女子会
ヒロはいつものように、木漏れ日の酒場でガレスと向かい合い、夕食を楽しんでいた。
目の前で豪快にセレナ特製のジュースを飲み干しながら、先日の討伐クエストの派手な立ち回りを語るガレスの話に耳を傾けつつ、女将特製の温かい煮込み料理に舌鼓を打つ。
頼もしい相棒への変わらぬ尊敬と、来る日も来る日も胃袋を掴んで離さないこの味。何年経っても変わらない、心地いい日常がそこにはあった。
そんなことをぼんやりと考えていた時だった。
酒場の重い木製の扉が勢いよく開く。
ヒロはふと視線を向け、思わず「えっ」と声を漏らし、大きく目を丸くした。
店内を見渡すと、酒場の常連である厳つい男たちも皆、グラスを持ったまま一斉に動きを止めて同じように目を見張っている。
それもそのはずだった。
ここは毎夜、依頼帰りの冒険者や酒好きの男たちが集う、むせ返るような熱気に満ちた大衆酒場。そんな場所には似つかわしくない、華やかな一団が堂々と足を踏み入れてきたからだ。
――そう、他でもない。王都ギルドの受付嬢たちだった。
「ふふーん。ここが、いつもヒロくんとリリアの愛の巣ってわけね?」
受付嬢の一人が、からかうような、それでいてどこか楽しげな声を上げる。
それを聞いたリリアは、顔を真っ赤に染めながら必死な顔で両手をブンブンと横に振った。
「ち、違いますっ! そんなんじゃないですから! ……っていうか、ここ、いつもほぼ満席ですし、別のところにしましょ? ね?」
どうにかしてこの場から逃れようと言い訳をするリリアだったが、受付嬢長が一切の迷いのない足取りで酒場のカウンターへと歩み寄っていった。
そして、女将の前に立つと、深く一礼して落ち着いた声で告げる。
「お久しぶりです」
その短い言葉には、どこか深く温かい尊敬の念が詰まっているかのようだった。
女将は手を止め、顔を上げて目を細めると、いつもよりほんの少しだけ目尻を優しく下げた。
「……随分と大きくなったもんだね。元気でやっているかい?」
そのやり取りを遠くで見守っていたセレナは、事情を察したのか、常連客たちへ丁寧な声で次々と声をかけていく。
「すいません! ちょっと席を詰めてあげてください!」
他でもない看板娘であるセレナのお願いとあらば、酒場の常連の男たちも悪い気はしない。「おう、任せな!」「こっち空けるぞー!」と、むしろ我先にと快く体をずらし、一瞬にして見事な団体席を作り上げてしまった。
それを眺めた女将は、ふっと満足げに鼻を鳴らし、入口に立っているリリアたちへ向かって言った。
「ほら、空いたよ。」
この大衆酒場の居心地の良さと、客たちの人の良さが、今この瞬間だけは完全に裏目に出ている。
逃げ場を失ったリリアは、ガレスの向かいで固まっているヒロを一瞥すると、もうどうにでもなれとばかりに小さく天を仰ぎ、観念したように肩を落としたのだった。
案内された席は、ヒロとガレスがいつも陣取っている奥の席とは、酒場を挟んで対角線上に位置する入り口付近のテーブルだった。
リリアは思わず、案内してくれたセレナの背中を凝視した。
するとセレナは、振り返りざまに片目でキュッと可愛らしいウィンクを一つだけ残し、何食わぬ顔で軽やかにカウンターへと戻っていく。
その絶妙な配慮に、リリアは驚きで目を見張った。
(すごい……。これが、この酒場の看板娘としての視野の広さと優しさなんだ……)
「ええーっ、やだー! ヒロくんの席、めちゃくちゃ遠いじゃん!」
「もう、せっかく同じ店にいるのにこれじゃ見えないよー」
若い受付嬢たちが不満そうにほっぺたを膨らませる中、長年の付き合いである別の受付嬢が、ふふんと意地悪く笑ってなだめる。
「ちょっと、何言ってるの。本人たちがすぐ近くにいたら、恥ずかしくて女子会なんてできないでしょ?」
その言葉に、リリアは「っ!」と顔を真っ赤にして慌てて視線を逸らした。
たしかに、同じ店の中にいるとはいえ、ここはいつも活気にあふれる大繁盛の店だ。少し離れてしまえば、周囲のざわめきに紛れて、こちらが何を話しているかなど、あちらの耳に届くはずもなかった。
