五年越しの礼
一方、広場の中央では。
セバスもまた、鋭い視線をふっと和らげ、階段の上へ立つ二人の姿を静かに見つめていた。
赤髪の青年――いや、青年と呼ぶにはもうその体格は大人と遜色がない。かつては引きずるように背負っていた大剣も、いまやしっかりとその背中に収まっている。
そして、赤い工具箱を肩に担ぐ黒髪の青年。作業着に隠れて目立たないが、職人として毎日鍛え上げられたのであろう、引き締まったいい体つきをしている。
王女の視察に同行する際、スラム街の端などでたまに見かけてはいたが、こうして成長した姿をしっかりと見ると、どうしても胸の奥で感慨に耽るのを止められなかった。セバスの口元が、ほんの僅かに緩む。
(……大きくなりましたね)
その時だった。
群衆の声援に応えていた王女アンが、ふと動きを止め、顔を上げた。セバスの視線の先を追うように、アンは石階段の上へと目を向ける。
そして。
「あっ!」
思わず、彼女の口から小さな声が漏れた。
アンの顔にパッと花が咲いたような笑みが広がり、ためらうことなく、大きく両手を振った。
「ヒロ! ガレス!!」
その声を聞いた瞬間、ヒロはパシッと自分の額へと手当を当て、天を仰いだ。
「……最悪だ。見つかった。」
小さく、絶望を含んだため息を吐く。
「……無視しよう、帰るよ」
しかし、その冷徹な提案とは裏腹に、隣にいたガレスはすでに満面の笑みを浮かべ、大きく腕を振りかぶっていた。
「おーーい!! 元気そうだなーー!!」
ガレスは両手を大きく広げ、力いっぱい振り返す。
「やめろ、ガレス!」
ヒロが慌ててガレスの腕を掴もうと飛びついた。
しかし、時すでに遅し。王女のその声に反応し、広場中の視線がガレスたちへと一斉に集まる。
「おい、あいつら……王女様と知り合いなのか?」
周囲のざわめきが、波のように人々の間を駆け巡る。
やがて、誰からともなく道を譲り始め、群衆が左右へと綺麗に分かれていった。石階段の上からアンの前まで、一本の綺麗な道が伸びていく。
ガレスはその光景を見るなり、悪戯っぽくニヤリと笑った。
「行こうぜ、ヒロ!」
そう言うと、ヒロの制止も聞かず、ガレスは迷いなく石階段を駆け下りていく。
「待て! だから行くくなって言ってるだろ……!」
ヒロは頭を抱えながらも、ここまで注目されてしまってはもう逃げるという選択肢が残されていないことを悟り、大きく息を吐きガレスの後を追うように駆け出した。
群衆が驚きで道を開ける中、ガレスは臆することもなく王女アンの目の前まで歩み寄り、豪快に笑った。
「よお、久しぶりだな!」
その飾らない一言に、アンの表情はさらにパッと明るく輝いた。
「ガレス! 背も伸びたし、すっかり大きくなったね!」
「お前こそ! 綺麗になったな!」
二人は再会を心から喜び、楽しそうに笑い合っている。
その様子を少し後ろから見守りながら、ヒロは今さらどんな顔をすればいいのか、自分でも全く分からなくなっていた。
街やスラムで王女の姿を見かけても、避けるように距離を取り、時には逃げるようにその場を後にしてきた。ガレスのように明るく王女に接することなど、自分には到底できなかった。
二人がひとしきり楽しげに挨拶を交わしたあと、アンは急に両手を腰に当て、ぷくっと可愛らしく頬を膨らませた。
「もうっ! 五年だよ、五年! いったいなんで声かけてくれなかったの? 何度もこの街に来てたのに!」
その言葉に、ガレスはニヤニヤと悪戯な笑みを浮かべながら、背後に立ち尽くしているヒロへと振り返った。
「だって、こいつが毎回逃げるんだ」
「ちょっ、ガレス……! 何勝手にバラして――!」
急に話題の矢面に立たされたヒロは、顔を真っ赤にして大慌てで否定にかかる。
「だって事実じゃねぇか! 探知魔法でアンの魔力に気づいた瞬間、仕事途中でやめて帰ってたじゃねぇか!」
ガレスに面白おかしく暴露され、アンはますます不服そうに唇をとがらせた。
「もうっ! ヒロってば、相変わらず冷たいんだから!」
そう言ってから、アンはハッと思い出したかのように、パッと表情を輝かせた。
「そうだ! あの五年前の本当のお礼、まだちゃんと出来てなかったよね?」
その言葉を待ってましたと言わんばかりに、ガレスはすっとアンに向き直り、豪快に頷く。
「おっ、いいじゃねぇか! あんときはまだヒロが絶賛やさぐれ中だったからな」
アンはふふんと誇らしげに鼻を鳴らし、ポンと両手を叩いてからかうように微笑んだ。
「そうそう! 『助けなければよかった』だの、『税金でお礼?』だの、散々ひどいこと言われたっけ?」
「「はははっ!」」
思い出話に花を咲かせながら、ガレスとアンは声を上げて楽しそうに大笑いした。
そのやり取りを間近で聞いて、ヒロは気まずそうにポリポリと頭をかきながら、そっと視線を横へ逸らした。
(……今思い出しても、我ながら相当ひどいことを言ったもんだ……)
ヒロはこれ以上過去の黒歴史を掘り下げられてたまるかと、わざとらしく大きく咳払いをして気を取り直した。
「ほら、ガレス。いつまでも王女様の時間を奪うなよ。さっさとそれらしいお礼を貰って帰るよ」
それを聞いたガレスは、待ってましたとばかりにニヤッと不敵な笑みを浮かべ、目の前のアンに向かって力強く言い放った。
「『剣聖』と決闘させろ! それが俺の望むお礼だ!」
「――っ! バカッ!」
ヒロは血の気が引く思いでガレスの腕を引こうとしたが、すでに手遅れだった。
(もうっ……! 普段は脳筋のくせに、こういう時だけ変に悪知恵が働くんだから……!)
まさか王女からのお礼をダシにして、剣聖へ決闘を申し込むなどという不敬を働こうとは夢にも思わず、ヒロは青ざめながら冷や汗を拭う。
しかし、当のアンは、最初こそ驚きで大きく目を丸くしたものの、すぐに何かを面白がるようにクスクスと笑い出し、しまいには声を上げて楽しそうに笑い出した。
そして、ひとしきり笑い終えると、楽しげな余韻を残したまま背後へと視線を向けた。
「……セバス、準備なさい。ただし、あくまで木剣による模擬戦とします」
「かしこまりました」
アンの背後から、静かに一歩前に出たセバスが深々と一礼する。その老いた瞳に、わずかに剣士としての光が宿った。
そのやり取りを目の当たりにしたヒロは、両手で自分の頭を抱え込み、深い絶望感に打ちひしがれていた。
(……王女は王女で、なんで受けるんだよ……! これじゃもう、止められるわけがないだろ……!)
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