十五歳
それから二年が経ち、ヒロとガレスは十五歳になっていた。
スラムの上下水道の工事は無事に完了し、その衛生環境は少しずつ、しかし確実に改善への道を歩み始めていた。
もちろん、まだ完璧とは言えない。各戸に直接水道を引き込むことは予算や技術の面からして当然できず、設置されたのは共同の水場と公衆便所だった。それでも、日々の生活に苦しんでいたスラムの人々にとっては、歴史が変わるほどの革命的な出来事だった。
すべての最終報告をギルドで済ませたヒロは、帰り道でふとこれまでの日々に思いを馳せ、感慨に耽っていた。
だが――。
やるべきことは、まだ山のように残っている。
各戸に水道を引くためには、今の平屋ばかりが密集するバラックの構造ではどうあがいても無理だった。こんなにも無秩序に、隙間なく広がる家の地下へ下手に穴を掘れば、地盤沈下を引き起こすのは目に見えている。作業量としても全く現実的ではなかった。
だからこそ、これからは「上に伸びる集合住宅」が必要不可欠になる。
屋上に魔力ポンプで水を組み上げ、そこから重力を利用して各部屋に分配する。王都ですでに採用されている構造だ。それに加えて、調理用の火や明かりのための魔道具を各部屋に配置し、それらを安全に稼働させるための魔力導管もしっかりと引いてこなければならない。
(……うん、こうして考えると、まだまだ時間がかかりそうだな)
頭の中であふれ出す課題を次々と整理しながら、しかし、その胸に宿る情熱が消えることはない。
自分の抱える途方もない悩みとは裏腹に、ヒロの顔は充実感と新たな夢への期待で自然と笑顔に綻んでいた。
酒場の扉を開けると、ガレスがすでにペコペコに減った腹をさすりながらいつもの席で待っていた。
「おう、終わったか?」
ヒロが席に近づくと、ガレスは豪快に笑いながらそう声をかける。
それに対し、ヒロはふっと笑みを深めて首を横に振った。
「ううん、終わりじゃない。……ここからが始まりだよ」
その力強い言葉に、ガレスは頼もしい笑みを浮かべ、ドンとテーブルを叩いた。
「じゃあ、まずは腹を膨らませてからだな!」
目の前の大食漢に呆れつつも、ヒロはどこか誇らしげな、眩しいものを見るような目でガレスを見つめた。
この二年間。
ガレスはあの日の言葉通り、本当にCランクのクエストを黙々と受け続け、地道に、しかし確実に実力を磨き上げていった。そして、ついに自らの手でBランクの依頼を「単独」で達成し――つい先日、ついに念願の『Aランク』へと昇格を果たしたのだ。
(ちゃんとパーティを組んでいれば、もっともっと早く昇格していただろうに……)
そう思うと少しばかり歯痒いような気もする。だが、いつか来る日のためヒロを待ち続け、頑なに単独で泥臭く依頼をこなしていったガレスの生き様を思い出すと、胸の奥がこそばゆく、熱くなるのを感じる。
ヒロはふと、いつものように懐からガレスの成長記録が詰まった書類を取り出し、パラパラとめくりながらその軌跡をしみじみと眺めるのだった。
翌朝。
ヒロは一人でギルドへと足を向けていた。
ガレスの姿はない。
――なぜなら、Aランク以上の冒険者ともなると、自分から掲示板へ仕事を探しに行く必要がなくなるからだ。
給与体系も、一件ごとの報酬ではなく「年俸制」へとガラリと変わる。
多くの調査員や中位冒険者たちの地道な下調べを元に高難度の依頼が作成され、ギルドの上層部によってさらに難易度が厳しく吟味された上で、適性の見極められたAランク以上の者たちへ直接割り当てられるのだ。そして、その一年の成果に応じて翌年の年俸が変動するという仕組みだった。
(……まあ、ガレスにはこっちの方が向いてるよね)
文字の読めないガレスのために、これまでヒロが毎回代わりに依頼を選び、細かい内容を噛み砕いて説明して聞かせていた。
しかし、スラム街のインフラ整備や王都地下の修繕、街の人々の依頼をこなす日々が続く中で、難易度が上がり続けるガレスの依頼の説明をするのは、ヒロにとって難しくなっていた。
今の仕組みであれば、ギルドから直接呼び出しがかかり、別室で専門の職員から詳しい説明を受けてから出発することができる。ガレスにとっても、ヒロにとっても、理にかなっていた。
それでも、一つだけ――昔から変わらないものもあった。
それは、過酷な現場を共にする「装備の調整」だ。
どれだけ仕組みが変わろうとも、ガレスの身体に馴染む武具のメンテナンスだけは、今でもずっと、ヒロとあの工房の親方や職人たちの手で行われていたのだった。
ヒロはいつものようにリリアの窓口へと立ち寄り、彼女に依頼の受付をしてもらいながら、雑談を楽しんでいた。
スラムの街づくりの進捗や、王都地下の魔力導管のこと、街の人たちの賑わい、いつもの木漏れ日の酒場の話、そして最近のガレスの様子。
そんな他愛のない会話を交わしつつ、ふと手元で書類を処理するリリアの手際を眺めていて、ヒロは妙なことに気づいた。
「あれ……? リリアさん、最近ちょっと仕事が遅くなった……?」
ぽろっと口から出たその素朴な疑問に、リリアは筆を止め、呆れたような、しかしどこか愛おしそうにフッと笑った。
「もうっ、ヒロくんのバカ!」
そのやり取りを聞いていた周囲の冒険者や職員たちは、一斉に盛大に頭を抱え、心の中で激しくツッコミを入れた。
(――お前と少しでも長く話したいから、年々ゆっくりになってんだよ!)
現に、他の冒険者に対するリリアの受付処理の速度は年々増しに増し、今や彼女はこのギルド全体の業務を回すに欠かせない受付嬢へと成長していたのだ。
一方のヒロは、そんな周囲の思惑やリリアの乙女心など知る由もない。
「え、なんで怒られたんだろ?」と首をかしげながらも、ようやく受付処理が終わった依頼書をしっかりと手に取り、受付のカウンターを背にして元気よく振り返った。
「じゃあ、行ってきます!」
「うん! 気をつけてね、ヒロくん!」
リリアの温かい笑顔と見送りを受け、ヒロはまっすぐな足取りでギルドの扉へ向かった。




