ランク昇格
冒険者ギルドの喧噪の中、いつものように受付の列に並ぶ二人の姿があった。
ヒロはひと足先にリリアから今日の依頼書を受け取り、「ありがとうごさいました」と礼を言って、自分の隣の列に並ぶガレスの番が終わるのを待っていた。
しかし、ガレスの番の対応にあたっていた別の受付嬢が、なぜか急にパッと明るい、しかしどこか悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「あ、ガレス! 今日はね、依頼の前にこれがあるの! ほら! 読んで読んで!」
そう言って、受付嬢がガレスに一枚の紙を突きつける。そこには、びっしりと細かな文字が書き込まれていた。
ガレスはそれをまじまじと見つめたが、文字の多さにわずか数秒で目を回し、思わず吐きそうになりながら顔を青ざめさせる。
文字を読むのを早々に諦めたガレスは、助けを求めるように受付の脇で待つヒロに目を向け、大声で叫んだ。
「ヒローーーっ!!」
ガレスはまるで汚いものでも扱うかのように、その文字だらけの紙の端を親指と人差し指の先でちょこんとつまむと、ひらひらと情けなく宙に揺らしながらヒロを呼んだ。
ヒロは「まったくもう……」と盛大にため息をつきながら、ガレスの手からその紙を受け取るためにトコトコと歩み寄っていくのだった。
ヒロは、紙に書かれた文字をものの数秒でざっと目を通すと、やれやれといった表情でそれをガレスにひょいと返した。
「……昇格だってさ。Fから、Eランクにね……」
その言葉が静かなギルドのロビーに落ちた瞬間。
――ガタッ!!
「「「はあぁぁぁーーーっ!?!?」」」
周囲の冒険者たちが一斉腰を抜かしながら絶叫した。ロビーは一瞬にしてけたたましい喧噪と怒号のようなざわめきに包まれる。
「おいおいおいおい、まじかよ……!」
「Eランク!? これって、史上最年少じゃねえか!?」
「ふざけんな、聞いたことねえぞ! 俺がEに上がったのなんかハタチだぞ、おい!」
どよめく周囲の興奮は収まらない。
それも無理はない。それは間違いなく、この王国の歴史に刻まれるほどの最年少記録だった。
もちろん、最短記録ではない。
歴史を紐解けば、旅の途中で偶然にとてつもない強さのモンスターと遭遇してしまい、これを討伐してしまったがために、わずか一日で階級を駆け上がったような「物語の主人公」さながらの英雄たちは存在する。彼らの逸話は吟遊詩人によって語り継がれる伝説だ。
だが、ガレスは違う。
一日の奇跡や、運任せの特例ではない。着実に依頼をこなし、地道に実績を積み重ねた結果として――彼は、十歳という異例の若さでEランクへと昇格を果たしたのだ。
それは王国全体を見渡しても、いや、この広い世界全体の歴史で見ても、前代未聞の記録的快挙であった。
騒然とするギルドの喧噪の中、周囲の興奮などどこ吹く風とばかりに、たった一人だけ不満そうに、ぶ然と顔を歪めている少年がいた。
黒髪、いつもの工具箱を肩に下げ、瓶でパンパンに膨らんだカゴを持ったヒロ。ガレスの胸板を叩いて詰め寄った。
「――っ! 遅い!!! 」
意味のわからないヒロの剣幕に、ガレスは目を丸くしてたじろぐ。
ヒロはどこから取り出したのか、ガレスのこれまでの鑑定書や、リリアたちがまとめた膨大な報告書をごっそりと取り出し、ガレスの顔面に突きつけるようにまくし立てた。
「これだけのスキル! 高い能力値!! ほらっ、記録をよーーく見てご覧よ!?」
「え、あ、うおっ……!?」
「失敗無し! 撤退無し! おまけに指定された依頼数を遥かに上回る討伐数に、想定時間を大幅に下回る帰還までのスピード!!」
「いや、あの……」
「それに……これ全部、誰の助けも借りずに一人でやってのけてるんだよ!? なのに、今さらEランクってどういうことさ! 納得いかないねっ!」
冒険者としての快挙を祝うどころか、「昇格が遅すぎる」とガレスではなくギルドの査定に怒りを露わにする。
そして、興奮冷めやらぬ様子で息を荒げたヒロは、そのままギルドの受付カウンターの奥――普段は絶対に姿を現さない、ギルドマスターの重厚な執務室の扉を、殺気すら感じる鋭い目でキッと睨みつけた。
