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見習い冒険者はいつになっても正式採用を受けない  作者: Patriot
十一歳〜十二歳

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36/105

「運ぶ」魔法

王都の地下深くを巡る「魔力導管」の整備。

かつては手が足りない時だけの急な便利屋として呼ばれるだけだったその仕事に、今のヒロは、まるで正規の職人のように指名されるようになっていた。


以前は週に一度あればいい方だったその現場への出入りは、今や二日、三日に一度のペースへと増えている。

微細な歪みを修復するヒロの技術は、もはやベテランの職人たちをも唸らせる域に達していた。その分、かつてのように朝から晩まで街中の細かな雑務をこなす時間は減り、依頼をすべて自分で受けることは難しくなっていた。


だが――王都の街が滞ることはなかった。


この一年間、ヒロが汗を流しながらコツコツと働き、誰かのために走り回る姿を、誰よりも近くで見てきた者たちがいた。

冒険者たちは、依頼に向かう朝の道すがら「ついでだ」とどぶさらいを引き受け、別の冒険者は依頼を終えた帰りがけに、子どもたちのための使い走りや重い荷物の運搬を一件片付けていく。

かつてはヒロがたった一人で何件も抱え込み、必死に回していた小さな仕事の数々。

それは今や、ヒロの生き様に背中を押された多くの冒険者たちが、ほんの少しずつ分け合って引き受けるだけで、なんの滞りもなく、街全体を温かく回していくようになっていたのだ。

誰も強制したわけじゃない。ただ、ヒロという少年のまごころが、この王都の空気を少しずつ変えていた。


そんなある日


静寂に包まれた薄暗い王都の地下通路。壁面に張り巡らされた魔力導管が、青く淡い光を放っている。

その冷たい光の中で、ヒロは手際よく導管の接合部を工具で調整していた。しかし、その静けさは突然の足音によって破られた。

シャカシャカ、カサカサと、無数の不気味な足音が闇の奥から響いてくる。

ヒロが顔を上げた瞬間、通路の曲がり角から黒い影の群れが溢れ出してきた。


「――っ!?」


現れたのはネズミだった。だが、魔力導管から漏れ出す濃密な魔力を長年浴び続けたせいで、それはただの害獣ではない。全身の毛が逆立ち、赤い目を爛々と輝かせた魔獣――「ラットビースト」へと変異していた。

サイズは小さいものでも子豚ほどもあり、それが十匹以上の群れをなして牙を剥き出しにしながら突進してくる。


「おい、出たぞ! 」

「またかよ、まったく……!」


現場にいた職人たちが一斉に作業の手を止め、工具を握りしめて身構えた。地下での作業において、この魔力汚染されたネズミの群れは珍しくないが、不意打ちで群れに襲われると流石に厄介な相手だった。

その最先陣を切ったのは、やっぱりあの男だった。


「おらぁっ!」


ドッと地響きがするような踏み込みとともに、親方が拳を振り下ろす。ボキリ、と凄まじい音を立てて、一匹目が壁に叩きつけられ、続く二匹目、三匹目も親方の放つ強烈な拳骨の一撃で次々と地面に沈んでいく。


「ははっ、さすが親方の馬鹿力!!」

「一撃必殺だな!」


通路のあちこちで職人たちが工具で追い払い、大笑いしながらネズミたちを蹴散らしていく。数分も経たないうちに、暴れていた群れは綺麗に掃討され、地下通路には再び静けさが戻った。


しかし――。


ヒロは手にした工具を下ろし、自分の作業着についた土埃を払いながら、微かに苦笑いを浮かべた。その表情の奥には、隠しきれない小さな苛立ちが滲んでいる。


(せっかく、職人としてここでの仕事が増えたのに……これじゃあ毎回作業が中断されちゃう……)


ネズミを追い払うこと自体は仕方ない。だが、魔力導管の整備はわずかな狂いも許されない繊細な作業だ。こうも頻繁に害獣の襲撃で手を止めさせられていては、いつまで経っても仕事が進まない。


