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胸の中の小さな光

 「記憶」を差し出せば、星は戻る。

 けれど、星を愛した「私」は消えてしまう。

 守護者が突きつけた条件は、アオイの魂を凍りつかせるのに十分なほど残酷なものだった。


 静まり返った星の庭で、アオイは立ち尽くしていた。

 足元では、力尽きそうになった星たちが微かな光を放ち、まるで「行かないで」とも「助けて」ともつかない、途切え途切れの旋律を奏でている。

 もし、この旅の記憶を失ってしまえば、あの都市のネオンの中で孤独に耐えた夜も、森で光の粒に導かれた神秘的な時間も、すべてが泡のように消えてしまう。

 それは、自分という存在そのものを白紙に戻すことと同じだった。


「……どうして、そんなに厳しいの?」


 アオイは震える声で守護者に問いかけた。

「星を救いたいと願う心があるからこそ、私はここまで来られた。その心を捨ててしまったら、星が戻った空を見ても、私はもう、綺麗だなんて思えない。おばあちゃんとの約束も……ただのゴミになっちゃう!」


 守護者は動かない。

 ただ、冷徹な銀の瞳でアオイを射抜くだけだ。

「アオイ、光を灯すには、自らが燃えなければならない。それが宇宙の法則だ。星たちは数千年の間、君たちに希望を与えるために自らの命を燃やし続けてきた。今度は、君がその対価を払う番なのだ」


 アオイは自分の胸を強く押さえた。

 そこには、都市の眩しすぎる光の中でも、決して消えなかった「小さな火」がある。

 それは祖母が語ってくれた物語の記憶であり、図書室で古書の匂いに胸を高鳴らせた喜びであり、そして今、目の前で朽ちていこうとする星々を抱きしめたいと願う「慈しみ」そのものだった。


(この光を……手放さなきゃいけないの?)


 アオイはそっと目を閉じた。

 暗闇の中で、祖母の笑顔が浮かんでは消える。

 祖母の指先が、見えない星をなぞっていたあの瞬間。

 その時、アオイはふと気づいた。

 祖母は、星が見えなくなった世界で、どうしてあんなに穏やかな顔でいられたのだろう。

 誰も信じない「約束」を語り続けながら、なぜ一度も絶望しなかったのだろう。


 それは、祖母もまた、何かを「捧げて」いたからではないだろうか。

 星を想い続けるということが、それだけでひとつの祈りであり、自分を削って世界に光を繋ぐ行為だったのだ。


「……わかったよ」


 アオイが目を開けたとき、その瞳からは涙が消えていた。

 彼女はゆっくりと、胸の中にある光に意識を集中させた。

 記憶を失うことは怖い。

 自分が自分でなくなることは、死よりも恐ろしい。

 けれど、自分が星を忘れたとしても、世界に再び星が戻るなら。

 これから生まれてくる子供たちが、夜空を見上げて「綺麗だね」と笑い合えるなら。

 自分の記憶という小さなまきをくべて、宇宙の大きな「約束」が守られるなら、それは決して「喪失」ではない。


「私は……私の記憶を、全部あげる」


 アオイの声は、もう震えていなかった。

 その瞬間、彼女の胸の奥から、言葉では言い表せないほど透明で、純粋な輝きが溢れ出し始めた。

 それは図書館の知識でも、地図の情報でもない。

 ただひたすらに、遠くにあるものを信じる「無垢な想い」。


 守護者の瞳が、初めて驚きに揺れた。

「自らを空っぽにするというのか。星を取り戻したあとの世界で、君だけがその喜びを知らぬ者になるというのに」


「いいえ。私が忘れても、世界が覚えているわ。星たちが空から、私の代わりに、その約束を覚えていてくれる……そうでしょ?」


 アオイが微笑むと、彼女の身体から一筋の黄金の光が離れ、空中を舞った。

 それは彼女が歩んできた旅の景色、祖母の声、森の匂い……それらが凝縮された「魂の欠片」。

 その光が、灰色の星々に触れるたび、星たちは驚異的な速度で本来の輝きを取り戻していく。

 庭園全体が、死の色から、命を祝福する白銀の炎へと塗り替えられていく。


 庭の奥にある巨大な「光の門」が、これまでにないほど激しく鳴動し、眩い光の渦がアオイを飲み込もうとしていた。

 

「アオイ。君の光は、もう君一人のものではない……全宇宙の希望となったのだ」


 守護者の声が、祝福するように響いた。

 アオイは自分の記憶が、砂時計の砂のように少しずつ、けれど確実にこぼれ落ちていくのを感じた。

 祖母の顔が、少しずつ遠ざかる。

 図書館の匂いが、薄れていく。

 自分がなぜここにいるのかという理由が、霧の中に消えていく。


 けれど、不思議と悲しくはなかった。

 最後に残ったのは、ただ一つの暖かな感触。

 「約束は守られた」という、確かな満足感だけが、彼女の消えゆく意識を支えていた。

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