ヒロのあまりの剣幕と、納得がいっていない様子に、周囲の冒険者たちは呆れを通り越してただただ唖然とするしかなかった。
「おいおい、あいつ……自分の相棒の昇格に怒ってやがるぞ……」
「普通は喜ぶところだろ……頭おかしんじゃねえの……」
そんな周囲の冷ややかな、あるいは呆れ果てた視線など、ヒロの視界には一切入っていない。
一方、相棒であるガレスはどこ吹く風とばかりに頭をポリポリとかいた。そして、気まずそうにするどころか、むしろ満面の笑みを浮かべて豪快に笑う。
「へへっ、もっと褒めろ!」
そんな大騒ぎの中心で、怒るヒロとヘラヘラするガレスをカウンター越しに見つめながら、受付のリリアだけはすべてをわかっていた。
ガレスの実力が正しく評価されていないことが、自分のことのように悔しがりながらもーーー
誇らしさに鼻の穴が、わずかにピクピクと膨らんでいる。その健気で愛らしい様子に、リリアは思わずくすりと笑みをこぼした。
そして、カウンターからぐっと身を乗り出し、誰よりも大きな、澄んだ声でヒロだけに向かって告げた。
「おめでとうございます!!」
リリアの真っ直ぐな祝福の言葉を受け、ヒロは思わずハッと振り返った。
そして、怒りで尖らせていた表情をふっと和らげると、カウンターの向こうのリリアに向かって、これ以上ないほど晴れやかな、大きな声で返事をした。
「はい!!! ありがとうございます!」
その素直な笑顔を見た瞬間、ガレスのなかに何かがこみ上げてきた。
「くぅ……っ!」と嬉しそうに目尻を下げたガレスは、次の瞬間、突如としてヒロの両脇をガシッと掴み上げる。
「おい、ちょっと待て、何する――ってわぁっ!?」
抵抗する間もなく、ガレスの豪快な腕力によって、ヒロの体はひょいと軽々と持ち上げられた。
ガレスはまるで、見事な大物を仕留めたハンターが戦利品を誇るかのように、満面の笑みを浮かべたままヒロを天高く掲げた。
周囲の冒険者たちは、なぜ新米の昇格祝いで関係のない見習い冒険者を高々と掲げているのか、事情の飲み込めなさにポカンと口を開けていた。しかし、そのあまりにも堂々としたガレスの誇らしげな顔と、仲睦まじい二人の姿を見ているうちに――なぜだか不思議と、その光景がこのギルドにしっくりと馴染んでいくのだった。
その日の夜、木漏れ日の酒場は、文字通り「飲めや歌えや」の大騒ぎに包まれていた。
この一ヶ月間、ひたむきに働き、共に汗を流してきた二人を見守り続けてきた常連たちにとって、ガレスのEランク昇格は我が事のように嬉しい出来事だった。
「最初に奢るのは俺だ!」
「何を言う、ワシの稼ぎから出すに決まっとるだろ!」
と、誰が祝いの金を出すかを巡って、いつの間にかカウンターの前で本気の殴り合いの喧嘩が始まっている。
いつもなら、店の器が割れんばかりの怒鳴り声をあげてその喧嘩を力ずくで止めるはずの女将も、その日ばかりはビールジョッキを片手にカウンターにもたれかかり、涙が出るほど大笑いしながらその様子をのんびりと眺めていた。
「はっはっは! いいぞもっとやんな!」
酒場が最高潮に狂騒の渦へ巻き込まれている中、普段はカウンターの隅で寡黙に酒を飲んでいるだけの「あの男」が、たまらず席を立った。
――なんと、ギルドマスター自身が、この喧騒の真ん中に足を踏み入れていたのだ。
「おい、てめえら……! 酒場で暴れるんじゃねぇ!!」
いつもなら絶対に表に出ないはずの男が、青筋を立てて常連たちの喧嘩を必死に止めに回る。しかし、誰もが酔っ払っていてギルドマスターの威厳など通じない。
あまりの無法地帯っぷりに頭を抱えて絶叫する。
「うるせぇえんだよ!! お前ら、少しは落ち着きやがれ……って、コラ! マーサ! お前、何笑ってんだ!! 手伝えよ!!」
必死の抗議も、女将の豪快な笑い声とかき混ぜるような常連たちの歓声にかき消され、木漏れ日の酒場の夜は、どこまでも賑やかに、温かく更けていくのだった。
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