酒場の看板娘
王都はすっかり柔らかな春の陽だまりに包まれ、ギルドの扉が開くたびに活気のある喧騒が戻ってくる。
掲示板には所狭しと新しい依頼が貼り出され、その中には、長らく影を潜めていた街の小さな生活依頼が混じり始めていた。
「やった! どぶさらいだ!」
ヒロが歓声を上げながら一枚の依頼書を引き抜く。その姿に周囲の冒険者たちは盛大に呆れ返ったが――不思議と「まあ、アイツらしいか」と、誰もがどこか納得して苦笑いを浮かべるのだった。
ヒロとガレスが王都にやってきて、早二年が経とうとしていた。
今ではすっかり自分の意志で依頼を選び取れるようになっている。
手際よく、自分の分の依頼をパパッと確認していく。かつてリリアがそうしてくれたように、一日に必要な稼ぎ、街を効率良く回れるルート、それらを瞬時に頭の中で組み立てる。
自分の分を選び終えると、ヒロはふっと表情を引き締め、真剣な眼差しでガレスの依頼を選び始めた。
史上最年少でランクを駆け上がっていく赤髪の大剣使い――ガレス。
早くもCランクへと昇格したその名は、この二年の間に王都で着実に知れ渡っていた。
ヒロはガレスにふさわしい、歯ごたえのある強力な魔物の討伐依頼を剥がし、テーブルの上に広げた大きな王国の地図を指し示す。
「ここが今回の現場だ。討伐対象は中位のロックリザードの群れ……ガレスの得意な真正面からの突撃が活きるはずだけど、巣の周囲は足場が悪いから、無理に大振りしすぎないようにね」
熱心に身を乗り出し、討伐対象の生態や効率的なルートを淡々と説明するヒロ。
ガレスは腕を組み、その真剣な説明をじっと聞きながら、時折頼もしく力強く頷いた。
「よし……これで完璧だな」
説明を終えたヒロが依頼書をきれいに揃えると、ガレスも「おう、任せとけ!」と頼もしい笑みを浮かべる。
二人はそれぞれの依頼書をしっかりと手に持ち、活気づくギルドの受付へと並んで歩き出した。
リリアのいる受付に近づくと、列に並んでいた歴戦の冒険者たちが「おう、行けよ」とばかりに黙って道を開けた。
ヒロは少し困ったように苦笑いを浮かべ、通路を譲ってくれる一人一人に丁寧にお辞儀をしながら、リリアの待つカウンターの前に立つ。
「おはようございます、リリアさん!」
「おはよ、ヒロくん!」
王都に来てから二年。あどけなさが残っていた彼女は、今やすっかり頼もしいお姉さんの雰囲気をまとっていた。
ヒロは少しだけ頬を赤らめながら、吟味した依頼書の束をそっと差し出す。
リリアは手際よく目線を走らせて内容を確認すると、慣れた手つきで次々と受理のハンコを押していった。
無事にハンコが押された依頼書を受け取り、ヒロは元気よく声を弾ませる。
「それじゃ、行ってきます!」
踵を返そうとしたその背中に、リリアの明るい声が引き止めるように飛んできた。
「あっ、ヒロくん! ちょっと待って、もうすぐお誕生日でしょ?」
その言葉を聞いた瞬間、ヒロは昨年の痛みを思い出して頭を押さえた。
去年、親方たちを誘わず、盛大な拳骨を食らったのだった。あの一撃の重みは今でも忘れられない。
頭をさすりながら遠い目をするヒロを見て、リリアは「ふふっ」と楽しそうに吹き出す。
そんな微笑ましい二人のやり取りを、少し離れた場所から見ていた周囲の冒険者たちは、顔を見合わせて小さく頷いた。
(よく笑うようになったな)
ギルド全体が柔らかく和やかな空気に包まれる中、ヒロとガレスは元気よく仕事へと出発していく。
それを温かい眼差しで見送ったあと、リリアはすっと姿勢を正して前を向き、キリッとした声呼ぶ。
「次の方」
「っ! はい!」
(….やっぱ変わんねぇな)
周りは少し呆れながらも、今日もいつもの活気ある一日が始まったのだった。
ギルドを出て青空の下へ踏み出すと、春の心地よい風が二人の髪を揺らした。
石畳の道を並んで歩きながら、ヒロはさきほどリリアに言われた言葉を思い出し、少し気まずそうにぼそっと呟く。
「……なぁ、ガレス。自分の誕生日に人誘うのってさ、なんか恥ずかしくない?」
祝ってほしい気持ちはあるけれど、いざ自分で「誕生日だからお祝いして」と口にするのは気恥ずかしさが勝ってしまう。そんな年頃らしい悩みを吐露したヒロだったが、隣を歩く赤髪の相棒はキョトンと首を傾げるばかりだった。
「ん? なんでだ? 俺、もう親方たちや常連の連中に誘っちまったぜ?」
「えっ……いつの間に!?」
ヒロが目を丸くして立ち止まると、ガレスは豪快に胸を張ってニカッと笑ってみせた。
「一昨日、酒場で旨い肉を食ったときに『来週はヒロの誕生日だから全員集合な!』って大声で宣言してきたぞ。みんな喜んで、『よし、たらふくご馳走してやらぁ!』って気合十分だったぜ」
自分の知らないところで盛大な宴会の予定が組まれていることを知り、ヒロは頭を抱えて天を仰ぐのだった。
そして、
二人の誕生日当日。
朝の柔らかな陽光が王都を包み込む中、セレナはいつもより早く目を覚ましてベッドから抜け出していた。
彼女が向かったのは、酒場近くの開けた広場だ。去年は酒場の店内だけでこぢんまりと祝ったものだが、今年は集まる人数が去年の比ではない。とても店内に収まりきらないため、今年は盛大にこの広場を貸し切って執り行うことになったのだ。
誰よりも早く現地に到着したセレナは、手際よく酒場から持ってきた鍋や食器を並べ、飾り付けの準備を進めていく。
しばらくすると、常連や職人、冒険者たちが、一人、また一人と荷物を抱えて広場に集まってきた。それぞれが自慢の料理を持ち寄り、木製の大きなテーブルを組み立て、あっという間に賑やかな宴会の場が作り上げられていく。
慌ただしくも楽しそうに動き回る人々の活気を眺めながら、セレナはふと柔らかく微笑んだ。
――まるで、小さな村の大きなお祭りね。
その時だった。
背後からかけられた、聞き慣れた面倒見のいい声に、セレナはハッと肩を揺らした。
「まったく……こんな朝っぱらから、張り切り過ぎだよ」
振り返ると、エプロン姿の女将が、両腰に手を当てて呆れたように笑っていた。
その言葉に、セレナは周囲を見回してようやく気づく。
自分一人で誰よりも早く来て準備を済ませておけば、昼過ぎからの本番にはみんなでゆっくりお祝いできるだろう――そう思って早起きしてきたはずだった。しかし、目の前に広がる光景は、すでに準備の域を超えている。むしろ、宴会の最終調整に入っているかのような完成度だった。
――もう、終わりかけている……?
