溢れる「想い」
それから何度か、ガレスは泊まりがけの依頼へと出るようになった。
ガレスが王都から遠く離れた土地へと赴き、数日間にわたって家を空ける――そんな日常にも、ヒロは徐々に慣れていった。
ガレスが戻り、旅の疲れや傷を癒やして全快すると、決まって二人はギルドへと向かう。依頼を選んだヒロは大きな地図を広げる。
王都からの道順、周辺の複雑な地形、そして対象となるモンスターの習性や弱点。ヒロは的確かつ丁寧にガレスへと説明していく。ガレスはそれを腕組みしながら「ふんふん」と聞き、頼もしそうに相棒を見つめる。
作戦会議を終えると、二人は馴染みの道具屋へと足を運ぶ。
店主はヒロが発するわずかな言葉の端々から、今回の冒険で何が必要になるかを瞬時に察し、手際よく必要な道具を見繕ってカウンターに並べる。
その足で向かうのは、町外れの熱気に満ちた工房だった。
工房に足を踏み入れるやいなや、屈強な職人たちが待ち構えていたかのようにガレスを取り押さえる。
「おい、お前また体格が一回りデカくなってやがるな!」
「動くな、すぐ調整してやる!」
職人たちはガレスの体を強引に押さえつけると、ガレスの装備を豪快に引っぺがしていく。成長を続けるガレスの筋肉質な体格に合わせ、鎧の裏地を張り替え、激しい戦闘で生じたほつれや歪みを熟練の技で次々と直していくのだった。
だが、ガレスの代名詞とも言えるあの大剣だけは、職人たちも手を触れない。それは、いつもヒロの仕事だった。
工房の一角を借り、ヒロはガレスの大剣を作業台にしっかりと固定する。
ガレスの圧倒的な怪力と、無茶な戦闘の負荷を受け止めてきた剣身。柄頭の緩みを丁寧に締め直し、激しい衝撃で少しだけ丸くなった刃先を、砥石を使って慎重に研ぎ直していく。
金属が冴えた音を立てる。
冷たく青い光を放つその刀身に触れながら、ヒロは心の中で静かに誓う。
(……この剣が、ガレスの背中を守るんだ)
手入れの行き届いた巨大な大剣をガレスに手渡し、ヒロはあふれる想いを胸に、その分厚い背中を勢いよく叩いた。
「頼んだよ!」
「おうっ!!」
力強い返事と共に、ガレスは頼もしい足取りで王都の門へと歩き出していく。
――その姿が完全に視界から見えなくなるまで、ヒロはずっと見送り続けた。
ガレスの背中が見えなくなったその瞬間から、ヒロの仕事が始まる。
ギルドの重い木製の扉を押し開き、足慣れた様子でロビーへと入っていく。
いつものようにリリアの受付へ向かうと、並んでいた屈強な冒険者たちが、なぜかニヤニヤと楽しそうな笑みを浮かべながら、スッと自然に前を譲ってくれた。
「おう、ヒロ、先に行きな」
「いってこい、若造」
――もう、すっかり慣れっこだった。
ヒロは気恥ずかしさを紛らわせるように軽く手を上げ、一番奥のカウンターへと歩み寄った。
「おはようございます、リリアさん!」
「おはよ、ヒロくん!」
リリアはパッと顔を輝かせ、今日も変わらない温かく優しい笑顔で出迎えてくれる。
無事に受付を済ませたヒロは街の小さな仕事をそつなくこなしていく。
ただ、最近は依頼そのものよりも、街の人々と挨拶を交わし、世間話に花を咲かせる時間の方が圧倒的に増えていた。
「おっ、ヒロじゃないか。これをやるよ、持っていきな!」
「あ、ありがとうございます!」
子どもたちの相手をしたり、店番を手伝ったりするたびに、ヒロが持ち歩いている木製のカゴには、街の人々からの温かい差し入れが次々と放り込まれる。
いつものように、カゴの中身は果物や焼きたてのパンでいつも山盛りになっていく。
少し離れた場所でその様子を見ていた別の店の店主たちが、自分の差し入れを諦めざるを得ないのを見ると、悔しそうに声を張り上げる。
「もうっ! そんなにパンを入れたら、うちの肉まんが入らないじゃないか! 次はうちに先に来なきゃダメだよ!」
ヒロは苦笑いを浮かべながら、申し訳なさそうに、だけどどこか嬉しそうに頭をペコリと下げる。
