会いに行くべき人
それから一ヶ月という月日が流れ、王都での二人の生活はすっかり軌道に乗り、安定した日常へと定着していった。
朝が来ると、規則正しく一日が始まる。
ガレスは豪快に庭で薪を割り、ヒロは酒場の修繕をする。
焼き立てのパンと温かいスープの朝食を済ませ、テキパキと洗い物を片付けると、女将特製の瓶詰めでパンパンに膨れ上がったカゴをヒロが手に持つ。
「ほら、今日も遅れずに行きな!」
女将の送り出す声に背中を押され、二人は並んでギルドへと足を踏み入れる。
ギルドに着くと、ヒロはいつものリリアの列へ、ガレスは隣の列へと分かれて今日のクエストを受注した。
ギルドを出ると、ヒロは必ずガレスの依頼書をひったくるようにして覗き込み、分かりやすく内容を説明して聞かせる。
その後、ガレスは王都の外へとモンスター討伐に向かい、ヒロは街中で小さな依頼や、ときおり舞い込む地下の指名依頼をこなしていく。
道中、街の人々に前日のお返しの瓶詰めを配っては、また新たな差し入れをカゴへと投げ込まれる。
お陰で、いつになってもカゴが空にならなかった。
仕事が終わったあとの過ごし方も様々だった。
まっすぐギルドへ直帰してリリアに完璧な報告をすることもあれば、親方のいる工房へ顔を出し、道具の調整や工房の仕事を手伝いながら職人としての腕をさらに磨くこともあった。
そして夜。
木漏れ日の酒場へと帰ると、そこには決まって、いつものテーブルにぐったりと突っ伏してヒロの帰りを待っているガレスの姿がある。
「おせえぞヒロ、腹が減ってしにそうだ……」
ガレスもヒロも、それぞれの仕事できちんと成果を上げ、今や安定した収入を得ていた。
稼いだお金から、二人は毎日の食事代と宿代を女将にきちんと支払う。
女将はいつも、ぶっきらぼうな態度でそれを黙って受け取る。しかし、ヒロたちの姿が見えなくなると、こっそりと店の裏手へと回り、二人の将来のためにと大切にその金を貯金箱へしまい込んでいたのだった。
いつものように、ヒロはリリアの列に並び、自分の順番が来るのを待っていた。
「おはようございます、リリアさん!」
ヒロが明るく声をかけると、いつもなら優しい微笑みで迎えてくれるリリアが、今日はなぜか視線を彷徨わせ、酷く困り果てた顔をしていた。
「……ごめんなさい、ヒロさん」
リリアは小さく肩を落とすと、悲しげに首を横に振った。
「その……今日、ヒロさんに案内できるお仕事が、一つも……ないんです」
ヒロは一瞬、呆気にとられて言葉を失った。
本来、見習い冒険者というのは、王都内の雑用を数件こなせば、すぐに正式なFランクへと昇格するものだ。それなのにヒロは、見習いのまま、この一ヶ月ずっと小さな仕事にこだわり続けていた。
普通なら見習いが数件こなして卒業していくような些細な依頼。それを、リリアが毎日効率的に采配し、パズルのように組み合わせてヒロに振り分け続けてくれたおかげで、今日まで仕事が途切れることはなかったのだ。
(……そりゃあ、さすがに仕事もなくなるか)
リリアの申し訳なさそうな表情を見て、ヒロはふっと吹き出した。この充実した日々を思い返せば、それも当然の帰結だったのだと納得できた。
そんなヒロの様子を見ていたガレスが、隣の列から大きな声で割って入った。
「なんだ、仕事なしか!? そりゃ丁度いい!」
ガレスはヒロの肩を強引に組み、満面の笑みで言い放つ。
「ヒロ! 冒険者登録しろ!! 一緒に討伐に行くぞ!!」
ギルド内の喧騒が、ふっと止まった。
リリアは驚きに目を見開き、そして次には、ようやく輝くような笑顔で頷いた。
「……はい! 正式な冒険者としての手続きですね!」
リリアが期待に胸を膨らませ、ガレスが満面の笑みを浮かべてヒロの返事を待っていた。しかし、その二人の顔は次の瞬間、完全に凍りついた。
ヒロが浮かべていたのは、冒険者としての新たな門出に胸を躍らせる顔などではなかった。そこにあったのは、今これから面倒な手続きを押し付けられるとでも言わんばかりの、興味がなさそうな、冷めた目だった。
「……ぼ、冒険? どうでもいいんですけど?」
「「……は?」」
リリアとガレスの間抜けなハモり声が響く。
そして、そのやり取りを聞いていた周囲の冒険者たちが、一斉に耳を疑ったように絶句した。
「……おい、今あいつ、何つった?」
「冒険……どうでもいい、ってよ……」
「ここはどこだと思ってやがる。冒険者ギルドだぞ!? 」
ざわめきと冷ややかな呆れ声が周囲から漏れ聞こえる中、ヒロはいたって真面目な顔で、淡々と現実的な疑問を並べ立てた。
「だって、登録には費用がかかりますよね?」
「それに、見習いの立場だろうが、正式なFランクだろうが、街中の小さな仕事や地下の指名依頼は普通に受けられるし、報酬だってみんな同じじゃないですか」
「それに、わざわざランクを上げる意味って何かあるんです? 今日はたまたま仕事がなかっただけで、明日になればまたいつものように依頼は入りますし……」
「それに、ギルドで仕事がなければ普通に工房に行って親方の手伝いをしますよ?」
次から次へと飛び出す、冒険者にあるまじき超現実的な主張に、リリアはプルプルと震えながら書類を握りしめ、ガレスはあんぐりと口を開けたまま固まった。
「いや、おまっ、ロマンとか冒険心とかねえのかよ! 魔物をぶっ倒して一攫千金とかさあ!」
「ガレス、そんなことより工房で鉄を叩いてる方がよっぽど大事だよ」
