技術の真価
酒場の扉から勢いよく飛び出す二人を見送り、セレナは女将に向き直る。
「……よかったんですか? あの服……」
女将が二人に手渡したのは、二階の奥から持ってきた服だった。とはいえ、ヒロには少しブカブカで、ガレスには窮屈そうに少し小さかった。それでも、昨日までの血と泥にまみれたボロボロの布切れよりはよほどマシだったが。
しかし、女将はなんでもないといったふうに、片手をひらひらと振ってみせる。
「いいさね、あんなボロを着せておくよりずっとましだよ」
口ではそう言ったものの、その瞳の奥には、どこか名残惜しさと寂しさがふわりと揺れていた。
――服を受け取ったとき、ガレスは真面目くさった顔でこう言ったのだ。
『一生、着る!』
あんな不格好な格好で、大真面目にそんなことを宣うから、思い出すだけでおかしくて仕方がない。
女将はふっと息を漏らし、思わず吹き出した。
「まったく……バカだね、ホントに」
呆れたような、けれど愛おしさを隠しきれないその呟き。
セレナはそっと微笑むと、カウンター越しに女将の節くれ立った手を優しく両手で包み込み、温かく握りしめた。
◇
◇
◇
「んで? どこ行くんだ?」
王都の石畳を踏みしめながら、ガレスは相変わらず地図など見向きもせず、ぶっきらぼうにそう尋ねた。
ヒロはガレスを振り返り、やれやれといったふうにため息をつく。
「道具屋だよ! 朝の相談、ちゃんと聞いてなかったのかい?」
朝食を済ませた後、今後の生活について女将とセレナに相談に乗ってもらったのだ。
冒険者登録を済ませるための費用を作ること。
そして、故郷の村から王都へ辿り着く道中で仕留めた獣のなめし皮や、丁寧に加工した骨細工をどこで高く買い取ってもらえるかということ。
子供や見知らぬよそ者では、悪質な商人たちに安く買い叩かれてしまうかもしれない。
それを心配した女将は、王都の中でも信頼できる、子供相手でも絶対に不当な真似をしない良心的な道具屋を教えてくれた。そして、セレナが手際よく一枚の羊皮紙に正確な地図を書き起こしてくれたのだ。
最後に、女将はその地図の端っこに、力強い筆跡で自分のサインを書き添えてこう言った。
――『困ったら、これ見せな』
ヒロは歩きながら足を止め、改めてその手元の地図に目を落とした。そこに書かれた、豪快でありながらどこか温かみのある女将のサインを見つめる。
(……このサインには、いったいどんな意味があるんだろう?)
この街で、あの女将さんがどれほどの信頼を勝ち得ているのか。それを知る由もないヒロは、首を傾げながらも、再び地図をしっかりと折りたたんで懐にしまい込んだ。
しばらく歩き、二人は道具屋に到着した。
カラン、と心地よい鈴の音とともに、二人は店内に足を踏み入れた。
「いらっしゃい!」
すぐに声をかけてきたのは、白い髭を蓄えた、見るからに気の良さそうな店主だった。
ヒロは迷わず主人のカウンターへと真っ直ぐに向かう。一方で、その後ろをついてきたガレスは、店内に並ぶ品々に目を走らせると、すぐに不満げに鼻を鳴らした。
「……なんだよ。武器とか防具、置いてねぇじゃん」
その声は店内にも響くほど大きく、ぶっきらぼうだった。ヒロはバツが悪そうに振り返り、ガレスを小突くようにして嗜める。
「……道具屋だって言ってるだろ! 頼むから、ここで失礼なことは言わないでくれ!」
店主は二人のやり取りを見ても気を悪くするどころか、楽しそうに目を細めて笑った。
「はっはっは、大丈夫だよ。君たちくらいの年齢なら、道具より武器や防具のほうが興味があるのは当たり前だからね。そんなに怒らなくていいよ」
店主は一息つくと、カウンターの上に置かれたヒロの荷物に視線を落とし、ニッコリと問いかけた。
「……それで? 今日はどんな用だい? 買取か、それとも何か必要なものでも?」
ヒロは緊張した面持ちで持参した麻の袋を広げ、丁寧に下処理をしてなめした獣の皮と、村の鍛冶場で培った技術で加工した骨細工を次々とカウンターの上に並べた。
「僕の手作りですが……か、買取していただけますでしょうか?」
店主はにこやかな笑みを浮かべたままでそれらを眺め始めたが、一つ、また一つと素材を手に取っていくうちに、その穏やかな目つきが徐々に、そして確実に険しいものへと変わっていった。
