それぞれの道
翌日。
ヒロはギルドのクエストボードの前で依頼用紙を選びながら、ふと視線を窓口の方へと向けた。
リリアは昨日とは違い、目を細めたり顔をしかめたりすることなく、スラスラと手際よく書類を確認していく。その表情はどこかすっきりと晴れやかで、ヒロは思わず自分のことのように嬉しくなり、ふっと柔らかい笑みを浮かべた。
そんなヒロの様子を、隣で腕を組んで見つめていたガレスが、ニヤニヤと意地悪そうな笑みを浮かべて口を開く。
「……うまくいったみたいだな」
その声にハッと我に返り、ヒロは慌てて視線を戻す。
「ごめん、すぐ選ぶから!」
慌ててクエストボードに向き直るヒロを見て、ガレスはふんと鼻を鳴らして肩をすくめた。
「いいんだ」
そう言ったガレスの横顔はどこか満足そうで、温かな眼差しがほんの少しだけ向けられていた。
そこに一人の女性が近づいてきた。リリアの隣の受付嬢だ。
ヒロが頑なにリリアの列に並び続けた一方で、ガレスはガレスで「その列だけには絶対に並びたくない」と意地を張り、常に隣の列に並び続けてきた。そして、そんなガレスの受付を三年に渡り担当し続けてきた女性である。
彼女が近づいてくるのに気づき、ガレスは怪訝そうな顔をしながらも声をかけた。
「おう! どうした?」
すると彼女は、一枚の羊皮紙をひらひらと軽やかに宙に掲げながら、含みのある笑みを浮かべて言った。
「これ、なーんだ?」
ガレスは、差し出された羊皮紙にびっしりと書き込まれた文字を見るやいなや、これ以上ないほど露骨に嫌そうな顔をした。
その反応にあきれたようにため息をつくと、受付嬢はガレスを通り越して、隣にいたヒロへとその紙をヒョイと手渡す。
「やっぱりこういうのは…….はい、ヒロくん。」
「す、すいません……」
ヒロは申し訳なさそうな顔をしながら羊皮紙を受け取り、真剣な眼差しでじっくりと文字を追っていく。すると、読み進めるにつれて、ヒロの顔に隠しきれない笑みが広がっていった。
ヒロは顔を上げると、受付嬢にワクワクとした目を向けて尋ねる。
「ねぇ、お姉さん。ガレスの鑑定の更新って、今できます?」
受付嬢は待ってましたと言わばかりに、ニヤッと意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「ふふ、そういうと思ってもう水晶を用意してるよ!」
蚊帳の外に置かれたガレスは、わけがわからないというふうに、目を見開いて二人を交互に見比べた。
「んだよ! 勝手に話を進めんなよ!」
ガレスの抗議をよそに、ヒロは「行くよ、ガレス!」とばかりに先にカウンターの方へと歩き出す受付嬢の後をついていく。その途中で、ヒロはふと振り返ってガレスにニコッと笑いかけた。
「Bランク昇格だってさ。おめでとう、ガレス。……あと、そろそろ自分の成長したステータス、見たくない?」
「俺は見ても分かんねーよ!」
ガレスは文句を言い呑渋い顔をしたが、どこか隠しきれない期待の色を浮かべて二人を追いかけるのだった。
ヒロはワクワク感がどうしても隠しきれない様子で、三年前、ガレスがどれほど規格外のステータスを叩き出したかをその受付嬢に嬉しそうに語り始めた。
「いや、私隣にいたわよ……」
書類を用意しながら、受付嬢は呆れたように呟く。
それを聞いたヒロは、ハッとして頭をぽりぽりと掻いた。
「あ、あれ? そうでしたっけ……へへっ」
とびっきりの苦笑いを浮かべるヒロ。その肩にぶるぶると震える手がそっと置かれた。
「ひ、ヒロ。……と、隣」
そこには完璧な笑顔を浮かべつつも、目が全く笑っていないリリアが立っていた。
「あっ! リリアさん、おはようございます!」
元気いっぱいに挨拶するヒロを前に、ガレスは盛大に天を仰いで心の中で頭を抱えた。
三年間、頑ななまでにリリアの列にしか並ばなかった男が、よりにもよって今日に限って、隣の受付嬢と楽しそうに話し込んでいる。
当の本人だけが、その異常事態にまるで気づいていない。
(こいつ……!なんもわかってねぇな……!)
