指名依頼
それから一週間。
ヒロは、小さな依頼を一日数件ハシゴしてこなす日々を続けていた。
どぶさらいに、庭木の剪定、荷物の運搬、小さな修繕。
どれも一見すると地味で稼ぎの少ない仕事ばかりだが、どの依頼主もヒロの人柄と丁寧な仕事ぶりにすっかり虜になっていた。
その結果――。
「ただいまぁ……」
酒場に戻ってきたヒロが床に下ろすカゴは、いつだってパンパンに膨れ上がっている。
最初にお世話になったお婆さんのカゴは、いつまで経っても中身が減るどころか、日を追うごとに豪華な差し入れで隙間なく埋め尽くされていく始末だった。
毎日カゴを眺めて頭を悩ませるヒロに、最初は面白がっていた女将も、ついに一週間目を迎えて痺れを切らした。
「貰ってばっかじゃ悪いだろ!」
そう一喝すると、女将は手際よく厨房で腕を振るい始めた。
もらった大量の果物は甘酸っぱい自家製ジャムに仕立て、新鮮な野菜は色鮮やかなピクルスに漬け込み、それぞれ綺麗に消毒した瓶へと次々に詰めていく。
そして翌朝。
「ほら、お行き!」とばかりに、それらの瓶詰めで再び重くなったカゴを、女将はヒロの手に持たせた。
今日も今日とてずっしりと重いカゴを提げながら、ヒロは「これ、本当にいつ返せるんだろう……」と遠い目をしつつも、どこか誇らしげで温かな足取りで酒場を飛び出していくのだった。
ヒロは、お返しの数々を配るため、あちこちの家を回った。
ようやくカゴが空っぽになったときには、いつもより少しばかり遅い時間になっていた。
「よし、ようやく空になったぞ……」
一仕事終えたような達成感を覚えつつ、ヒロはギルドへと足を踏み入れた。
いつものようにリリアの列に並び、ようやくヒロの番が回ってくる。カウンターの向こうで淡々と事務作業をこなしていたリリアに、ヒロはいつものように声をかけた。
「おはようございます、リリアさん!」
すると、リリアはいつもの少し事務的な微笑みではなく、心なしか目元を優しく和らげて口を開いた。
「あっ、ヒロさん。おはようございます」
その瞬間、ギルドの空気がぴくりと揺れた。
「……おい、今、なんて言った?」
「名前……呼んだよな?」
騒然とする周囲の気配を、ヒロは不思議そうに感じ取った。
ヒロとリリアが挨拶を交わすこと自体、最初のうちは周囲にとって「信じられない異変」だった。しかし、この一週間、毎日欠かさず続いたその光景に、冒険者たちも徐々に慣れ始めていたはずだった。
それなのに、今の「氷の女王リリアが見習い冒険者の名前を呼んだ」という大事件が、ギルド内にさらなる波紋を広げていた。
ヒロは周囲のざわつきに小首をかしげながらも、胸の奥がくすぐったくなるような、どこか特別な響きとして今の挨拶を受け止めていた。
ーーーしかし
ヒロは、リリアが自分を名前で呼んだその理由を、差し出された一枚の紙を見てすぐに理解した。
「……指名依頼、ですか?」
その瞬間、ギルド内の空気が一変した。
カウンター周辺にいた冒険者たちが一斉に足を止め、ヒロの手元の書類を覗き込んでどよめきが広がる。
「おいおい、嘘だろ……?」
「聞いたこともねぇぞ! 冒険者見習いに指名依頼なんて……」
「普通、高ランク冒険者への討伐や要人護衛とかだろうが!」
周囲の信じられないという声はヒロの耳には届かない。
書かれていた依頼内容は
――『地下魔力導管整備』。
またあの職人さんたちと仕事ができる。
そんなヒロの胸の高鳴りをよそに、リリアは少しだけ寂しそうな、どこか複雑な瞳でヒロを見つめながら説明を続けた。
「……ごめんなさい。指名依頼は、ギルドマスターの承認がないと正式に受注できない仕組みになっているので……少しだけ待っていてください」
リリアが向かったのは、普段はめったに人の入れないギルドマスターの執務室の扉だった。
ヒロはゴクリと喉を鳴らし、自分を待つ未知の展開に、背筋が伸びる思いで「はい」と頷いた。
