鍛冶場
結局あれから何本もの打ち合いが行われた。
ヒロが数本取れば、それを帳消しにするかのような一本をガレスが取り返す。
それを繰り返すうちに、あっという間に時が過ぎーー
「ガレス、そろそろ仕事の時間だ」
ヒロは服についた砂を払い、木剣を腰へ差し直す。すでに陽は高く昇り、村の日常が本格的に動き出していた。
「げっ!」
ガレスが空を見上げ、途端に顔をしかめる。
「もうそんな時間かよ!?」
「ああ。急がないと、親方の鉄槌が落ちるぞ。文字通りね」
ガレスは慌てて木剣を放り投げ、散らばった荷物をまとめ始めた。
……と思った次の瞬間だ。
「いや! 十回だけ!」
そう叫ぶや否や、ガレスは再び木剣を掴み、猛然と素振りを始めた。
「十回で終わった試しがないんだけど」
ヒロは呆れと諦めが入り混じったため息をつき、頑固な相棒を置いて一人、村の鍛冶場へと向かった。
鍛冶場に近づくにつれ、熱せられた鉄の刺すような匂いが、爽やかな風に混じり始める。
この村で唯一の鍛冶場。そこを一人で切り盛りするのは、親方モルドだ。
無口で頑固。村一番の偏屈者と名高いが、ヒロにとってそこは特別な場所だった。
炉の火加減、鉄の焼き色、鎚を振り下ろす正確な角度。
モルドの仕事には、無駄というものが一切存在しない。一打一打が、まるで数式のように美しい答えを導き出していく。
(どうして教えないんだろう)
ヒロは作業の端々でいつもそう思う。
この技術を言葉にして、理論として残せばいい。誰にでも再現できる形にすれば、多くの職人が育つはずなのに。
『見て盗め。盗んで覚えろ』
その教え方は非効率極まりない。けれど、ヒロはその厳格な鍛冶場の空気を、どこか愛おしく感じていた。
「よお! 親方ぁ!」
鍛冶場の静寂が、遅れて飛び込んできたガレスの声に破られる。
炉の前に立つモルドが、ゆっくりと振り返る。
口は開かない。ただ、「遅い」とでも言いたげな鋭い視線を向けた。
「……す、すまん」
ガレスは即座に察し、薪割り場へと駆けていく。
ヒロは黙ってフイゴの前に立ち、手慣れた手つきで空気を送り込んだ。
炉の炎が唸りを上げ、赤かった鉄が白に近い輝きを帯びていく。
モルドが熱せられた鉄を挟み、金床へ据えた。
一定の間隔で寸分の狂いもない鎚の音が鍛冶場に鳴り響く。ヒロは夢中でその軌道を追いかける。力の乗せ方、角度、熱の逃げ方。すべてが理にかなっていた。
(……綺麗だ)
効率だの利益だの、そんな瑣末な考えを忘れてしまう。ただ鉄が形を変えていく過程が、たまらなく美しかった。
「ヒロ」
不意にモルドが口を開いた。
「温度を上げろ」
「はい」
ヒロは即座にフイゴを強く引く。炎がさらに勢いよく唸りを上げ、モルドは再び鎚を振り下ろした。
ヒロはその背中を見つめながら、今日も一つでも多くの「答え」を盗もうと、目を凝らしていた。
作業が一段落し、鍛冶場に穏やかな静けさが戻った。
モルドが無造作に放り投げた水差しを、ガレスはふわりと片手で受け止める。
「ぷはぁっ!」
喉を鳴らして一気に飲み干すと、ガレスは満面の笑みで水差しを突き出した。
「生き返る! 親方、おかわり!」
図々しい一言にも、モルドは何も言わず、黙って水差しを受け取ると奥へ消えていった。
その後ろ姿を見送りながら、ヒロは小さく笑みをこぼす。
「本当に親方に気に入られてるよね」
「そうか?」
ガレスは首を傾げ、きょとんとしている。
「ヒロの方が気に入られてると思うぜ?」
ヒロは苦笑する。ガレスには、他人の本質を見抜く野性的な嗅覚がある。無骨な背中の奥に隠された優しさを、理屈ではなく本能で感じ取っているのだ。
その時だった。
ヒロの視線が、作業台の脇に置かれた古びた工具箱へ吸い寄せられる。
吸い込まれるように近づき、静かに蓋を開けた。
「……っ」
息を呑んだ。
鑿、鏨、金槌、ヤスリ。
長年使い込まれた道具たちが、一分の狂いもなく整然と並んでいる。
刃には無数の傷があり、柄には使い込まれた跡が色濃く残っている。
だが、どれ一つとして錆びていない。丁寧に磨かれ、いつでも「最高の仕事」ができるよう手入れされていた。
それは単なる道具ではない。モルドという男の人生が、そこに静かに横たわっていた。
「何を見ている」
低い声に、ヒロは肩を震わせて振り返った。水差しを持ったモルドが立っている。
「すみません、勝手に……」
慌てて頭を下げたヒロに対し、モルドは怒る代わりに工具箱へ視線を落とした。そして、静かに蓋を閉める。
「……まったく」
ぽつりと、低く呟く。
「珍しいガキだ」
ヒロが顔を上げると、モルドは一度だけ、わずかに口角を上げたように見えた。
「道具を見て、そんな顔をするガキは初めて見た。」
それだけ言うと、モルドは背を向け、再び炉の方へ歩いていった。
その後ろ姿は、先ほどよりもどこか軽やかで、誇らしげに見えた。
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