このままだと修羅場になると察知したガレスは、慌てて咳払いをして意を決したように声を張り上げた。
「お、俺! 初めて鑑定してもらったの、リリアだったわ! やっぱこっちの窓口でやってもらおう! な? ヒロ?」
そう言って、ガレスは冷や汗をかきながらヒロの襟首を掴み、無理やりリリアの窓口へと引っ張っていく。
状況を瞬時に察知した隣の受付嬢も、わざとらしく両手をポンと叩いた。
「あっ! 私、そういえば裏で別の用事があるんだった! リリア、あとの手続きお願いね!」
そう言い残すと、彼女は風のように素早く去っていった。
ヒロはまだ状況が飲み込めていないのか首をかしげつつも、リリアの前の席に座り、先ほど話していた三年前のガレスの鑑定をそのまま楽しそうに語り始めた。
最初は凍りついていたリリアだったが、すっかり機嫌を直し、いつもの満面の笑みで「うん、うん」と嬉しそうに耳を傾ける。
その平和なやり取りを少し離れた場所から見守っていたギルドの面々は、「危なかったな……」「良くやった、ガレス!」と一様にホッと胸を撫で下ろすのだった。
リリアは、丁寧にガレスの鑑定申請書を書き進めているヒロの手元を見つめながら、ふっと柔らかく微笑んだ。
「懐かしいね」
「うん……。あの時、リリアさんがいなかったら、今の僕はいないかもしれません」
ヒロは顔を上げ、まっすぐな瞳でリリアを見つめてそう答えた。
その真摯な言葉に、リリアは少し照れくさそうに頬を緩ませる。
「大袈裟だなぁ、もう」
そう言いながらも、リリアの胸の中は温かい満足感で満たされていた。
書類の記入を終えたヒロからそれを受け取ると、リリアはテキパキとカウンターの上にに水晶を配置する。
「さっ、ヒロくん? 手を置いて?」
その言葉に、ヒロは「え?」と間抜けな声を上げてポカンと首を傾げた。
すると、少し離れたところで気まずそうにしていたガレスが、そっと遠慮がちに手を挙げて口を挟む。
「か、鑑定してもらうの、俺なんだけど……」
――主役をすっかり忘れ去られていたガレスのツッコミに、リリアは「あっ……」と小さく声を漏らし、受付周辺は和やかな笑いに包まれるのだった。
リリアは恥ずかしそうに頬をほんのり赤らめながらも、ごまかすようにコホンと一つ咳払いをした。そして、何事もなかったかのようにすまし顔を作ってガレスを手招きする。
「……ガレスさん、手を置いてください」
「おう……」
ガレスは気まずそうに苦笑しながら、言われた通りに魔力水晶へと大きくゴツい手を伸ばした。
その様子を見ていた「三年前の鑑定」を知る冒険者たちが、ニヤニヤしながら周りの人間に野次を飛ばす。
「おい、お前ら!! 目ぇつぶっとけ!!」
ガレスが大きな手を水晶にそっと置いた瞬間――。
次の瞬間、あたり一面の景色が真っ白な光に溶けていく。
それは、三年前の初鑑定の時を遠く置き去りにするような、圧倒的で凄まじい輝きだった。
その光が収まり、何事かと慌てて飛び出してきたギルドマスター。状況を察知した彼は騒ぎの元凶の二人、いや、三人を蹴り飛ばすようにギルドから追い出した。
しかし、その背中はどこか誇らしげだった。
ヒロとガレス、そしてリリアの三人は、いつもの「木漏れ日の酒場」へと足を運んでいた。
午後の柔らかな木漏れ日が差し込む、いつもの特等席。
ガレスとヒロが向かい合わせに座り、そして――そのヒロの隣には、リリアがちょこんと腰掛けいていた。
そのあまりに珍しい光景に、昼下がりから酒場に集まっていた常連たちは、グラスを持ったまま言葉を失い、完全に固まっていた。
リリアがこの酒場に顔を出すようになってから、彼女がここにやってくること自体は珍しくなくなっていた。
ガレスが遠征で留守にしている時は、まるでヒロを気遣うように、彼女はいつもヒロの斜め前の席に座る。
その姿は常連たちから見ても微笑ましく、すっかり見慣れた光景だった。
逆にガレスが帰ってきた日には、リリアはカウンターの端に陣取るギルドマスターのお酌相手をしながら、軽く食事をし帰っていく。
だからこそ、今の配置は異例中の異例だった。
「おい……ガレスの野郎がいるのに、あそこに座るの、はじめてじゃねぇか?」
「おいおい、なんかあったのか……?」
あちこちのテーブルからひそひそと探るような声が漏れてくる。だが、直接声をかけることはできず、固唾を呑んで、三人が会話を始めるのを今か今かと待ち構えていたのだった。
ヒロは懐からスッと一枚の羊皮紙を取り出した。それは、あの三年前のガレスの鑑定書だった。そしてそれを、今回の真新しい鑑定書の隣にピタリと並べて見せる。
ヒロとリリアは自然と顔を寄せ合い、二枚の書類を見比べながら「おぉ……」「すごい成長だね」と声を潜めて頷き合う。
その様子を向かいから眺めていたガレスは、耐えきれずに呆れた声を上げた。
「なんで三年前のやつを、わざわざ懐にしまって持ち歩いてんだよ!!」
ツッコミを入れるガレスに対し、ヒロは「え?」と全く悪びれず、キョトンとした顔を向ける。そして、さらに自分の懐へと手を突っ込み、今度は分厚い書類の束を取り出した。
「だって、ガレスの成長記録は全部持ってるよ?」
パラパラとめくられるそれには、ガレスのこれまでのクエスト達成履歴や、ヒロや工房が行った装備の調整が、それはもう綺麗に記録されていた。
それを聞いたガレスは椅子の背にもたれて天を仰ぐ。
(……くっ、こいつといると、この動作だけで無駄に腹筋が鍛えられるな……)
心の中で遠い目をしながら、ガレスは深く息を吐いた。
ヒロは手にした書類をしまうと、引き締まった表情でリリアに向き直った。
「リリアさん。……ガレスの今のステータスなら、Bランクのクエストでも十分に通用すると思いますか?」
その質問を待っていましたと言わんばかりに、リリアは自分のカバンから一冊の分厚いファイルを取り出してヒロの前に置いた。
中を開くと、そこには過去にBランククエストを完了した冒険者たちの、当時の鑑定記録がずらりと並んでいた。
――だが、それを見たヒロは思わず目を疑う。本来ならギルドの持ち出し厳禁であるはずの重要書類の端々に、すべてあの厄介なギルドマスターの「貸出許可印」がしっかりと押されていたからだ。
(……なるほど。僕らだけじゃなく、リリアさんまで追い出したのはこれのためだったのか……!)
