ガレスの朝
ガレスの朝は早い。
東の空が白み始め、眩い朝日が窓の隙間から差し込むと同時に、その光を肌で感じるようにガレスはすっきりと目を覚ました。
物心ついた時から――いや、おそらくもっと遠い昔の記憶すらない頃からの、野性の獣のような習性が体に染みついている。
ふと隣に目をやると、まだ穏やかな寝息を立てて眠っている相棒・ヒロの姿があった。
ガレスは少しの間、そのあどけなさが残る寝顔をじっと眺めると、ふっと口元を緩めてから静かに布団から這い出す。
そして、壁に立てかけておいた愛用の巨大な大剣をひょいと肩に担ぎ、音を立てないように慎重に部屋の扉を開けた。きしむ階段を静かに降り、酒場の裏手にある小さな庭へと出る。
ひんやりとした朝の空気が、熱を帯びた体に心地よい。
庭の一角に据えられた頑丈な薪割り台。そこにどっしりと重い丸太を置くと、ガレスは肩に担いでいた大剣を構え直した。
次の瞬間、周囲の音――小鳥のさえずりや風のざわめきが、すっと意識から消えた。
自分の肉体と大剣の重みが完全に同化し、剣が体の一部になったかのように自然に溶けていく感覚。頭の中が研ぎ澄まされ、無駄な力が一切抜けていく。
グッと腰を落とし、腹の底から絞り出すような低い掛け声と共に、大剣を一気に振り下ろした。
朝の静寂を切り裂くような乾いた音が庭に響き渡る。丸太は一刀両断され、きれいに真っ二つに裂けて転がった。
王都に来てから一年以上、一日たりとも欠かすことなく続けている、ガレスにとっての変わらない朝の始まりだった。
庭に響き渡る規則正しい薪割りの音。
その音を合図にするように、二階の部屋でヒロが目を覚まし、早速きびきびと酒場の床板の修繕や道具の点検を始める気配が伝わってくる。
心地よいその気配を感じながら、ガレスは無心で大剣を振り下ろし続けた。
やがて、酒場の階段から、カツカツと足音が響き、裏手の扉が開く。
振り返らなくてもわかった。女将が起きてきたのだ。ガレスは手を止めることなく、黙々と丸太を両断していく。背中で、女将が自分の剣の構えや足の運びをじっと眺めている気配を感じた。
この酒場に住み込み始めたばかりの頃は、よく女将に剣の構えや重心のブレを無言で修正されたものだった。
――ただの酒場の女将ではないのか。なぜ彼女がそれほど見事な剣の理を知っているのか、そんな疑問はガレスにとってどうでもいいことだった。
理由なんてどうだってよかった。
ただ、その無言で背中を押され、体の向きや重心を直される感覚が、村で木こりの爺さんから叩き込まれた斧の振り方の教え方を強く彷彿とさせた。どこか懐かしく、肌の馴染むその感覚に、ガレスは自然と居心地の良さを覚えていたのだ。
そんな日々が四季を巡り、今ではガレスの剣筋にブレがなくなり、女将から直されることはほとんどなくなった。
それでも――今日の分の薪割りがすべて終わるまで、女将は一言も発さず、ただ腕を組んでその背中を見守り続けてくれるのだった。
ガレスが割る薪の数に、決まったノルマなどない。何本割ればいいのかをガレスが自分で数えることもなかった。
ただ、すべては女将の一声で終わる。
「そこまで! 朝飯にするよ!」
その声を合図にしたように、ガレスはピタリと大剣の動きを止めた。
一瞬前までの研ぎ澄まされた殺気や気迫はどこへやら、次の瞬間には少年のような輝きを瞳に宿し、勢いよく振り返る。
「っしゃあああ! 飯だ!!」
野太い歓声を上げると、大剣を軽々と肩に担ぎ直し、湯気の立ち込める厨房へと消えていく女将の背中を、ガレスは嬉しそうに大きな足取りで追いかけていくのだった。