その日から、ヒロの地下での動きが変わった。

微細な歪みや、肉眼では見えない金属の内部亀裂を探し出すためにかつて習得した「探知魔法」。ヒロはそれを、作業中どころか地下に降りている間は常に発動し続けさせた。


目的はただ一つ、地下での作業を邪魔する魔獣の群れを未然に察知し、襲われる前に先手を打つためだ。

もちろん、最初からうまくいくはずもなかった。

まだ成長途上のヒロの魔力総量はそこまで多くない。常に魔法を展開し続けた結果、わずか数分で魔力を根こそぎ枯渇させ、その場にバタリと倒れ込むという、お世辞にも物語の主人公とは思えない情けない体たらくを何度も繰り返した。


だが、ヒロは諦めなかった。


最初は数分、やがて一時間、半日と少しずつ伸ばし――一ヶ月経った頃には、起きている間は意識せずとも、常に探知魔法を自然体で発動し続けられるようになっていた。

劇的に魔力が総量として増えたわけではない。いわゆる、才能の開花や御伽話のような奇跡が起きたわけでもなかった。

ただ、日々の泥臭い積み重ねの中で、自分の持っている魔力を極限まで効率よく術式へと変換できるようになっただけだ。

たったそれだけの変化。

けれど、その地道な積み重ねが、妙にヒロの性に合っていた。

できないことを、自分の頭で考え、工夫し、少しずつできるようにしていく。

道具の扱い方を磨く職人の技術も、目に見えない魔力を操る魔法も、本質的には何一つ変わらない。

そうして手に入れた「常に周囲を見通す目」によって、ネズミの群れが地下道の曲がり角から姿を現すよりずっと前、気配の段階でヒロはそれを正確に捉えるようになっていくのだった。


探知魔法でラットビーストの居場所を事前に把握できるようになってから、地下での作業が中断されることは劇的に減った。


あらかじめ魔獣が溜まっているルートが分かっていれば、作業前に簡易的な鉄骨や障害物を組んで通路を塞ぐだけでいい。無駄な戦闘で体力を削られることもなくなり、ヒロは驚くほどスムーズに作業へ没頭できるようになった。


そんな落ち着いた日々を過ごすうち、ヒロは徐々により大きな「太い導管」の整備をも手伝うようになっていく。


しかし、それがヒロにとって職人人生で初めてとも言える、強烈な挫折の始まりだった。


細い導管の修理であれば、今や誰の立ち会いもなく完全に一人で完結させられる腕前になっていた。だが、太い導管の作業は、それとは次元が違う難しさがあった。

何がそれほど難しいのか。

それは、「修理する順番の判断」がまったくつかなかったからだ。

導管の規模が大きくなるにつれて、内部を流れる魔力や圧力は跳ね上がる。

一つの傷を直して安心したのも束の間、そこにかかっていた圧力が逃げ場を失い、別の未修復の傷へと一気に集中してしまう。結果、直した先から隣の亀裂がさらに大きな致命傷へと広がっていき、かえって事態を悪化させてしまうのだ。


「そこじゃねえ!!」


ガツン、と容赦なく親方の重い拳骨がヒロの頭へと落ちる。


「いてっ……!」


頭を押さえてうずくまるヒロに、親方はぶっきらぼうに言い放つ。


「木を見て森を見ずってやつだ! 全体の流れを見やがれ!」


(そんなこと言われたって……!)


ヒロは心の中で泣き言を呟く。

このベテランの職人たちは、長年の経験と研ぎ澄まされた「勘」で、どこから手をつけ、どの順序で圧力を逃がせばいいのかを本能的に理解している。だが、理詰めで考えようとするヒロには、その全体をコントロールする手順がどうにも見えてこなかった。

頭でどれだけ理屈を組み立てても、現場の複雑な圧力のバランスを前にすると、途端に正解がわからなくなる。

初めて直面する大きな壁を前に、ヒロは歯噛みしながら、どうすればその「勘」の正体にたどり着けるのかと頭を悩ませ続けていた。


しばらく悩んだ末に一つの結果に辿り着いた。そもそもそんな本能とか勘のようなものは持ち合わせていない。


――ならば。


一度に全部直してみせようじゃないか。

ヒロの中で、パズルのピースがカチリと音を立てて噛み合った。

細い導管で培った修繕魔法を、一つではなく複数、同時に構築する。探知魔法で網羅した太い導管の全表面にある傷の数々を、魔法の糸で同時に捉え、一網打尽にすべての傷を丸ごと修復するのだ。