ヒロが心の中で盛大に呆れていると、リリアは真剣な表情に戻ってページをめくった。
ガレスの今回のステータスは、その記録に載っている過去のBランク冒険者たちを余裕で凌駕し、完全に圧倒していた。
しかし、リリアが指し示す通り、その記録に載っている者たちは全て「パーティ」を組んでクエストをクリアした者たちばかりだった。
「……なるほど。リリアさん、では『単独』でBランククエストを完了した記録はありますか?」
ヒロが尋ねると、リリアは「もちろん」と言いたげに、すかさず別の書類をスッと差し出した。
そこに記されていたのは――すべて、格上の『Aランク冒険者』たちの名前だった。
要するに、手持ち無沙汰で暇を持て余したAランクの猛者たちが、気分転換や息抜きに一つ下のBランクのクエストを単独で受けて達成した記録である。
しかし、驚くべきことに、ソロでBランクをクリアしたAランク冒険者たちのステータスは、今目の前にいるガレスの数値と――ほぼ同程度だったのだ。
ヒロは頭を抱えて俯いた。
「……だめだ、これじゃまだ足りない」
ガレスは置いてけぼりにされたような顔で、真剣に資料を覗き込むヒロとリリアの顔を交互に見比べた。
「おい、どういうことだ? 」
見かねたリリアが、指し示した資料をトントンと叩きながら説明する。
「ええとですね、ガレスさん。これは過去のBランククエストの達成記録なんですけど、Bランクの冒険者たちは皆パーティを組んでやっとクリアしているんです。そして、完全に『単独』でそれを成し遂げているのは、全員格上のAランク冒険者たちだけなんです。……で、今回のガレスさんのステータスは、そのAランクの方たちとちょうど同程度なんですよ」
説明をすべて聞き終えたガレスは、一瞬の沈黙のあと、ふんと豪快に鼻を鳴らして胸を張った。
「なんだ、そういうことか! なら、俺のステータスはこのAランクの連中と一緒なんだろ? じゃあ今まで通り俺一人でBランクも余裕でいけるじゃねぇか!!」
満面の笑みでそう豪語するガレスに対し、ヒロはスッと表情を引き締め、まっすぐに向き直った。
「甘いよ、ガレス」
低く、しかし真剣なヒロの声に、ガレスは「お、おう?」と少し気圧される。
「ステータスの数値自体は、確かにAランク冒険者と同程度かもしれない。でも、決定的なのは『経験』が違うんだ。彼らはちゃんとBランク相当の場数を踏んで、壁を越えてAランクになってる。その上で、自分より下のBランククエストをソロで安全に達成してるんだよ」
ヒロはビシッとガレスを指さして言った。
「……だから『ステータスだけ』同程度では足りないんだよ」
張り詰めた空気とヒロの真剣な言葉に、ガレスは表情を引き締める。
ふたりの間に漂う重々しい沈黙に、少し居心地の悪そうなたじろぎを見せながらも、リリアは気を取り直すようにカバンから最後の書類を取り出した。
「な、なので……こ、今回、ガレスさんと相性の良さそうなBランク冒険者たちのパーティリストをまとめてきました……!」
恐る恐る差し出されたその書類。しかし、テーブルの上に置かれたその束に目をくれる者は誰もいなかった。
ヒロとガレスは、ただまっすぐに、お互いの目を見つめ合っている。
ガレスは決意を込めたような低い声で言った。
「……ヒロ。俺は、しばらくCランクのクエストを続ける。だからお前は、ランクを上げろ」
その言葉に対し、ヒロは一切目を逸らさず、まっすぐにその親友の瞳を見返し、ハッキリと言い放った。
――かつて、夜空に呟くしかなかったあの時とは違う。今度は、この親友の目を見て、自分の言葉で伝えたかった。
「僕は、王都に残るよ」
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