ガレスが勢いよく酒場の厨房へと戻ると、そこにはすでに朝食の準備を整えていたセレナの姿があった。
手際よく大皿から料理を取り分け、それぞれに運んでいく。
もちろん、体の大きなガレスの皿には、誰が見ても一目で違いがわかるほどの山盛りの食事がドカンとよそわれていた。
席に着くなり、ガレスは自分の皿に盛られた山のような料理から、ためらいなくごっそりと肉やパンを掴み取り、隣に座るヒロの皿へと豪快に放り込んだ。
「ほら、食えヒロ! そんでもって、俺くらいデカくなれ!!」
「うわっ、ちょっ、ガレス……!?」
ヒロは目を見開いて呆れたようにため息をついた。
「僕はそんなに食べれないって……。それに、せっかくセレナさんがガレスのためにって多めによそってくれたのに」
そう言いながらも、ヒロは困ったような、しかしどこか嬉しそうな顔でガレスを見上げる。
そのやり取りを、少し離れた場所からセレナが優しく微笑みながら眺めていた。
ガレスはあたたかなスープを胃に流し込みながら、そんな何気ない日常の空気が、たまらなく好きだった。
朝食をまるで飲み込むように勢いよくかき込むと、ガレスはヒロと並んで立ち上がり、使い終わった食器をまとめて流しへと運んだ。
食器洗いは、この酒場に住み込み始めてから一年以上、毎日続けている日課だ。しかし、いつまで経ってもこればかりはなかなか上達しない。
隣でスルスルと手際よく、かつ丁寧に皿を洗い上げていくヒロの横で、ガレスは巨大な手で無骨にスポンジを握りしめ、あちこちに泡を飛び散らせながらガチャガチャと盛大に音を立てて皿を洗っていた。
「ちょっ、ガレス! 泡飛ばさないでよ、顔についてるって!」
「おっと、すまねぇ……!」
ヒロが慌てて頬を拭うのを見てガレスが豪快に笑うと、開店の準備をしていたセレナがその様子に気づいてクスリと笑う。
やがて、洗い場の様子を見かねた女将が、豪快に腹を抱えて大笑いしながら声を飛ばした。
「薪割りはあんなに上達したってのに、皿洗いはちっともうまくなんないねぇ!!」
「ははっ、ほんとだよ。ガレスが洗うと皿が割れそうでヒヤヒヤするんだから」
ヒロも苦笑いしながら言う。
ガレスは「いや、これでも真面目にやってるんだがな……」とボソボソと言い訳しながらも、家族の笑い声に包まれながら、相棒の隣でせっせと手を動かし続けるのだった。
ガチャガチャと騒がしかった洗い物も、なんとか済ませると、ガレスはいつものように愛用の大剣をガツンと肩に担ぎ直した。
一方のヒロは工具箱を担ぎながら、女将から手渡された「あのカゴ」をしっかりと手に取る。
王都に来て間もない頃、いつの間にか授けられたその使い古されたカゴは、仕事を終えて酒場に戻ってくる頃には、街の人々から貰った温かい差し入れでいつもパンパンに膨れ上がっている。
そして、そのカゴに入っていたたくさんの差し入れは、その日の美味しい夕飯の材料としてみんなのお腹を満たし、残ったものは女将の手によって手際よく様々な瓶詰めや保存食に姿を変える。それが、翌日以降の「お返し」として再びカゴに詰められ、ヒロの手からまた誰かのもとへと渡っていくのだ。
――相棒のヒロが、今日もどんな街の仕事をこなし、誰からどんな笑顔で何を貰っているのか。
そして、どんな言葉を交わし、どんな想いでお返しを渡しているのか。
細かいやり取りのすべてを、ガレスが知っているわけではない。
だけど、そんなことは訊かなくたって容易に想像がついた。なぜなら、あの日の陽だまり村の頃から、ヒロという人間はちっとも変わっていないからだ。目の前の誰かを放っておけず、こつこつと誠実に生きるその背中を、ガレスは一番近くで知っている。