ギルドマスターを待つ間、
ヒロは握りしめた指名依頼書を、まるで焼き付けるかのように何度も何度も読み返していた。
モルドから教わったあの日の技術。無骨ながらも温かかった彼の教えが、こうして形となって戻ってきたのだと思うと、胸の奥から熱いものが込み上げてくる。
緊張を紛らわせるように、ヒロは無意識のうちに、工具箱の留め金を指先で弄んでいた。
その時だった。
目の前のカウンターから、低く、しかし酒場で何度も耳にした聞き覚えのある声が降ってきた。
「……見習い冒険者の指名依頼ってよ。まさか、おめえか。クソガキ」
「……えっ!?」
ヒロが驚いて顔を上げると、そこには見知った男が立っていた。
木漏れ日の酒場の常連客。
いつもはカウンターの端で寡黙に酒を飲んでいるだけの彼が、今日ばかりは鋭い視線でヒロを見下ろしている。
「あの……おじさん、もしかして……」
「おじさんじゃねぇ、ギルドマスターと言え」
男――いや、ギルドマスターはぶっきらぼうにそう吐き捨てると、ヒロの手から依頼書をひったくり、内容を面倒くさそうにしばらく眺めた。
(いや、どう見てもおじさんではあるでしょ……)
ヒロは心の中で盛大に突っ込みつつも、目の前の強面の男のただならぬ気配にぐっと言葉を飲み込む。
ギルドマスターはふんと鼻を鳴らすと、懐から重厚で豪華な装飾が施された判子を取り出し、依頼書の隅に力強く押し付けた。
「……ったく。『見習い』に直接判子を押したのは、人生で初めてだよ」
ぼやきながらも、放り投げるようにヒロへ依頼書を押し返す。
「ほら、とっとと行っちまえ」
ヒロは両手でしっかりと依頼書を受け取り、姿勢正しく丁寧にお辞儀をした。
「ありがとうございます、ギルドマスター!」
踵を返そうとしたその背中に、再び男の声が投げかけられる。
「あと、」
ヒロはピクリと動きを止め、再び顔を上げた。
「赤髪のガキに、毎晩毎晩、酒場で大騒ぎさせんな。耳障りでかなわん」
それは木漏れ日の酒場の常連としての小言か、それとも頭を悩ませるギルドマスターとしての本音か。
しかし、ガレスの圧倒的な暴れっぷりを知るヒロには、その言葉が妙におかしく響いた。
ヒロはふっと悪戯っぽい笑みを浮かべ、少しだけ肩をすくめて言い放つ。
「無理ですね」
「はァ?」とギルドマスターが険しい眉をひそめるのをよそに、ヒロは爽快に笑って見せた。
「ガレスを止めるのは、僕でも難しいですから!」
ギルドを出たヒロは、道すがらの小さなパン屋に立ち寄り、焼き立ての香ばしいパンを昼食として一つ買い求めた。
それを紙片に包んでカゴに入れると、地下へと続く重い鉄の扉を開け、ひんやりとした階段を駆け降りていく。
あの日のように、職人たちが集まる場所を目指し、ヒロは微かに魔力を込めた探知魔法を展開した。
頭の中に響く魔力の波長を頼りに、迷路のような地下通路を風のように駆けていく。
胸の奥からとめどなく湧き上がってくる高鳴るような期待と喜びが、ヒロの足をさらに軽くさせていた。
地下の現場へ辿り着いたヒロが足音を響かせると、そこには早くも魔力導管の整備に取り掛かっている職人たちの姿があった。
親方は作業の手を止め、ヒロの姿を認めると「遅せえじゃねえか」とばかりにふんと派手に鼻を鳴らし、顎をしゃくって自分の方へ来いと合図を送る。
そのぶっきらぼうな態度の裏にある歓迎の意をヒロが察して笑顔を見せた瞬間、周囲の職人たちが一斉に手を挙げて声を張り上げた。
「おっ、ヒロじゃねえか!」
「一週間ぶりだな!」
「待ってたぜ!」
野太くも温かい歓声が、ひんやりとした地下空間に響き渡る。ヒロは胸を熱くしながら、仲間たちの待つ中心へと嬉しそうに駆け寄っていった。
ヒロは親方と職人たちの的確な指導のもと、手際よく次々と仕事をこなしていく。
職人たちはヒロを教えながらも作業を順調に進め、前回よりもはるかに早い段階でその日のノルマを完了させた。
