アルフヘイム
ティアナは、温かく心地のいい感覚の中、目を覚ました。
布団を押しのけて寝ぼけ眼で起き上がると、広く高級そうなじゅうたんが敷かれた部屋の中を見回した。
周りには誰も居なくて、何の物音もしない。
ティアナは寝かされていた寝台からゆっくりと降りた。
すると、寝台の横に置いてあった服が目に付いた。
服の上には、これを着てください、と綺麗な字で書いてあった。
広げてみると、軽くて動きやすそうな、ティアナ好みの服だった。
ただ、今のようなみすぼらしさはない。
ティアナはそれに着替えると、その部屋を後にした。
長い廊下を歩いていくけれど、誰とも会わないことに違和感を覚える。
ここはオルゼビアの皇帝がいるべく城なのにも関わらず、ろくな警備も居ないなんて。
そう思っていた時、ティアナの耳になにか足音のような音が届いてきた。
その音は、何かがぶつかり合うような音にも感じた。
どこへ行ったらいいかさっぱりわからなかったティアナは、とりあえずその音に向かって歩いていくことにした。
音が段々近くなって来たと思うと、突然ひらけた場所に出た。
円形に開けているその場所は、地面に平らな石が敷き詰められた広場のような場所だった。
その端の方に何本か太い柱がたっており、石でできた屋根を支えている。
その広場の中央で、二人の人間が蹴り合い、殴り合っているのが見えた。
ただ、決して喧嘩や決闘のようなものではなく、訓練としての動きに見える。
その二人の人物とは、ティアナがよく見慣れている、赤髪と茶髪の男二人だった。
その二人を、頬杖をつきながら見ているのは白い髪をなびかせているラミアだった。
ティアナは、じっと広場の中央のクレアとカークを見る。
こうして見ていると、カトランガの格技場を思い出す。
昔も、クレアとカークは何度も張り合っていた。
二人とも機敏な動きで互いの攻撃を受け流しながら、一撃を食らわせるための機会を待っている。
そんな昔のままの二人を見て、ティアナは安心した。
カークの肩の怪我はすっかり治っているようだし、クレアの表情も、少し晴れ晴れとしているように見える。
ティアナが意識を手放す前、随分と悔しそうな、情けなさそうな顔をしていたから、ティアナは少しクレアのことが心配だったのだ。
何となくほっとしたティアナは、しばらくの間、二人の稽古を眺めていた。
すると、後ろから足音が聞こえて、ふっとティアナは振り返った。
すると、ティアナの後ろには、笑顔を浮かべたイレブロスが立っていた。
「やぁ、おはよう。目が覚めたみたいだね」
そう、イレブロスはティアナに言いながら近づいた。
「まぁ、おはようと言ってももう夕方なのだけどね。君、丸一日眠っていたよ」
その言葉に、ティアナは驚いた。
夢も見なかったため、そんなに眠っていた感じも全くしなかったのだ。
「さて、君には話さなければならないことも沢山あるのでね。少しついてきてくれるかい」
イレブロスはそんなふうに言いながら人差し指をティアナが元来た道である廊下の方に向け、顔だけティアナの方に向けて歩きだそうとしたが、すぐに柱にぶつかって仰向けに倒れた。
「…だ…大丈夫ですか…?」
きっとすごい人なのだろうに、何もかも台無しだ。
そう思いながら、ティアナは少し困ったような視線をイレブロスに向けた。
イレブロスはというと、ぶつけた頭を擦りながらむくっと起き上がり、開き直ったように笑った。
「まぁ、こういうことはよくあるのだよ。私は常にこんな感じだが、君に話すことはきちんと要点をまとめて話すから、安心してくれ」
そう言いながら、イレブロスは立ち上がって歩き出した。
それに、ティアナは黙ってついて行った。
ティアナとクレアの力を測り終え、ティアナが気を失った状態でも何も手を出さなかったということは、もう攻撃したり、殺したりする気は無いのだろう、とティアナは判断したのだ。
イレブロスが歩いて行った先は、ある小さな部屋だった。
