王都で生きる
次の日の朝。
酒場の裏手の庭でガレスの振るう斧の音が小気味よく響き、その後ろでは女将が腕を組みながらその様子を見守っている。一方の店内では、ヒロがセレナの的確な魔法指導のもと、整備を手際よくこなしていた。
やがて仕事を終えた二人は、温かい朝食を美味そうに掻き込み、手際よく自分たちの使った皿を洗い上げた。
「いってきます!」
元気いっぱいの声を残し、二人はギルドへ向かうため、弾むような足取りで酒場を飛び出していく。
王都にやってきて、まだ今日で四日目というのに。
ガレスとヒロは、まるでずっと前からここに居場所があったかのように、その新しい朝のルーティンにすっかり馴染みきっていたのだった。
ギルドの扉をくぐり、受付のフロアへと足を踏み入れたヒロはリリアの列へと並んだ。
ふと隣を見ると、ガレスがなぜか自分と同じ列ではなく、隣の別の受付の列に並んでいる。
ヒロは小首をかしげた。
「ねえガレス。なんでそっちの列なんだい?」
ガレスは気まずそうにぼりぼりと頬をかき、視線を泳がせた。
「……あ、あぁ。いやさ、昨日のあの酷すぎる報告書のせいで、こっぴどく怒られたからな……」
ガレスは小さく身震いすると、小声で付け加えた。
「あの姉ちゃん、怖すぎだ! もう絶対その列には並ばねぇ!」
ヒロは呆れたようにふっと息をつき、それから「まあ、ガレスらしいか」と心の中で小さく納得しながら前を向く。
そして、その列の先――カウンターの向こうで忙しそうに手続きをこなすリリアへと、何気なく視線を向ける。
――綺麗だ。
昨日も、一昨日も、彼女の淀みのない鮮やかな仕事ぶりにばかり目を奪われていた。
だが、書類を受け渡し、真面目に淡々と業務をこなすリリアを改めてじっと見つめ、ヒロは今さらになってそれに気づいた。
そんな自分に、ヒロは思わず胸の内で少しおかしくなる。
あんなに整った、綺麗な子なのに。僕は初日から、外見になんて一度も気を取られることなく、彼女の完璧な仕事ぶりにばかり夢中になっていた。
(……それくらい、リリアさんの仕事が凄かったってことか)
妙に納得して一人で小さく頷きながら、また一歩列を進む。
ガレスよりも圧倒的に早く、ヒロの順番が回ってきた。
無理もない。ガレスが並んでいる列に比べて、的確かつ迅速に手続きをこなすリリアの列は驚異的な早さで進んでいた。
ヒロは少し誇らしげにふふんと鼻を鳴らしながら、カウンターの前に立つリリアへ爽やかに挨拶を投げかける。
「おはようございます! リリアさん!」
その瞬間、ぴたりと、周囲の空気が凍りついた。
「……おはようございます」
リリアは戸惑いながらもどこか微かに柔らかさを帯びた声で返事をした。
だが、そのやり取りに周囲の冒険者たちはまだ全く慣れていなかった。
「おい、嘘だろ……?」
「噂は本当だったのか……」
昨日からギルド内でまことしやかに囁かれていた話が目の前で起こった現実に、周りの者たちは目を見張り、どよめきを隠せない。ギルドの窓口に集まる視線が一斉にヒロとリリアへと注がれていた。
しかし、ヒロはそんな周囲の驚愕や好奇の視線など全く気にすることなく、真剣な瞳で本題へと切り出す。
「昨日みたいに、今日も仕事を下さい」
そのまっすぐな頼み方に、リリアは小さく息を呑み、そして昨日と同じ――いや、昨日よりも少しだけ穏やかな笑みを浮かべたのだった。
ヒロとガレスは新しい依頼書をしっかりと手に持ち、活気でざわめくギルドの扉をくぐって外へと出た。
ガレスが選んだのは昨日と同じ、王都周辺の森での討伐依頼だ。
しかし、昨日とは違う。ヒロは歩きながら依頼書の細かな文字をしっかりと読み込み、ガレスへと要点を分かりやすく説明していく。
「今回の目標はこれくらいのサイズの個体だから、無暗に暴れて周りを巻き込まないこと。あと、指定された区域から外れないようにね。ちゃんと聞いてる?」
小難しい話になると普段なら秒で飽きてそっぽを向くガレスのくせに、不思議と「戦闘」に関することだけは別だった。彼は足を止め、腕を組んだまま無言で、しかし鋭い眼差しでヒロの言葉を一言一句聞き逃すまいと深く頷いている。
その頼もしくも真剣な表情を横目で捉えながら、ヒロは少しだけ呆れたように、けれどどこか誇らしげな笑みを浮かべて説明を続けた。
やがて大通りを抜けたところで、二人はそれぞれの目的地へ向かうために足を止める。
「それじゃ、お互い頑張ろうね」
「おう、任せとけ!」
ガレスは力強く言い残すと、王都の外へと向かって風のように駆けていった。
ヒロはしばらくの間、その豪快に遠ざかっていく赤髪の背中を頼もしく見送り――それが視界から消えると、ようやく自分の手に握られた依頼書に向き直った。
今日の依頼は、地下の導管修繕ではなく、王都のあちこちを巡る小さな雑用や軽微な修理が四件。
リリアから受け取った時は、
(…地下じゃないのか)
心の中で、昨日の職人たちとまた一緒に働きたかったという思いでほんの少しだけ肩の力が抜けて落ち込んでしまった。
だが、そんなヒロを見たリリアが教えてくれたのだ。
『地下の修繕はいつもあるわけじゃないんです。人手不足のときに、たまに依頼が来る程度で、昨日は本当に運が良かったんですよ。』