みんな、同じ気持ちだったのだ。
ヒロとガレスの誕生日を心から祝い、誰よりも早く準備をして驚かせたい、喜ばせたいと馳せ参じた結果が、この早朝の熱気だった。
そしてセレナは、さらに一つの真実に気づく。
今、自分の背中に温かい声をかけているこの女将自身もまた、誰よりも早く起きて、誰よりも張り切ってここにやってきた――その「一人」なのだと。
その事実に気づいた瞬間、胸の奥からじわりと熱いものが込み上げ、セレナはこぼれそうになる笑みを隠せなかった。
すっかり陽が昇り、酒場でのいつもの朝の作業を終えた二人が、不思議そうに首を傾げながら店の扉を開けて表に出てきた。
「……なぁ、女将とセレナは?朝飯は?」
お腹を空かせたガレスがぼやきながら顔を上げると、目の前に広がる光景に言葉を失った。
酒場の近くの広場は、昨日の静けさが嘘のように飾り付けられ、香ばしい肉の焼き上がる匂いと、大勢の楽しげな笑い声に包まれていた。
「――っ! ヒロ、おい、見ろよこれ……!」
ガレスは驚きのあまり目を見張り、隣にいたヒロの手をぎゅっと掴むと、そのまま一目散に広場へと駆け出してくる。
その勢いのまま飛び込んできた二人の姿を遠くに見つけて、セレナは柔らかく微笑みながら、大きく手を振った。
セレナは次々と料理や酒を大皿に盛り付け、集まった人々に配って回った。
一段落つくと、彼女は女将の手伝いをしながら、たくさんの人々に囲まれて賑やかに笑い合う二人を見つめた。
その中心で、ガレスが突然ガタッと勢いよく椅子から立ち上がる。
「今日はヒロの誕生日だ!!」
気合十分なその宣言に、周囲の職人や冒険者たちがすかさず声を揃えて突っ込む。
「「お前もだろ!!」」
すかさず起きた盛大なツッコミと周囲の大笑いに、ガレスは「あ、そうだった!」と頭をかいて照れ笑いを浮かべる。隣で料理の手を動かしながら、女将もやれやれといった風に呆れたように笑っていた。
だが、そんな温かい光景の中で、セレナだけは笑えずにいた。
二人がこの王都にやってきてからの日々が、走馬灯のように脳裏をよぎる。
――あの時、ヒロがパンを食べて涙したのを覚えている。あの時、ガレスはホッとし、そしてヒロの涙を隠すように、わざと大声を出して大騒ぎしていた。
いつも、そうだ。ガレスは自分のことなど二の次で、彼の頭の中には常に相棒であるヒロのことばかりしかなかった。
(……じゃあ、ガレスのことは、いったい誰が想ってくれるの?)
胸の奥がキュッと締め付けられるような切なさがこみ上げる。気付けば、セレナはテーブルから上半身を大きく乗り出していた。
「――ガレス!! お誕生日、おめでとう!!」
絞り出すような、けれど誰よりも通る声で彼女が叫ぶと、ガレスは嬉しそうにパッと顔を輝かせ、力強く拳を突き上げた。
「おうっ!! ありがとな、セレナ!!」
周囲の視線が一斉にセレナへと集まった。
普段はいつでも気立がよく、明るく振る舞っている看板娘のセレナ。しかし、今彼女が浮かべているのは、満面の笑みでありながら、なぜか泣き出しそうに震える顔だった。そのあまりにも切なさを帯びた表情に、周囲の空気がふっと静まり返る。
しかし、その沈黙を破るように、隣に立っていた女将がふっと小さく息を吐いた。彼女は手に持っていた木べらの柄で、コンと優しくセレナの頭を軽く叩く。
「……ヒロもだよ」
「っ……あ」
女将のからかうような、けれど温かい言葉に、セレナは自分がどれほど剥き出しの感情を晒していたかに気付く。一気に顔が真っ赤に染まり、彼女は慌てて両手で頬を押さえた。
そのあまりの可愛らしい慌てように、張り詰めていた空気が一気にほどけ、広場全体に再び盛大な大笑いが巻き起こるのであった。
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