それは魔力の消費も、術式の制御も、これまでの比ではないほどの極限の集中力を要する荒技だった。

だが、ヒロの脳内には常に周囲を捉える探知魔法が展開されている。見えているなら、構築できる。

ヒロは両手を太い導管にかざし、一気に魔力を解き放った。

空気が震え、青白い無数の光の糸が導管の表面を覆い尽くす。次の瞬間、幾多の傷口が同時に塞がり、漏れ出していた魔力がピタリと封じ込められた。

その異様な魔力の奔流に気づき、すぐ近くで作業していた親方が手を止めて振り返る。

飛んできたのは、いつものように容赦のない拳骨……ではなく。

親方の拳は、ヒロの頭の数センチ手前でピタリと止まっていた。

ジッとヒロの魔法の結果を見た親方は、ふんっ、と不満そうに鼻を鳴らす。


「……まだ、雑だ。仕上げは手で丁寧にやれ」


それだけ吐き捨てると、親方は背中を向け、自分の持ち場へと帰っていった。

しかし、その背中をよく見れば、驚きを隠しきれないのか、あるいは教え子の成長が嬉しかったのか、足取りはどこか軽やかで、口元は隠しきれない笑みに緩んでいたのだった。


地下の魔力導管の整備と、そこでの格闘のような日々の試行錯誤。そんな生活を続けてから、あっという間に半年の月日が流れていた。

探知魔法の常時発動による持久力の限界突破。

太い導管に対する修繕魔法の複数同時発動による極限の魔力コントロール。

そして、重い資材を何往復も運ぶ際の、身体強化魔法による絶え間ない魔力消費の負荷。

それらの過酷な日課を泥臭くこなしてきた結果、ヒロの身体と精神は限界を押し広げられ、かつては決して起きなかった変化が訪れていた。

――そう、ようやく、ヒロの魔力量が少しずつ底上げされ、総量が増えてきていたのだ。

ある日、現場へと向かうために大量の重い金属資材を前にして、ヒロはふと小首を傾げた。


(待てよ……これ、何で毎回わざわざ自分の体で運んでるんだろ)


思考が切り替わると同時に、頭の中で自然と魔法の組み立てが始まっていた。

もともと、あの複雑な修繕魔法だってそうだ。かつて村にいた時、モルドに叩き込まれた職人の技や感覚を、ヒロが自分の解釈で理詰めの「魔法」へと落とし込み、独自の術式へと昇華させたものだった。

あの時と同じ感覚で、ヒロは頭の中で新しい術式を編み上げていく。


(要するに、空間を繋いで一定の容積の中に物質を一時的に固定・格納できればいい)


導き出された答えはシンプルだった。

それは――「収納魔法」だった。

必要な資材をすべてその空間にしまっておけば、そもそも重い荷物を抱えて地下通路を何往復もして運ぶ必要など最初からない。

自分の不便を、魔法と工夫で鮮やかに塗り替えていく。ヒロの新しい発明が、また一つ形になろうとしていた。


それからというもの、収納魔法の完成に向けた挑戦は失敗の連続だった。

まずは小さなものからと試したボルトは、空間の歪みに呑み込まれたのか、発動した瞬間に綺麗に消え失せた。慌てて空間の座標を調整して取り出してみれば、歪な圧力に押しつぶされたのか、ぐちゃぐちゃに変形して元の形など微塵も留めていなかった。

(空間座標をどう固定するか)

(容量をどう定義するか)

(物質をどう保持するか)

(取り出す際にどう再接続するか)

導き出した理論も、術式の構築も、そのすべては完璧だったはずだ。

それなのに失敗するのはなぜか。頭を抱えて検証を重ねた末、ヒロはようやく一つの誤りにたどり着いた。間違っていたのは理論ではなく、ただ「魔力の流し方」そのものだった。

しかし、立ち止まって落ち込んでいるヒロの時間はどこにもなかった。


十一歳の冬。


風が吹き抜ける中、街のはずれにあるお婆さんの家の雪かきをテキパキと済ませたヒロは、促されるままに温かい部屋にお邪魔して、湯気の立つお茶を啜っていた。

王都に来てから始まったこの付き合いも、一年半以上になる。

初めは、あの使い古されたカゴを無理やり押し付けられ、半ば強制的に差し入れを渡されたのがきっかけだった。だが今では、依頼の有無に関係なく、ヒロの方から進んで顔を出し、お茶を飲んでいく仲になっていた。