(……やっぱり、ダメなんだろうか)
値がつかないどころか、素人の見窄らしい細工だと笑われてしまうかもしれない。ヒロの心臓が嫌な音を立てて早鐘を打つ。
やがて、店主はぴたりと手を止め、重い沈黙ののちに顔を上げた。
「……まずね、素材の品質としては悪いね」
ガツン、と頭を殴られたような気がした。
ヒロには分かっていたことだ。村を出て王都に辿り着くまでの道中、生きるために仕留めたそこらのありふれた獣の皮や骨ばかりなのだから。当然の評価だと思い、ヒロが唇を噛み締めたその時だった。
「――だがね」
店主は真剣な眼差しで、皮のなめし具合や骨細工の滑らかな断面と彫りを見つめ直す。
「この加工技術は、この王都には無いものだ……。とても珍しく、そして……美しい」
その言葉を聞いた瞬間、ヒロの顔はパァッと明るく輝いた。
自分が守り、教え込まれてきた故郷・モルドの技術が、大都市である王都の道具屋に認められたのだ。胸の奥から熱いものがこみ上げてくる。
しかし、その歓喜に浸る間すら与えられず、店主は鋭い眼差しをヒロに向けた。
「ねえ、きみ。……この品、いったいどこで手に入れたのかな?」
ヒロは店主の鋭い問いかけに思わず反射的に声を荒げた。
「……っ!? 盗品なんかじゃありません!! 僕が作ったものです!!」
子供の作ったものには到底見えない高度な細工。それを持ち込んだのが、幼い二人組だ。店主が『出所』を疑うのは、この街で商売をしている者として当然の警戒心だと、ヒロの冷静な頭脳も瞬時に理解していた。
ヒロが緊張で肩を強張らせていると、それまで店内の品々に興味なさげだったガレスが、そっとヒロの肩に大きな手を置いた。
「……なぁ、ヒロ」
ガレスは鼻をひくつかせると、獲物を探る獣のような、けれどどこか確信に満ちた声で呟いた。
「このおっちゃん、悪ぃやつじゃねぇよ。……嘘の匂いはしねぇ」
ガレスの野生の勘をヒロも信じている。この店は、子供相手でも誤魔化さず、品質と技術を正当に評価し、そして店の信用を守るために出所を問う。そんな誠実な店だからこそ、ここまで警戒するのだと。
ヒロはふう、と深く息を吐き出し、項垂れる。
「……女将さんの紹介は、間違いなかったね」
ヒロの言葉に、ガレスもニカッと歯を見せて笑う。
「だろ? まぁ、もしおっちゃんが俺たちを疑うなら、セレナに代わりに売ってもらえばいいだけだ! なぁ?」
ガレスの無邪気な言葉。
しかし、カウンターの向こう側で店主の表情が、その名前に反応した。
「……女将? ……セレナ?」
店主の驚きと困惑が混ざった表情を見て、ヒロは瞬時に女将のあの言葉を思い出した。
『困ったら、これ見せな』
「あ、あの……これ……!」
ヒロは震える手で懐から地図を取り出し、女将が記した豪快なサインが書かれた面を差し出した。
そのサインを見た瞬間、店主の肩から力が抜け、彼は天を仰いで声を上げて笑い出した。さっきまでの鋭い警戒心はどこへやら、その表情は心底安堵の色で塗りつぶされていた。
「はははっ! なんだ、そういうことか! 良かった……本当によかった! 盗品なんかじゃないね!」
店主は地図を丁重に返すと、さっきまでの厳しい商人の顔から、一人の近所のおじさんのような柔らかい表情に戻った。
ヒロとガレスはホッとしたように顔を見合わせ、大きく息を吐き出した。
「な? やっぱあの女将の飯がうめぇから、みんなに慕われてる人気者なんだぜ! きっと!」
ガレスは胸を張り、得意げにそう言い放つ。
ヒロは呆れたようにジト目を向けた。
「……そんなわけないだろ。あそこの酒場は料理も美味いけど、絶対もっと別の理由があるっての」
そんな調子の良い二人のやり取りをよそに、店主は再び腕を組み、真剣な顔つきで皮と骨細工をじっと見つめ込んでいた。
しばらく続く沈黙に、ヒロは首を傾げてそっと声をかける。
「あの……まだ、何か問題でもありましたか?」
店主はハッと我に返り、すぐに柔らかい笑顔を取り戻した。
「いやいや、驚かせてすまないね。じっくり見れば見るほど良い仕事でねぇ。よし、買い取りの代金はもう決まったよ」
そう言うと、店主は手際よくずっしりと重みのある革袋を取り出し、カウンター越しに差し出した。
ヒロが恐る恐る中身を確認して、思わず目を見開く。
(……えっ!?)