そこには、なんの家具もなく、小さな椅子が二つだけ並んでいるだけだった。
その椅子の一つに、イレブロスが座り、もう一つにティアナが座るように促した。
それにティアナが座ると、イレブロスはふむ、と考え出す。
「そうだな…まず、君たちの力を来て早々測らせてもらった理由から話そうか。」
そのイレブロスの言葉に、ティアナは頷いた。
「最初に謝罪をさせて頂こう。ここへ来て早々に無粋な真似をしてしまった。」
イレブロスはそう言いながら頭をティアナに下げた。
そんなイレブロスの態度に、ティアナは驚いた。
リザナス王国の国王ともあろう人物が、他の国の王でもないものに頭を下げるとは。
そんな風に驚きながらも、ティアナは何も言わなかった。
ティアナ自身に何かされるのはいい。
だが、今回傷ついたのはカークだった。
ティアナの仲間を傷つけることが、ティアナの力を引き出す一番の近道だとわかってのことだろうが、それをティアナは許せなかった。
何も言わないティアナに、イレブロスは少し顔を上げて言った。
「あんなやり方をされたんだ、怒るのも無理はないね。だが、今は謝るほか何も出来ない。どうか話を聞いてくれ。」
イレブロスは、ティアナと目線を合わせ、そんな風に言う。
それに、ティアナが小さく頷くと、イレブロスは話し出した。
「まず、君たちの力を測ったわけは、出来ることなら君たちに即戦力になって欲しかったからなのだよ。」
「…即戦力…?」
「うん、リザナスと、オルゼビアにとってのね」
「…私とクレアが、何故あなたがたのために戦わなければならないのですか?」
ティアナは、少々棘のある言葉を、リザナスの国王に向かって放つ。
それにも、イレブロスは余裕そうに笑っている。
「これは、カトランガにも関わることなのだよ。それ以前に、この世界の全人類に関わる大問題だ。」
「…どういうことですか?」
「君は、かつてオルゼビア、カトランガ、リザナス、フィーシアンの四国の国土すべてが妖精の木だった事を知っているかい?」
そんなイレブロスの問いかけを受けて、ティアナは何年か前に読んだ書物のことを思い出した。
にわかに信じがたい話だが、今は四国の中心にしかない妖精の木が、かつては巨木というよりはそびえ立つ山のようにして今の四国全ての国土を覆い尽くしていたのだという。
「前に、書物で読んだことがあります。」
と、ティアナが正直に答えると、イレブロスはにこりと笑って頷いた。
「さすが。聞いていた通り色々なことを知っているようだ。でも、流石に何故妖精の木がここまで小さくなったのかは知らないだろう?」
そのイレブロスの言葉に、ティアナはその書物の内容を思い起こしたが、妖精の木が小さくなった理由などは全く書かれていなかった。
ティアナが頷くと、イレブロスは、それはそうだ、と笑った。
「妖精の木について詳しく書かれた文献など、存在しないのだよ。君が読んだものも、恐らく単なる神話の書だろう。だが、私やヴィレム、そしてフィーシアンの妖精使い、ゾルは真実を知っている。何故だと思う?」
「…妖精に聞いたんですか?」
「そう。君はウンディーネと話したことがあるかい?」
イレブロスの問いかけに、ティアナは小さく頷いた。
力を貸してほしいか、と聞かれたことは何度かあったからだ。
「君と同じように、いや、恐らく君以上に、私達は妖精と対話することが出来る。君には見えないだろうが、今もここにいるのだよ。私の可愛い妖精がね」
そう言いながら、イレブロスは左腕を掲げ、何かを撫でるかのように手を動かした。
すると、イレブロスの左手が、かすかに黄色く光ったような気がした。
「それで…妖精の木が小さくなっているわけというのは…?」
そう、ティアナが少し話を促すと、イレブロスは左手を下ろしてまた話し始める。
「妖精の木を創り出した、ニンフェケーニヒの力が弱まっているのだよ。人間と妖精とは、本来同じ世界に共存していた生き物なのだという。だが、共存と言っても人間にとって妖精は天敵だった。妖精の食べ物というのは、人間の魂だから。」
