番外編 星の守護者の孤独な番
その場所には、風もなければ、時を刻む砂時計の音もなかった。
あるのはただ、終わりのない紺青の沈黙と、主を失って久しい巨大な青い扉だけ。
金色の髪を持つ守護者は、何千、何万という「地上の年月」を、その扉の前でただ一人過ごしてきた。
彼女の身体は光の粒子で編まれており、眠る必要もなければ、飢えることもない。
ただ、星々がその輝きを失い、境界の庭へと零れ落ちてくるたびに、その重みを自らの肩で受け止めることだけが、彼女に与えられた唯一の役割だった。
「……また、ひとつ」
彼女は、指先をかすめて落ちていった灰色の石を眺めた。
それはかつて、砂漠の民が「母の瞳」と呼んで敬い、航海の道標として愛された名もなき星の末路だった。
守護者がその石に触れると、星が最期に見た記憶が流れ込んでくる。
それは、街を埋め尽くす電飾の喧騒。
誰一人として空を仰がない、冷たいコンクリートの路地。
自分たちの光が、誰の瞳にも届かなくなったという絶望。
星は物理的な衝突で死ぬのではない。
誰からも「認識」されなくなった時、宇宙という記憶の舞台から静かに退場するのだ。
「人間は、なんと忘れっぽい生き物か」
守護者は独りごちた。
彼女は覚えている。
世界がまだ若く、闇が豊かだった頃のことを。
人々は夜を畏れながらも愛し、焚き火の周りで星々の物語を紡いでいた。
その頃、境界の扉は開け放たれ、星の光と人間の想いは、目に見えない光の糸となって美しく循環していた。
守護者の仕事は、その交差を見守るだけでよかった。
けれど、時代は変わった。
人間が自分たちで「光」を作り出したその日から、守護者は扉を閉めざるを得なくなった。
星たちの純粋な輝きが、地上の毒々しい光に汚され、傷つくのを防ぐために。
それは彼女にとって、愛する子供たちを暗い部屋に閉じ込めるような、苦い決断だった。
それからの歳月は、彼女の魂を少しずつ磨耗させていった。
金色の髪は次第に冷たさを帯び、銀色の瞳からは感情が削ぎ落とされていった。
彼女はいつしか、人間を憎むようになった。
星たちの自己犠牲を忘れ、安っぽい文明の光に溺れる無機質な種族。
「二度と、この門を叩く者など現れまい」
そう確信していた彼女の前に、ある日、奇妙な振動が届いた。
それは、かつて地上に蒔かれた「星の種」、記憶という名のバトンを引き継いだ、ひとりの少女の足音だった。
守護者は、霧を抜けて現れたアオイを、最初は冷ややかに見守っていた。
どうせ、これまでの失敗者たちと同じだろう。
孤独に耐えられず、あるいは失うものの大きさに怯え、途中で引き返すに違いない。
けれど、アオイの瞳の中にあったのは、かつて神話の時代に人々が持っていた「純粋な畏怖」と、それ以上に深い「愛」だった。
(この子は……自分を燃やそうとしているのか)
アオイが記憶を差し出すと決めたとき、守護者の胸の奥で、何万年も動かなかった「何か」が、ぴきりと音を立てて割れた。
それは、彼女自身が凍りつかせていた「期待」という名の感情だった。
星を救うために、星を愛した自分を捨てる。
その矛盾に満ちた、けれど気高い献身。
扉が開き、星々が空へと還っていくあの瞬間。
守護者は、アオイにだけ聞こえるように、静かに、そしてこの上なく優しく微笑んだ。
それは彼女が数千年の孤独の果てに、ようやく「人間」という種族を許した瞬間でもあった。
星が戻った今、守護者の役割は終わりを迎えた。
青い扉はもはや閉ざされる必要はなく、境界の庭には新しい星々の芽吹きが始まっている。
守護者は、今はもう空っぽになった庭園に腰を下ろし、地上の遥か彼方で眠るアオイを見つめた。
「ありがとう、アオイ。君が忘れた物語は、私が一生、この宇宙の端っこで語り継いでいくよ」
金色の髪が、戻ってきた星々の光を受けて、かつてないほど美しく輝いた。
守護者はもう、孤独ではなかった。
彼女の瞳には、かつての冷徹な銀色ではなく、希望という名の淡い青色の光が、静かに宿り続けていた。