リリアは心の中でホッと胸を撫で下ろしつつも、遠くの席でガレスと肉を頬張っているヒロの背中を、どうしてもチラリと盗み見てしまうのだった。
お酒が届くのを待つ間もなく、すぐに話が始まる。お年頃の女の子たちが集まって話す話題など一つしかない。
「やっぱり、ガレスくんよねー!」
「そうそう! 史上最年少のAランク冒険者だよ? 十五歳なのに体つきはすっかり大人の男だし、あのワイルドな顔立ちもたまらないよね!」
「それに、一見あんなに荒っぽく見えて、いっつもヒロくんを守ったり気にかけてたりして、めちゃくちゃ優しいんだもん。私もあんな風に守られたい〜!」
若い受付嬢たちが黄色い声を上げて盛り上がる中、リリアは自分の感情に整理がつかずにいた。
昔から知っている子がみんなからこんなにもカッコいいと褒められていることが嬉しいのか、自分がこんなふうに女子会の一員として賑やかな輪の中にいられることが嬉しいのか、はたまた両方か。
そんなことを考えていた時だった。
凄まじい音を立てて、テーブルの上に人数分の巨大なエールジョッキが叩き置かれた。
あまりの勢いに全員がビクッと肩を跳ね上げ、慌てて顔を上げる。
そこに立っていたのは、いつものように満面の笑み浮かべた看板娘のセレナだった。
しかし。
その目は一切笑っていなかった。
背筋が凍るようなセレナの笑顔と、テーブルを包む不穏な空気に気圧され、リリアは反射的に両手をブンブンと振って叫んだ。
「ひ、ヒロくんの方が! ヒロくんの方が、かっこいいです……っ!」
(とにかく、ガレスさんから話題をそらさないと……!)
必死の弁明のつもりだった。しかし、その声がテーブルに落ちた瞬間、空気がピタリと止まる。
集まった受付嬢たちの視線が、一斉にリリアへと突き刺さった。
そして次の瞬間、女の子たちは皆、にやにやと含みのある意地悪な笑みを浮かべてリリアをじっと見つめ始めた。
(……あっ)
自分で口走ったその言葉の意味を脳内で反芻した瞬間、リリアは顔から一気に血の気が引くのを感じた。
完全に、墓穴を掘ってしまったことに、ようやく気づいたのだ。
「へぇ〜? やっぱりリリアは、ヒロくんを狙ってるんだぁ?」
「そういえば毎日毎日、あの髪飾りをすっごく嬉しそうな顔して撫でてるもんねー」
「うんうん、もはや『私はヒロくんの女です!』っ言ってるようなもんじゃん!」
若い受付嬢たちは「キャーッ!」と黄色い声を上げて大盛り上がりする。
リリアはあまりの恥ずかしさに、テーブルの上に突っ伏してしまいたい衝動に駆られながら、真紅に染まった顔を両手で必死に覆い隠すしかなかった。
真っ赤になって頭を抱えるリリアを見て、受付長は優しく微笑むと、場を仕切り直すように自分のジョッキを力強く掲げた。
「よし、決まり。今日の乾杯の音頭はこれしかないわね」
その一言に、受付嬢たちは「賛成!」とばかりに顔を見合わせ、満面の笑みで一斉にジョッキを掴み取る。
そして、声を合わせて元気に叫んだ。
「「ヒロくんに、乾杯――!!」」
その声は、盛況なこの酒場でも、端から端まで響き渡っていた。もちろん、遠く離れた対角線の席に座るヒロの耳にも。
「ん……?」
ヒロはグラスを置いて、きょとんと首を傾げながら振り返った。
まさか自分たちの名前が遠くのテーブルで上がっているとは夢にも思わず、なぜ彼女たちが一斉に自分に向けて乾杯しているのか、全く理由が分からないという面持ちで目をパチクリさせている。
その向かいで、ガレスはニヤニヤと意味深な笑みを浮かべてヒロの肩を叩いていた。
遠くの席でポカンとしているヒロの姿を見て、リリアは恥ずかしさで消えてしまいたくなりながらも、顔を真っ赤に染めたまま、小さく、そっとヒロに向かって手を振ったのだった。
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