住民たちの軽口と笑顔に包まれながら、ヒロはたくさんの温もりを抱えたカゴを揺らし、再び賑やかなギルドへと戻っていくのだった。
依頼の完了報告をしっかりと済ませて帰ろうとしたその時、ギルドの受付あたりから不穏な――いや、どこか楽しげなざわめきが起こった。
「なんだろう?」と首をかしげてヒロが振り返ると、そこでは受付嬢たちが、リリアの書類やペンを次々と奪い去り、カウンターの外へと押し出すように背中を押しているところだった。
「リリアちゃん、もういいから!あとは私たちに任せて!」
「ほら、今日はガレスくんがいないんだから!」
「早く行きなさい!」
同僚たちの温かい、けれど少し強引なアシストに、リリアは「もうっ、みんな……」と呆れたような、それでいて恥ずかしそうな笑みを浮かべながらも、一人一人にしっかりと頭を下げた。
そして、クルリと振り返ると、まっすぐにヒロのほうへ歩み寄り、その小さな手でヒロの温かい手をぎゅっと掴んだ。
「……行こっか、ヒロくん」
「えっ……あ……」
不意に繋がれた手のひらの熱と、リリアの少し上気した横顔に、ヒロは一瞬で心臓を跳ね上げさせ、顔を真っ赤に染め上げる。
言葉を失ったまま、リリアに手を引かれるがままに、ヒロはギルドの出口へと連れ出されていった。
その微笑ましい二人を見送りながら、昔からずっとリリアの列に並んで彼女を見守ってきた古参の冒険者たちは、まるで自分のことのように小さく力強く拳を握りしめる。
(まあ、遅せぇけど……それでいい…..いや、それがいい!)
二人が酒場の扉を開けて中に入ると、厨房のほうからカチャリと皿が触れ合う音が響いた。
いつもなら手元の作業に集中したまま、顔も上げずに顎でいつもの席を指し示すだけの女将が、なぜかその時は珍しくふっと顔を上げたのだ。
(くっ……こんなときだけ、やたらと勘が鋭いんだから……!)
ヒロは恥ずかしさをごまかすように明後日のあらぬ方向を眺めながら、裏返りそうな声を必死に絞り出した。
「た、ただいま……!」
その緊張しきった様子に、カウンターの奥からセレナがパッと嬉しそうな笑顔を浮かべて駆け寄ってくる。セレナは繋がったままの手を面白そうにちらりと見てから、リリアとヒロの手をそれぞれ優しく掴み、いつもの特等席へと引っ張っていって座らせた。
セレナが振り返ると、女将は片目を瞑りながら、豪勢な料理の数々をカウンターの上に並べ、セレナに渡した。
湯気を上げる極上の肉料理に、見たこともないような贅沢なスープ、そしてきらめくグラス。あまりの豪華さに、リリアは「え……?」と目を丸くして言葉を失う。
そのリリアの驚いた顔を見て、女将はふっと意地の悪い、だけどどこか温かい笑みを浮かべながら、カウンターの端をあごでくいっとしゃくった。
「……奢りだってさ」
ギルドマスターは、グラスを傾けたまま、こちらを振り返りもせずにぶっきらぼうに吐き捨てた。
「……今日は気分がいい。あの赤髪のバカが大騒ぎしてないからな」
その、不器用すぎるけれどどこか愛情の滲んだ照れ隠しの言葉に、酒場中にいた常連たちが一斉に声を上げて大笑いする。
ヒロは慌てて立ち上がり、頭を下げながらぶんぶんと手を振った。
「す、すいませんギルドマスター! ガレスがいつも暴れてご迷惑おかけして……それに、料理の代金、ちゃんと払いますよ!」
真面目すぎるヒロの反応に、隣に座っていたリリアは「ふふっ……あははっ!」とおかしくなって耐えきれず声を上げて笑い出す。
その様子に、ギルドマスターは仕方ないとばかりに盛大なため息をつき、呆れたように振り返った。
「……おいおい。普段は妙に小賢しく立ち回るくせに、こういう冗談は分かんねぇのかよ」
苦笑いを浮かべながらも、その目尻はどこか優しく緩んでいて――酒場はさらに大きな、温かい笑い声に包まれるのだった。
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