理性と本能
もらったパンをあっという間に飲み込むガレスと、ゆっくりと噛み締め味わうヒロ。二人は穏やかな朝の光の中を歩き、いつしか村の外れへとたどり着いていた。
目の前にそびえ立つのは、鋭く切り立った岩場だ。
物心ついた頃から遊び、傷だらけになって競い合ったその場所は、いつしか二人にとって修行の場になっていた。
「行くぞ、ヒロォ!」
その一声とともに、ガレスが地面を蹴り飛ばす。
足元の砂利が弾け、若干七歳とは思えないほどの猛烈な速さと力強さで木剣が振り下ろされた。
「……またその大振りか」
ヒロは静かに、しかし絶妙なタイミングで半歩だけ下がる。ガレスの木剣は鼻先をかすめ、かすかな風圧だけがヒロの頬を叩いた。
物心ついた頃から同じ釜の飯を食って育った相手だ。
ガレスがどんな軌道を描いて剣を振るうのか、追い詰められた時にどちらへ足を踏み出すのか。
その全てがヒロの頭の中にあった。
ーーだからこそ、自分がどう動けばガレスに勝てるのか、それが容易に組み立てられる。
ヒロは流れるような身のこなしで滑るように懐へ入り込む。荒々しい剣筋を受け流し、正確に小手を打つ。返す刃で足を払う。
そして、バランスを崩したガレスの無防備な背中へ、コツンと木剣を当てた。
「隙だらけだよ、ガレス」
ガレスはすぐさま立ち上がる。
「もう一本」
そう言いながら木剣を握り直す。
ヒロはガレスの底なしの体力に呆れながらも、打ち合いを続けた。
(……いつもそうだ。勝つまでやるんだから、まったく)
何度転がされようとも、ガレスの目から光が消えることはない。むしろ、負ければ負けるほどにその闘志は色濃く、熱を帯びていく。
「……くそっ! 次こそは!」
荒い息を整えながら、ガレスが再び真っ直ぐに跳びかかってくる。
そんなガレスの剣を軽々といなし、かわしながら、的確に急所を捉え、軽く当てていく。
これはあくまで木剣を使った修行だが、もしこれが本物の鋼の刃であれば、ガレスはとっくに致命傷を負っていただろう。
ーーだが、そんなことはガレスにとって取るに足らないことだった。
何度も、何本もヒロが的確な一撃を重ねていく中で、ガレスの瞳にぎらりと野性の光が宿る。
「うおおおおっ!」
ガレスが大地を揺らすような気迫で吠えた。
ーーその瞬間
ヒロの木剣が勝負を決めるべく懐へ届くより早く、ガレスの頑強な体があり得ない不規則な軌道で捻じれる。
「なっ――」
それはまるで、獲物を狙う野獣が本能だけで跳びかかるような、圧倒的な一撃だった。
理屈や駆け引きなどそこには無かった。
それなのに、結果としてそこにあるのは「最善」の一手だった。
ドスッ、と鈍い衝撃がヒロの脇腹を容赦なく打ち抜いた。
「ぐっ……!」
肺から空気が強制的に絞り出される。
ヒロの体はたまらず宙へと浮き、そのまま固い岩肌へと激しく叩きつけられ、地面へ転がる。
周囲に乾いた砂煙が舞い上がる。
「……っ、痛……」
荒い息を吐きながら脇腹を押さえて起き上がると、視界のすぐ上にガレスの真っ直ぐな顔があった。
「一本!」
ガレスはヒロの痛みを気にする様子もなく、満面の笑みを浮かべて太い手を差し出してくる。
ヒロはその差し出された手には捕まらず、自力で地面を蹴って立ち上がった。
「考えすぎなんだよ、ヒロ!」
「……そうかもね」
ヒロは不服そうに眉を寄せながら、服についた白い砂をパッパと手で払う。
頭の中では、先ほどの一撃の感触が何度も何度も巻き戻されていた。
おかしい。
踏み込みも、体重移動も、さっきの剣筋さえも、泥臭くて型破りなものだ。理論なんてかけらもない。
それでも。
あの一瞬のきらめきだけは、自分が考えるどんな綺麗な剣技よりも正しかった。
「……まるで獣だね」
思わず口をついて出たその呟きに、ガレスは不思議そうに首をかしげる。
「んだよそれ?」
ヒロは苦笑交じりにため息をついた。
「褒めてるんだよ。天才だね、ガレスは」
一瞬きょとんと目を丸くしたガレスだったが、次の瞬間には顔をくしゃくしゃにして嬉しそうに笑い出した。
「へへっ! もっと褒めろ!」
そう言って、ガレスは待ちきれないとばかりにもう一度木剣を力強く構え直す。
ヒロもまた、じんわりと痛む脇腹をさすりながら小さく息を吐き、再びしっかりと木剣を握り締めた。
この天才にはいずれ勝てなくなる時が来るのかもしれない。ヒロは幼ながらにもどこか達観した考えが頭をよぎった。
それでも――。
この予測不能な天才の軌跡を、誰よりも近くで見つめ、誰よりも深く理解できるのは自分だけだ。
そんな根拠のない確信だけは、これまでの短い日々の中で育まれた絆とともに、ヒロの胸の奥で静かに、そして確かな熱を帯びて燃えていた。
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