提示された金額は、ヒロが予想していたよりもはるかに多かった。もちろん大金というわけではないが、これから冒険者ギルドで登録を済ませるための初期費用としては、あまりあるほどの十分すぎる額だった。
「こ、こんなに……! いいんですか?」
ヒロが戸惑いながら尋ねると、店主は優しく笑って首を横に振った。
「ああ、遠慮しなくていい。別に女将の紹介だからって特別に色をつけたわけじゃないよ。さっきは盗品だと疑って嫌な思いをさせた詫びさ」
店主はいたずらっぽくウインクをして続ける。
「それに――これからも君のような若い職人には、ちょくちょくこの店に顔を出してほしいからね。腕のいい職人は、この街じゃ大歓迎さ」
ヒロは両手で代金を受け取り
「ありがとうございます! 大切に使わせていただきます!」
ヒロは深く丁寧にお辞儀をし、満足感と安心感に胸を膨らませて店を後にしようと身を翻した。
しかし、その背中に向かって主人の声が飛ぶ。
「さっきの地図、ちょっと貸してくれないかい?」
「え?」
ヒロは首を傾げながらも懐から先ほどの地図を取り出し、店主に差し出した。
主人はペンを手に取ると、地図に手際よく新しい印をつけ、さらにその裏面サラサラと美しい文字で何かを一筆したためる。
そして、再びそれを丁寧に畳んでヒロに手渡した。
「これを持っていきな。これは、『紹介状』だよ」
「……しょ、紹介状、ですか?」
ヒロは目を丸くし、渡された羊皮紙を信じられないといった様子で見つめた。
主人はニッコリと人懐っこい笑みを浮かべて頷く。
「ああ。。――行きな、この街で一番の工房さ。きっと君の技術を面白がってくれるはずだよ」
その言葉を聞いた瞬間、ヒロの胸の内で抑えきれない興奮と歓喜が爆発した。
「……っ! ありがとうございます!!」
ヒロの頭の中にはまだ知らない新しい技術、そしてモルドから受け継いだ技術がどれほど通用するのか、それしかなかった。
「ひ〜ろ〜〜?」
大喜びするヒロの視界に、巨大な影が覆いかぶさる。ガレスが不満そうに顔を近づけ、ヒロの頬を両手でぷにっと引っ張った。
「痛っ、痛いってガレス!」
「はしゃぐのはいいけどよぉ! ギ!ル!ド!!! 忘れんなよ!!! 」
ガレスの言葉に、ヒロはハッと正気に返り、自分の額にバシッと手をついた。
「っ……そうだった! 僕らはまず、冒険者登録をするために来たんだった……!」
工房への期待ですっかり頭がいっぱいになっていたヒロは、自分のうっかり加減に頭を抱える。
その様子を見て、カウンターの向こうで店主が声を上げて大笑いした。
「はっはっは! 工房はどこにも逃げやしないさ! いつでも行ける!」
その言葉に背を押されるように二人は道具屋を後にした。
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