには、紛うことなき王家の紋章が刻まれた赤い封蝋が押されている。
ギルドマスターはその封筒を指先でヒラヒラと遊ばせるように宙に揺らしながら、吐き捨てるように言った。
「セバスの爺さんも、お前らも……何も分かってねぇんだよ」
ヒロは思わず席から飛び上がり、その封筒を奪い取ろうとギルドマスターへと詰め寄った。
しかし、ギルドマスターの方が一枚上手だった。ヒロの手が届く直前、彼はひらりと身をかわし、机の上で揺れる蝋燭の炎のすぐ真上へと、その封筒を無造作にかざす。
パリパリと音を立て、封蝋の紋章が熱に溶けていく。次の瞬間、封筒は勢いよく黒煙と炎を上げ、あっという間に灰へと変わっていった。
「っ……!」
ヒロは手を伸ばしたまま動きを止め、目の前で形を失っていく王家の書簡を呆然と見つめる。そして、焦りと怒りが入り混じった切なげな声を絞り出した。
「……どういうことですか! 」
しかし、ギルドマスターはヒロの問いかけに答えようともせず、ただ冷徹に視線を逸らした。
代わりに、おもむろに扉へと目を向け、低い声で言い放つ。
「……盗み聞きとは、趣味が悪ぃな。そんな子に育てたつもりはねぇよ」
重苦しい音を立ててその扉がゆっくりと開き、中から姿を現したのは――他でもない、リリアだった。
その表情は氷のように冷え切っている。リリアは静かな足取りで部屋の中へ歩き出すと、立ち尽くしたままのヒロを見据え、言い放った。
「座りなさい」
普段の彼女からは想像もつかないほど冷たく、絶対的な威圧感を帯びた声だった。ヒロは思わず気圧され、言われるがままにすごすごと再びソファへと腰を下ろす。
ガレスもまた、いつもなら軽口を叩く場面で、ただ険しい顔をしてリリアを見つめることしかできなかった。
室内の空気が完全に凍りついた中、リリアはゆっくりと口を開いた。その内容は、ギルドという存在の根幹に関わるものだった。
この冒険者ギルドは、王国の管理下にある組織ではない。世界各国に広く点在するただの「ひとつの支部」に過ぎないのだと。
ーーー冒険者とは何か。
それは、強きを挫き、弱きを助ける者。国の利害や国家間の政治的なしがらみ、戦争を引き起こす為政者たちの思惑すら超えた――「救済の志」というたった一つの理念のもとに成り立っている組織なのだと。
リリアのその言葉は、ヒロとガレスの胸に、重く、痛いほどに突き刺さった。
二人の胸にリリアの言葉が深く沈み込んだその時、ギルドマスターは腕を組みながら、どこか満足げに深く頷いた。そして、重々しい口を開く。
「お前らが調べ上げた、地下への扉の鍵の痕跡。街の商店へと現れ、物資を買い漁る謎の男。そして、ガキどもがスリで取ってきた帝国の認識票。――それと、水面下で王女を狙う不穏な影…..」
その言葉を聞いた瞬間、リリアがハッとしたように大きく目を見開いてギルドマスターを振り返った。
しかし、ギルドマスターは気にする様子もなく、続けざまに言い放つ。
「これら全てが最初から綺麗に噛み合って一つの陰謀を成しているかどうかは、現時点じゃ分からん。だがな……すべてが完全に『無関係』ってわけでもあるまい?」
そう言って、ギルドマスターは懐から一枚の古びた羊皮紙を取り出し、ヒロに向かって無造作に放り投げた。
ひらひらと空中で優雅に舞うその紙を、ヒロは反射的に両手でしっかりと掴み取る。
ヒロとガレスはすぐさまその羊皮紙を覗き込んだ。それは指名依頼書だった。
『王宮地下整備点検』
二人は驚きに目を見張り、揃って顔を上げ、ギルドマスターを見据えた。
ギルドマスターは不敵に、ニヤリとした笑みを浮かべて言い放つ。
「――お前ら、本当に分かってねぇんだよ。王宮の地下は普通のクエストじゃ入れねぇ。分かったらさっき剥ぎ取った地下の依頼返しな」
ヒロはその言葉の真意を一瞬で理解した。隣にいるガレスも、こういう時だけは異常に勘が鋭い。二人は無言で顔を見合わせ、深く力強く頷き合う。
ヒロは先ほどクエストボードから剥ぎ取ってきたばかりの依頼書をひらりとギルドマスターへと差し出した。代わりに、ギルドマスター直々の指名依頼書を、しっかりと懐へと納める。
「……ダメッ!!」
その瞬間、リリアの悲痛な叫び声が、静まり返った執務室に響き渡った。
先ほどまでの氷のような冷徹な表情は跡形もなく消え去り、今にも泣き出しそうなほど顔を歪めている。
ヒロは思わずハッと息を呑み、苦しそうに視線を逸らした。
――見ていられなかった。自分の決断が、大切な人をこんなにも悲しませている。胸が締め付けられるような痛みが走る。しかし、ここで足を止めたら、きっと一生後悔することになる。
痛む胸に蓋をするように、ヒロは背筋を伸ばし、そのまま重い扉へと歩き出した。
ガレスもその後に続く。リリアの横を通り過ぎるその瞬間、ガレスは足を止め、震える彼女の細い肩にそっと大きな手を置いた。
「……ぜってぇ、守る」
ガレスは手を離すと、まっすぐ前を向き、ヒロの背中を追うようにその部屋を後にした。
静まり返った執務室の中で、リリアはただ小さく震えていた。込み上げてくる涙を拭おうともせず、リリアは震える声で呟いた。
「……どうして、なんですか」
ギルドマスターは返事もせず、ただ、重いため息を一つ吐き出すと、ゆっくりと椅子から立ち上がる。
床を踏み鳴らす足音が妙に重く響く。
静かにジャケットを脱ぎ、椅子の背もたれへ丁寧に掛けた。続いて、腕のシャツの袖を、肘の上までまくり上げていく。
そのただならぬ気配に、リリアはハッとして涙を拭い、顔を上げた。
「……マスター?」
そんなリリアの問いかけに一切応えず、そのまま部屋の壁へと歩いていく。そして、あの大斧の柄へと、躊躇うことなく太い手を掛けた。
「嘘……」
リリアの乾いた声が漏れる。
次の瞬間、ギルドマスターはその規格外の重量を誇る巨斧を、まるでただの木の枝を持ち上げるかのように、片手で軽々と壁から引き抜いた。
大斧を肩へと担ぎ上げると、そのまま出口の扉へと歩き出す。そして、低い声で短く言い放った。
「……しばらく留守にする」
その言葉だけを残し、は重い扉を開け、静かに部屋を去っていった。
再び閉ざされた無機質な扉を、リリアはただただ呆然と見つめ続けることしかできなかった。
ヒロとガレスが去り、そしてギルドマスターまでもが姿を消した静寂の中、嫌な予感だけがリリアの胸を冷たく締め付けていくのだった。