だからこそ、リリアは今日の稼ぎが少なくなってしまうヒロのために、単価の低い小さな仕事を四件、組み合わせることで一日の生活費の基準にしっかり届くよう見繕ってくれていたのだ。
それを思い出したヒロは、すっと姿勢を正すと、ふふんと少し誇らしげに鼻の穴を膨らませた。
「やっぱり、リリアさんはすごいなぁ……!」
ただ生活費の足しになる仕事を適当に集めたわけではない。
依頼書をよく見れば、今日の四件はどれも王都内で効率よく回れるように位置関係が完璧に計算し尽くされていた。複数の現場をハシゴしても、無駄な移動時間がほとんどかからないように配慮されている。
彼女の圧倒的な事務処理能力と、細やかな気配りの深さに改めて感服しながら、ヒロはやる気を新たに一つ目の目的地へと軽やかな足取りで歩き出した。
一軒目の依頼は、大通りから少し外れた住宅街にある側溝の清掃――いわゆる、どぶさらいだった。
依頼主は、腰を悪くして自力では掃除ができないという一人暮らしの老婆。
ヒロは挨拶もそこそこに、庭先で困り顔をしていた老婆から掃除用具を一式借り受けると、早速作業に取り掛かった。
「それっ……!」
微かに魔力を練り上げ、身体強化魔法を全身に纏わせる。
驚異的なスピードと軽やかな足取りで、ヒロは側溝に溜まった泥や枯葉を次々と手際よく掻き出していき、あっという間に片付けていく。
作業の手を止め、ふと脇に置いてあった老婆の掃除用具に目をやった。
柄がすり減り、あちこちがひび割れたボロボロの木製スコップと、壊れかけた手押し車。
ヒロは工具箱を下ろすと、真っ直ぐな目で老婆に話しかけた。
「おばあちゃん、これ……僕が直してもいいですか?」
「えっ……? でも、これはもう古い道具だからねぇ……」
戸惑う老婆の言葉を優しく笑って受け流すと、ヒロはまず修繕魔法をふわりと纏わせ、傷んだ木部やひび割れを大まかに手早く整えた。
それだけでは終わらない。さらに工具を持ち出し、手作業で細部をやすりがけし、ガタついていた金具をしっかりと締め直して丁寧に仕上げていく。
その手際の良い作業の最中、ヒロは手を休めることなく、おばあちゃんに柔らかい調子で話しかけた。
天気のこと、近所の近況、昔話。
他愛のない雑談を交わしながら手を動かす。
(……あぁ、なんだか懐かしいな)
かつて陽だまり村でパンを配達していた頃の記憶が自然と蘇ってくる。
そういえば、いつも村のお年寄りたちとおしゃべりしながら、こうして色んな場所を回っていたっけ。
仕事だけを淡々とこなすだけじゃなく、こうして人々と言葉を交わし、関わり合うこと。
それは、あの村の温かい人々から学んだ、何よりも大切なことだった。
また安心して使えるように蘇った道具を見て、老婆は目を丸くしてぽかんと口を開けた。
そして、喜びと感謝のあまり、しわくちゃの顔をクシャクシャにほころばせる。
「まぁまぁ……こんなに綺麗にしてくれて……ありがとうねぇ!」
老婆は自宅から編み込みのカゴと、自家製の焼き菓子が入った包みを持ってきて、ヒロに無理やり手渡そうとした。
「そんな、お代はギルドからいただいてますから!」とヒロは慌てて辞退しようとしたが、老婆は頑固として首を縦に振らない。
「いいから受け取りな! お礼だよ。……それに、そのカゴは必ず返しとくれよ?」
困ったように眉を下げながらも、老婆の温かい笑顔を見たヒロは、ふっと優しく微笑んだ。
「……はい。じゃあ、また近くに来たら顔を出しますね」
頑固な優しさに少しだけ呆れながらも、ヒロの胸の内は、春の陽だまりのようなぽかぽかとした温かさにしっかりと包まれていた。
ヒロは残りの三件の仕事も手際よくこなし、夕暮れ時のギルドへと帰ってきた。
ふと、片手に下げた小さなカゴの重みに気づき、目を落とす。
――そこに入っていたのは、最初の一件目にもらった老婆の焼き菓子だけではなかった。
気づけば、カゴは様々な野菜や果物、魚や肉などで溢れんばかりに膨れ上がっている。
「……重いよ、まったく」
言葉とは裏腹に、ため息の代わりにヒロの顔には隠しきれない自然な笑みが大きく広がっていた。
ヒロはギルドのカウンターへと戻り、リリアの待つ列へと並んだ。
順番が回ってくると、四枚の依頼書をカウンターの上に置く。
リリアはいつもの冷静な事務処理の手を止めると、ヒロの持つカゴとカウンターの上の依頼書を交互に見やった。
依頼者からの完了報告欄には、ヒロがどれだけ丁寧な仕事をし、住民たちとどんな言葉を交わしたのかが――本来の報告欄の枠にはとても収まりきらないほどの、ぎっしりとした直筆の感謝と絶賛の言葉で埋め尽くされていた。
リリアはそれを読み終えると、少しだけ目尻を下げて、今日一番の美しい微笑みをヒロに向けたのだった。
「その差し入れの量も納得ですね。お疲れ様でした」
その言葉にヒロが照れくさそうに頭を掻くのを見届けると、リリアは四枚の依頼書をきれいに重ね、手際よく「トントン」と心地よい音を立てて判子を押していった。
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