周囲の冒険者たちはもう呆れる気力すら失ったように、頭を抱えて天を仰ぐのだった。
そんな様子など一切気にせず、ヒロはガレスの今日の討伐依頼書をパッと広げた。
いつものように淡々と、しかし的確に依頼の内容を説明しながら、ヒロはスタスタとギルドの出口へと歩き出す。ガレスは大きな体を揺らしながらその後に続き、ギルドの重い扉を押し開けて外の光の中に出た。
並んで歩き出すと、ガレスは腕を組みながら低く呟いた。
「……で、今日はどうすんだ? 工房か?」
ヒロは足を止め、少しだけ空を見上げて考え込む。そして、おもむろに一枚の古びた羊皮紙を取り出した。
それは、セレナが描いてくれた王都の地図ではない。
――旅立ちの日、村に来た神官がそっとヒロに手渡してくれた、王国の地図だった。
村から離れ、右も左も分からぬまま王都へ向かう道中、幾度となくその地図を開き、道を確認し、絶望しかけた心を何度も救ってくれた大切な地図。
ヒロはその地図をそっと眺め、愛おしそうに指でなぞると、顔を上げてガレスを見た。
「……これをさ、元の持ち主に返しに行くよ」
旅の始まりを支えてくれた恩人へ、役目を終えた地図を返しに行く。それは、この王都でしっかりと地に足をつけ、自分の居場所を見つけたヒロが、次に迎える小さな区切りだった。
ガレスはその横顔をじっと見つめ、すべてを察したようにふっと鼻を鳴らした。そして、大きな手でヒロの肩をガツンと叩く。
「……おう。なら、俺も行く」
二人の足取りは迷いなく、王都の大通りへと向かって力強く踏み出されていった。
ガレスは、いつもとは違う景色が広がる王都の街並みをキョロキョロと見回しながら、ヒロの後をついて歩いていた。
普段のガレスは、朝から晩まで王都の外のモンスター討伐エリアばかりに出向いている。知っている場所といえば、寝泊まりする「木漏れ日の酒場」、クエストを受ける「冒険者ギルド」、そして街の外へ通じる「城門」までの決まったルートだけで、王都の内部がどうなっているかなんとも把握していなかった。
見慣れない石畳の路地を、迷いなくスイスイと進んでいくヒロの背中がガレスの目には頼もしく映っていた。
(……いつの間にか、この街でちゃんと自分の足で歩けるようになってやがる)
ガレスは口の端をニヤリと緩めながら追いかけて行く。
目的地に到着し、ヒロの足がピタリと止まった。
そこに建っていたのは、決して豪華ではない、慎ましく小さな教会だった。
神の教えを守り、私財を蓄えることもなく、決して豊かとは言えない清貧な生活を送っているであろうその場所。入口にある鉄の門はすっかり錆びきっており、重そうに少しだけ傾いていた。
先ほどまで迷いなく進んでいた相棒の足がぴたりと止まった様子を見て、ガレスはどんな言葉をかけていいか分からず、ただ黙ってその場に立ち尽くしていた。
頭によぎるのは、あの村で神官からかけられた言葉。
――『お悔やみ申し上げます』
その一言に、すべてを奪われた絶望の中で激昂したヒロの姿が、鮮明に蘇る。
それでも。
ここで立ち止まっていては、何も変わらない。
(俺に出来ることをやる!!)
胸の中でそう叫びながらガレスはヒロの迷いを断ち切るようにその背中に向け、、容赦のない力一杯の平手を打ち下ろした。
言葉なんていらねぇよな。背中を押すのは、いつだってこれで十分だ。
「ぐっ……!?」
不意打ちのすさまじい衝撃に、ヒロは完全にバランスを崩して吹き飛ばされる。
そして、傾いた錆びた門ごと、ガシャーーーンと派手な音を立てて教会の敷地内へと盛大に転がり込んだ。
「いてて……っおい! なにするんだよガレス!」
ヒロは転がったまま地面に手をつき、怒鳴るように背後を振り返った。しかし、余計な言葉をかけまいとしたのか、ガレスはすでに背中を向け、口元をニヤリと緩めながら大股でその場から離れようと歩き出している。
その時だった。
ガシャリ、と古びた教会の扉がものすごい勢いで内側から押し開かれた。
地べたに膝をついたままの姿勢で、ヒロは音のした方へと顔を上げる。
喉まで出かかっていた文句は、その瞬間、綺麗に消え失せた。言いたいことは山ほどあった。感謝の言葉も、謝罪も、地図を返しにきたことも、色々な言葉を頭の中でちゃんと用意していたつもりだった。
それでも。
今のヒロの口からは、一言も言葉が出てこなかった。
あの村で会った時と同じように、いや、あの時とは比べ物にならないほどの圧倒的な勢いで。
――あの神官が、駆け寄ってきた。
白い神官服が汚れることなど気にする素振りすらない。神官は泥だらけの地面に躊躇なく膝をつくと、転がっていたヒロの体を迷うことなく、強く、しっかりと抱きしめた。
「……っ!、……遅いですよ!!」
震える声で絞り出したその言葉は、責めるためではなく、ただ堪えきれなかった想いのすべてだった。
神官はしばらくの間、何も言わずにヒロを強く抱きしめ続けていた。やがて落ち着きを取り戻したようにそっと顔を上げ、涙に濡れた瞳のまま、ゆっくりと肩越しに視線を向けた。
その視線の先には――。
赤髪の少年が振り返ることもなく、ただ天高く大剣を掲げ、不器用で、しかし最高に頼もしい背中を見せながら、ゆっくりとその場を去っていくところだった。
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