周囲の職人たちが「お疲れさん!」と声を掛け合いながら道具の片付けを始める中、ヒロは自分の手元にある道具箱から愛用の工具を取り出し、じっと見つめた。
(……少し、調整したいな)
陽だまり村にいた頃は、鍛冶場に行けばいつでも自分で火を熾し、道具の手入れや調整ができた。しかし、村を出てからというもの、日々の生活や依頼に追われて一度も本格的な手入れができていなかったのだ。
その時、ヒロの脳裏にふと記憶が蘇る。
(――そう言えば、道具屋の主人に工房を紹介してもらったんだっけ)
王都に来てすぐの頃、セレナに書いてもらった地図。その隅には女将の粋なサインが書かれており、そして地図の裏面には、親切な道具屋の主人が教えてくれた腕利きの工房への紹介文が記されていた。
(うん。工房に行って、炉と作業場所を少しだけ貸してもらおう)
どこで道具を整えようかと考えていたヒロの思考を遮るように、背後からドスの利いた野太い声が響いた。
「おい小僧! 早くしろ、上がりだ!」
地上に出たヒロは、セレナの書いた地図を頼りに、いつものギルドへの道とは違う方向へと歩き出した。
隣を歩く職人が、不思議そうに声をかけてくる。
「おいヒロ。 ギルドはこっちじゃないぞ?」
ヒロは顔を上げて、悪戯っぽく笑って言った。
「ちょっと行きたいところがあって!」
そう言って歩き出すと、通りすがりの人々が次々とヒロに気づいた。側溝掃除をしたあのお婆さん、荷運びを手伝った雑貨屋の主人、壊れた看板を直したパン屋……。
「ヒロくん! 今日はもう上がりかい?」
「ほら、これ持ってきな!」
皆が笑顔で、果物や焼きたてのパンを、ヒロの持つカゴへと放り込むように差し入れていく。
「ちょっ、みなさん! 今日は仕事受けてませんよ!」
「いいんだよ! またあんたに頼みたいから、精をつけておくれ!」
ヒロが必死に戸惑う姿を見て、職人たちは目を丸くして驚いた。
「おいおい、なんだこの歓迎ぶりは……? ヒロ、一体どうなってやがる?」
ヒロは少し照れくさそうに、この一週間のことを説明した。
小さな仕事をハシゴしながら、ついでに街の人のちょっとした修理や手助けをして回っていたこと。そうしたら、いつの間にか仕事終わりの差し入れでカゴが埋まるようになってしまったこと。
その話を聞き終えるか終えないかのうちに、親方は「ふんっ」と鼻を鳴らし、これ見よがしに腕を組んで胸を張った。
「当然だな! いい仕事ってのは、人から愛されるもんだ! 」
そのあまりの堂々とした態度に、同行していた職人たちは呆れ顔で突っ込んだ。
「おい親方! ヒロが頑張ったんだろ、なんであんたが一番偉そうにしてんだよ!」
地下の殺風景な現場とは違い、夕暮れの王都の通りは、彼らの笑い声で一段と明るく賑わっていた。
職人たちと軽口を叩き合いながら談笑しているうちに、いつの間にか目的地の通りへと足を踏み入れていた。
ヒロは手に持っていた地図をくるくると丸めて下ろし、目の前にある年季の入った頑丈な扉を見上げる。
「よしっ、着いた!」
勢いよくそう宣言したヒロと、その隣で同じように足を止めた親方が、同時に目の前の扉へと手をかけた。
――ガチャリ。
二人の手が、まったく同じタイミングでドアノブに触れる。
ヒロが「えっ?」と目を丸くし、親方も、そして後ろからついてきていた職人たちも一斉に動きを止めて顔を見合わせた。
「……おい」
「え……?」
静まり返った空気の中、親方の太い眉がピクリと跳ねる。
職人たちも呆気にとられたようにヒロを見つめ、やがて全員の視線がヒロの持つ地図と目の前の看板へと交互に向けられた。
「ヒロ、お前が行きたいって言ってたところって……まさか、うちの工房か?」
ヒロは慌ててセレナに書いてもらった地図を広げ、女将のサインと道具屋の紹介文を指差しながら、ここで炉と作業場を貸して欲しいと頼みに来たのだと必死に事情を説明した。