(あいつは、どこへ行ったって愛されるに決まってる)
特別誇らしげに口に出したりはしないけれど、ガレスの胸のうちは、相棒への静かな誇らしさと温かな信頼でいっぱいに満たされていた。
重たそうに、けれどしっかりと「あのカゴ」を両手で抱えるヒロに合わせながらガレスはゆっくりと並んでギルドへの道を歩いていく。
もどかしさを感じないと言えば嘘になる。
なにせガレスの腕力なら、そのカゴなど指一本で軽々と持ち上げて運んでやれるのだから。――だが、「これは手伝っちゃいけねぇ」という妙な感覚が、胸の奥でしっかりと踏みとどまらせていた。
ヒロが汗水流して、自分の足で稼ぎ、誰かと心を通わせて受け取ってきたものだ。それを自分が代わってしまったら、何かが違う。そんな気がしたからだ。
だから、ガレスに出来ることは一つだけ。
ただ隣を歩くこと。相棒の歩幅に合わせ、同じ景色を見ながら、並んで歩くことだけだ。
ギルドに着くと、二人はいつものようにそれぞれの受付へと向かう。
ヒロが迷いなくリリアの窓口へまっすぐに歩いていく背中を、ガレスは少しだけ目を細めて見送るようになった。
王都に来た当初は、「なんであんな冷てぇ姉ちゃんのとこばかりに行くんだ?」と不思議で仕方なかった。だが、一年が経ち、二人が交わす何気ない言葉の端々や、ヒロがリリアに向ける安心しきった眼差し、そしてリリアがヒロに見せる隠しきれない柔らかな表情を見ていて、ガレスは悟ったのだ。
(あぁ、こいつら、自分たちの気持ちにこれっぽっちも気づいてねぇんだな……)
鈍感な相棒と、少し歳上の生真面目なリリア。二人の不器用な距離感を横で見ているのは、なんともむず痒い。ガレスはふんっと鼻の穴を膨らませて、溢れ出しそうになる「おせっかい」な衝動を、心の中でぐっと抑え込んだ。
(俺は大人の男だ! 恋路に口を出すような無粋なことはしねぇ……!)
自分にそう言い聞かせ、ガレスはリリアとは別の、愛想のいい受付で今日の依頼書を受け取った。
紙を広げる。そこには、Dランク相当の討伐クエストの要項がびっしりと書かれていた。
よしっ! 一文字も読めん!
ガレスは迷うことなく、その紙をぺらりとヒロの方へ放り投げた。
「おいヒロ、今日の俺の獲物はどいつだ?」
ギルドの扉を蹴るようにして外へ出ながら、ガレスはヒロから今日の自分の仕事内容の説明を受ける。
肩を寄せながら歩き出し、それぞれの仕事へと向かう二人。相変わらずの、けれど誰よりも息の合った一日が、ここから始まるのだった。
「ガレス! そっちは頼んだよ!」
背後から飛んできたヒロの弾むような高い声を、ガレスはしっかりと受け止めた。
少しずつ大人のそれに近づきつつある、低く響く声で短く応じる。
「おうっ!」
それだけ言うと、ガレスは振り返りもせず片手をヒラヒラと上げて、王都の広大な外へと駆け出していった。
城門を通り抜けようとしたその時、見慣れた顔の衛兵が大きく手を振って声をかけてくる。
「おーい、赤髪のバカ! 今日も無茶すんじゃねぇぞ!」
「死ぬなよ、ちゃんと戻ってこいよ!」
朝の澄んだ空気のなか、衛兵たちの温かい笑い声と軽口が城門に響き渡る。
ガレスは足を緩めることなく、大剣を背負い直しながら叫び返した。
「うるせえ!!」
怒鳴り声を返しながらも、言葉とは裏腹に、ガレスはぶんぶんと大きく手を振りながら街道を蹴る。目指すは、魔物が潜む青々とした深い森。
背中に伝わる温かさを力に変えて、ガレスは風を切るように走り抜けていくのだった。
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