子供らしさとは
それからしばらくの間、ヒロは日々の仕事に没頭した。
スラム街で見た絶望的な光景を忘れたわけではない。心の片隅にはいつだってあのトタン屋根の並ぶ景色があり、自分の無力さに歯噛みすることもあった。
だが、今の自分にできることはない。だからこそ、いつかあの街を自分の手で『本当の意味で』直せるようになるため、今は目の前の仕事を一つずつこなしていくしかないのだと、ヒロは自分に言い聞かせていた。
そんな、ある日のこと。
いつものように冒険者ギルドのカウンターでリリアから受け取った複数の依頼書。その一枚に目を落とした瞬間、ヒロの手がピタリと止まった。
『教会の鉄門修理』
(……あの日、壊れたのか……)
鮮烈な記憶が蘇り、ヒロは思わずぐっと天を仰いだ。
「……ヒロさん?」
カウンターの向こうで、リリアが不思議そうに小首をかしげている。その可愛らしい仕草にハッと意識が現実に引き戻された。
「……っ! なんでもありません! いってきます!」
動揺を隠すように大きな声を上げると、ヒロは依頼書をしっかりと握り締め、慌ただしくギルドの扉へと駆け出していくのだった。
ヒロは、いつものように手際良く仕事をこなしていくと、これまたいつものようにカゴいっぱいに差し入れが詰め込まれていく。
気づけば最後の依頼の教会に辿り着いていた。
(……なんでわざわざ最後に回しちゃったんだろ)
心のどこかで、あの場所へ行くことへの気恥ずかしさや、あの日の記憶がよみがえる気まずさがあったのかもしれない。ヒロは小さく息をつくと、苦笑交じりに呟いた。
「……まあ、仕方ないか」
中にいるかもしれない神官に声をかけようかとも思ったが、なぜか気後れしてしまい、わざわざ声をかけることもせずに工具箱を下ろした。
「よし、ちゃちゃっと直して帰ろう」
ヒロは気を取り直すと、歪んだ鉄の門へと向き合い、慣れた手つきで修理を始めた。
鉄を叩く心地よい音が静かな敷地に響く。
その音を聞きつけてか、教会の裏手で遊んでいたらしい子供たちが、わらわらと集まってきた。
「お兄ちゃんだれ?」
「何してるの?」
物珍しそうに目を輝かせる子どもたちを見上げると、ヒロはふっと柔らかく微笑んだ。
そして、作業の手をぴたりと止めると、ハッと思い出したようにカゴから次々と美味しそうなお菓子を取り出す。
「はい、どうぞ。お腹空いてない?」
一人ひとりの小さな手に優しくお菓子を握らせていくヒロ。
突然の嬉しいサプライズに、子どもたちは目を丸くし、次の瞬間にはパッと顔を輝かせた。このお兄ちゃんは優しい人なのだと本能で察したのだろう。子どもたちは一斉にヒロの服の裾を引っ張り、ピョンピョンと跳ねながら無邪気にねだる。
「ねえ、遊ぼうよ!」
「遊ぼっ!」
ヒロは困ったような、しかし心底愛おしそうな笑みを浮かべると、利き手で工具を握り直して作業を再開しつつ、もう片方の手で子どもたちの頭を優しく、ポンポンと撫でていく。
「ちょっと待っててね。すぐ終わらせるからさ」
「えー、今がいいー! 遊ぼうよ! こっち、こっち来てよ!」
子どもたちの無邪気な笑い声と元気な催促が、静寂に包まれていた教会の敷地を温かく満たしていくのだった。
ヒロはあっという間に歪んだ鉄門を元通りに修復すると、道具を片付け、約束通り子どもたちと一緒に遊び始めた。
鬼ごっこや泥んこ遊びに夢中になり、子どもたちは顔も服も泥だらけだ。同じようにすっかり汚れたヒロは、心地よい疲労感を覚えながら、教会の階段に腰を下ろして、元気に駆け回る子どもたちの姿をぼんやりと眺めていた。
「――お疲れ様です」
背後から掛けられた穏やかな声とともに、ひんやりとした水差しが差し出される。
ヒロは疲労でぼんやりしていた頭のまま、深く考えもせずにそれをひょいと受け取り、喉を鳴らして一気に飲み干した。
「ぷはぁ……生き返る……」
息をついてから、ハッと気づく。
この声は――。
振り返ると、そこに立っていたのは、あの日のように優しく微笑む神官だった。
「っ!!!?」
ヒロは勢いよく立ち上がると、慌てて頭を掻きながら、バタバタとお辞儀をした。
「お疲れ様です……!」
神官は気に留める様子もなく、庭で無邪気に遊ぶ子どもたちに温かい視線を向けながら、ぽつりと呟いた。
「元気でしょう?」
「……はい」
ヒロは少し遠い目をしながら、目の前の光景を見つめて答えた。
「ええ、あの子たちの笑顔を見ていると……なんだか、すごく救われます」
その素直で優しい言葉に、神官はくすっとおかしそうに吹き出した。
「ふふっ。何を言っているんですか」
そして、子どもたちのように泥だらけになったヒロの頭を、愛おしそうにポンと軽く叩いた。
「あなたも、まだ子供でしょうに」
ヒロはしばらくの間、階段に腰掛けたまま、その温かな光景をぼんやりと眺めていた。泥だらけになって笑い合う子どもたちの姿は、あのスラム街で見た澱んだ空気やどうしようもない無力感を、少しだけ優しく洗い流してくれるようだった。
やがて日も傾きかけ、ヒロは立ち上がって帰路につくことにした。
教会の敷地を出ようとすると、遊び疲れた子どもたちが名残惜しそうに駆けてきて、口々に叫ぶ。
「お兄ちゃん、また明日ね!」
「毎日来てよ! 絶対だよ!」
その純粋すぎる言葉に、ヒロは苦笑いを浮かべた。
(……いや、毎日は無理だよ……!)
そう心の中でツッコミを入れつつも、ヒロは振り返り、大きく手を振り返した。
「またねー!」
夕日に染まる教会の前で元気に手を振る子どもたちの背中を見送りながら、ヒロは少しだけ軽くなった足取りで、リリアの待つギルドへと続く道を歩き出すのだった。
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