それを聞いた親方は、しばらく呆れ果てたように天井を仰いだのち、どっと声を上げて肩を揺らす。周りの職人たちは腹を抱えて大爆笑し、地下の現場とはまた違う盛大な笑い声が工房の前に響き渡った。
「はははっ、灯台下暗しってやつだな! おいおい、気づけよ!」
「せっかく紹介してもらったのになんでもっと早く来ねえんだよ!」
「す、すみません! ええと、その……!」
ヒロは申し訳なさそうに何度も頭を下げて平謝りする。
「ガレスが、あっ、親友のバカが、工房よりギルドに行きたがって……!」
言い訳をしながらも冷や汗を拭うヒロに、親方はやれやれとばかりに鼻を鳴らした。しかしその目には、怒りの色など微塵もなく、どこか面白がるような光が宿っている。
親方はそれ以上詮索することなく、大きな背中を向け、「ついてこい」と言わんばかりにそのまま工房の奥へと力強い足取りで歩みを進めていった。
奥の作業場へ足を踏み入れると、ひんやりとした空気の中に、鉄と炭の匂いが心地よく鼻腔をくすぐった。
親方は無造作に工具棚に視線を向け、一言だけ背中越しに言い放つ。
「……奥、使っていいぞ」
ヒロは黙って深く頭を下げると、まっすぐ作業台へと歩み寄り、静かに腰を下ろした。
その瞬間、室内の空気が一変した。
さっきまで街で人々と言葉を交わしていた親しみやすい少年の面影が、嘘のようにスッと消え去る。
勝手のわからない王都地下の作業に戸惑い、周りの職人たちに指導を受けながら必死に食らいついていた、あの子供の表情ではなかった。
――そこにあったのは、まぎれもない「職人の顔つき」だった。
あまりの空気の変貌ぶりに、職人たちの間にざわめきが走る。
「おい、ヒロのやつ……?」と、見かねた何人かの職人が、工具の手入れや調整の仕方を教えてやろうと、面白半分、心配半分でヒロを取り囲もうと群がってきた。
その時だった。
「――黙って見てろ!!! 」
地響きのような、親方のとんでもない怒声が作業場に鳴り響いた。
群がろうとした職人たちはピタリと足をとめ、息を呑んで硬直する。
だが、そんな轟音すらも、今のヒロの耳には一切届いていなかった。
ヒロの視線は、目の前の炉と、そこに横たわる愛用の工具だけに注がれている。
迷いのない手つきで炉の温度を緻密に調整し、すっと右手を伸ばして相棒である槌を握りしめた。
職人たちはしばらくの間、息を殺してヒロの作業に見入っていたが、一人、また一人と深く頷きながらそれぞれの持ち場へと静かに散っていった。
ーーーしばらくして。
金属を打つ乾いた音がぴたりと止み、作業を終えたヒロは満足げにふぅっと息をついて顔を上げた。
使い込んだ工具を傷つけぬよう一本一本丁寧に布で拭き、愛用の工具箱へと大切にしまう。
すべてを片付け、一息ついたヒロは、ふと工房の窓の外に目をやった。
「……っ!?」
夕暮れを過ぎ、外はすっかり夜の闇に包まれている。
作業に完全に没頭するあまり、すっかり時間を忘れていたのだ。慌ててあたりを見渡すと、他の職人たちはすでに帰った後で、薄暗い作業場には親方だけがぽつんと残っていた。
「……そっちも終わったか?」
低い声とともに、親方が作業台の向こうから何かをひょいと放り投げる。
ヒロは反射的に手を伸ばし、飛んできたそれをパシッと掴み取った。
「炉の火はしっかり落とせ。戸締り忘れんなよ」
それだけ言い残すと、親方は背中を向け、ひと足先に工房の出口へと歩いて去っていった。
ヒロは呆然とその背中を見送りながら、そっと手を開く。
そこにあったのは、まだほんのりと熱の残る、見事なまでに美しく削り出された真新しい鍵だった。
お読みいただきありがとうございました!「続きが気になる」「面白い」と思っていただけましたら、画面下の「ブックマーク登録」や「★(評価)」で応援していただけると励みになります。