訪ねるたびに、お婆さんは目じりのしわを深くして、顔をくしゃくしゃにしながら喜んでくれる。そうして二人で他愛のないおしゃべりをするのが、ヒロには心地がよかった。

不思議なことに、酒場の女将やセレナ、親方、教会の神官――お世話になった多くの人たちには気恥ずかしくて言えないようなことも、なぜかこのお婆さんに対しては、自然とすべてを話してしまう。

かつて故郷の村で起きた悲劇のことや、心の中にある小さな葛藤を話した時も、お婆さんは過剰に憐れんだり、痛ましそうに悲しんだりすることはなかった。ただ静かに、温かい眼差しで、まっすぐに自分の言葉を受け止めて聞いてくれる。

その飾らない優しさが、日々の修練や仕事で張り詰めていたヒロの心を、優しく解きほぐしていくのだった。


「なんか、悩んでるねぇ?」


温かいお茶の湯気をふーふーと吹きながら、お婆さんはシワの寄った目を細めてヒロの顔をのぞき込んだ。まったく、この人の前では何を考えているかすぐにバレてしまう。


ヒロは照れくさそうに頭をかきながら、今まさに自身が行き詰まっている「収納魔法」の話をぽつりぽつりと切り出した。

どうせお婆さんに話したところで、専門的な魔法の理屈なんて分からないだろう。それでも、言葉にして誰かに聞いてもらいたかった。このお婆さんと過ごす時間は、ヒロにとってそれくらい大切で、かけがえのないものだったからだ。

じっと相槌を打ちながら話を聞いていたお婆さんは、ヒロが一通り説明を終えると、ふと穏やかな声で問いかけた。


「でも、お前さん。それを……しまって、どうするんだい?」


「え?」


予想外の問いに、ヒロは首を傾げた。


「どうするって、重い荷物をしまって、必要な場所で取り出すんだよ。そしたら何度も往復しなくて済むだろ?」


当たり前のことを答えたつもりのヒロに、お婆さんはじっとその真っ直ぐな瞳を見つめたまま、クスリと笑った。


「じゃあ、しまうだけなんじゃないじゃないか」


「……え?」


お婆さんは、部屋の隅に置かれていた、あの使い古された「カゴ」を指差した。


「そのカゴだってそうさ。物をただ詰め込んでおくためだけに、お前さんはいつも持ち歩いてるんじゃないだろう?」


その言葉に、ハッとする。

ヒロの脳裏に、あのカゴと共に過ごした日々が鮮やかに蘇ってきた。

街の人々にもらった差し入れ。それを酒場の女将が瓶詰めや保存食にして、再びお返しとしてカゴに詰め、また別の誰かのもとへと運んでいく。


――確かに、そうだ。


あのカゴは、いつだって空っぽになることがなかった。誰かから何かを受け取り、自分の温もりを乗せて、また誰かの元へと繋いでいくためのものだった。


「……それにね、村の鍛冶屋さんから貰ったお前の大事な道具だって、ずっと大切に持っているんだろう?」


お婆さんが視線を向けた先には、年季の入ったヒロの工具箱があった。

その中にあるのは、ただの鉄の塊じゃない。亡きモルドが教えてくれた技の数々。

ハッと胸を突かれたように、ヒロは自分の中に流れる魔力に意識を向けた。

今、自分が当たり前のように使っている「修繕魔法」。

それだって、自分でゼロから生み出したものじゃない。モルドという男からもらい受けた技術と想いを、自分なりに解釈して魔法という形に落とし込んだものだった。

受け取ったものは、ただしまい込んで終わりにするものじゃない。

そこから何が生まれて、どこへ繋がっていくのか――。


ヒロは工具箱をしっかりと肩に担ぎ直し、傍らに置いてあったあの使い古されたカゴを両手で持ち上げた。


「……ご馳走様。お茶、美味しかったよ」


頭を下げてお礼を伝えると、ヒロは温かな熱の残る部屋をあとにして、静かに家を出た。

冷たい冬の空気が外に広がっていたが、不思議と体の芯はポカポカと温かかった。

戸口の向こう、開け放たれた扉の隙間から、お婆さんの優しく柔らかな声が背中にそっとかかった。


「またいつでも遊びにおいで」


その言葉を背中で受け止めながら、ヒロは軽く手を挙げて歩き出す。

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