その言葉を聞いて、ティアナは驚いた。
子供が読むようなおとぎ話の妖精は、可愛らしく、とても人間に仇なすものでは無い。
ティアナの頭の中でも、妖精というのはその様なイメージだったのだ。
現に、少し前に岩壁の中の塔で見た妖精も、可愛らしい姿をしていた。
「妖精の中にも規則があり、生きている人間を殺して魂を取ることは禁忌とされているらしいが、それを破る輩が多かったらしくてね。人間は激減し、妖精は飢えた。それは、今から数千年以上も前の話だ。それ以上人間が減れば、やがては妖精も飢え死ぬことになる。それを見かねたニンフェケーニヒは、人間と妖精とを分断する為に、妖精の木を創った。だからあの木は、いわば人間界と、妖精のアルフヘイムと呼ばれる世界とをつなぐ扉なのだよ。」
「けど…それなら、どうして妖精たちは人間に力を貸してくれるのですか? 妖精たちにとって人間は餌同然なのでしょう?」
そうティアナがイレブロスに聞くと、イレブロスは笑顔を崩さずに言った。
「妖精たちも、一枚岩ではないという事だよ。ニンフェケーニヒはいわゆる人間側についている妖精で、そのニンフェケーニヒの配下である妖精の一族は人間たちを助けてくれる。私たちが借りている妖精の力のほとんどは、ニンフェケーニヒの配下の妖精のものだ。」
そんなイレブロスの説明に、ティアナは興味を持った。
書物ではわからなかった妖精の生態や世界を、イレブロスは教えてくれている。
それが、ティアナにとっては何だかわくわくとする事だった。
「逆に、人間側ではない妖精の一族は、ニンフェケーニヒのことをよくは思っていないようだ。もちろん、ニンフェケーニヒの方が力は強いのだが、ニンフェケーニヒの目を掻い潜るようにして、人間に仇なす者達が殆どなんだ。」
「…例えば?」
「例えば…そうだな。オークやベルディーヤは知っているだろう?」
という、イレブロスの問いかけにティアナは頷いた。
「あれは、人間側ではない妖精の一族の遣い…言ってみれば、式神のようなものだ。あの怪物共は、人間のみを襲い、殺し、そして魂を主に持ち帰るためだけに作られたものだ。神出鬼没なのも、数が減らないのも、アルフヘイムから直接的に人間界に産み落とされているからなのだよ。でなければ、あのような巨体がすぐ側まで接近するまで気づかないはずが無いだろう?」
そう、イレブロスは言った。
ティアナも、そう言われて、今までオークに会った時のことを考えてみる。
そうすると、確かに毎回、本当にすぐ側まで接近されるまで気が付かないのだ。
気がついたら目の前にいた、という時がほとんどだと、ティアナは思った。
「まぁ、どのようにしてニンフェケーニヒの結界を掻い潜りこちらの世界へオークを送り込んでいるかは、私にもわからない。なにせ、私に情報をくれるのはニンフェケーニヒ側の妖精だけだからね。それから、ベルディーヤの生息範囲から考えて、恐らくニンフェケーニヒの結界は、この四国を包むぐらいの面積しかないという事がわかっているんだ。」
「…それは…つまり、この四国以外の場所は、オークのような化物で埋め尽くされているということですか…?」
そうティアナが聞くと、イレブロスは頷いた。
「そう。もはや、人間が生きられる場所ではないだろうね。つまり、この四つの国の人口が、この世に生きている全ての人の数だ。そして、妖精の木の扉が開けば、遠くない未来、人類は絶滅するだろう。」
そう、イレブロスは断言した。
大変なことを聞いてしまったと、そうティアナは思う。
どうにかしなければならないと思う以前に、そんな世界滅亡のような問題に、自分が入り込めるのかという疑念が浮かぶ。
数年前まで、ずっとカトランガの城から出たことのなかったこの自分が、だ。
今のティアナには、こんな話を聞いても、打開策など何も思い浮かばなかった。




