ヴィレム
炎を体に纏った男は、こちらに切れ長な赤色の目を向けた。
背丈はクレアよりも少し低いぐらいだろうか。
高価そうな布に身を包み、こちらを睨むようにして見ている。
その場にいる者達は、その男の異常な姿に怯え、天幕を盾に隅の方に縮こまっている。
「やっと出てきたか。」
そう言いながら、ティアナたちの方に近づいてくる。
その間に、纏っていた炎は散るように消えた。
幻覚だったのかと思うほど跡形もなく消えた炎に、ティアナとミランは驚いた。
だがクレアは眉間にしわを寄せ、その男を睨みつけていた。
「…あなたは誰? ここで何をしているの?」
そうティアナが言いながら進みでるのを、クレアが止める前に男の手の甲がティアナの頭をはたいた。
「邪魔だ女。」
男はそう冷たい声で言い放った。
その予期せぬ攻撃にティアナは横に倒れた。
それを見たクレアの瞳は一瞬で怒りに燃え、槍を抜き放つ。
「貴様…!」
クレアは槍を前に突き出し、男を睨みつけた。
その間に、ミランは慌ててティアナを抱き起こそうとする。
だが、そんなものは不要だった。
次の瞬間ミランとクレアが見たものは、ティアナの全体重を乗せて振り切った拳と、地面に叩きつけられる男の姿だった。
ミランは妖精の力を見た時よりも驚いて顔をひきつらせ、クレアは呆れたような、安心したような顔で微かに笑った。
地面に叩きつけられた男は一瞬何が起きたか分からないといったように目を白黒させていたが、ティアナの仁王立ちの姿を見て理解した様だった。
「な…なにをする、貴様!」
「やられた事は倍にして返す。トルワードから教わった事よ」
その時男の頭を過ぎったことは、カトランガの第一将軍の名だった。
「…まさかお前…。」
男はそう呟いて立ち上がりながら服についた砂を忌々しそうに払った。
「おい、案内人! いつまで壁を登っているつもりだ」
そう、急に男は岩壁の方を向いて怒鳴った。
その返事に聞こえてきた声に、ティアナとクレアは目を見開いた。
「そんなこと、言われても…俺には妖精の力なんか無いんだから、しょうがないじゃ…ないですか…!」
苦しそうなくぐもった声が近づいてくるような気がしたと思うと、高い岩壁の頂上にぬっと頭が飛び出した。
「いいから質問に答えろ、でくのぼう。」
疲れたような顔をした岩壁の上の人物に、男は問いかける。
「この女を知っているか」
そう男はティアナを指さした。
すると、壁の上の人物は、驚いたように、一声呟いた。
「…姫…さま…?」
別れてから数ヶ月ほどしか経っていないにしてもとても懐かしい声と懐かしい呼び方に、ティアナはその茶髪の人物の名を呼んだ。
「カーク!!」
無事だった…。
そう、ティアナは安堵した。
クレアも、突然のカークの登場に驚いていたが、前にも言っていたように、生死については心配していなかった。
それよりも、クレアには別の不安があった。
カークが敵に回らないか、ということだ。
「やはりそうか。」
再会を喜ぶ暇もなく、ティアナとカークの間に男は割って入った。
そして、ずるずるとゆっくり壁から降りてきたカークに、男は命令口調で言った。
「おい、案内人。殺せ。」
「…誰を…ですか?」
「その女だ。この世にこれ以上の妖精使いは不要だ」
「…それは、いくらあなたの命令でも従いかねます。」
少しおどおどとしていたカークは、男がティアナを殺せと言った瞬間に態度を変えた。
「ほう? できない、と?」
「はい。できません。」
「…そうか、いい度胸だ。ならばお前諸共焼き尽くしてやる」
その言葉に、カークの顔は引きつった。
と、共に、クレアは安堵の表情を浮かべた。
一つの不安がかき消されたからだ。
「姫様、クレア将軍! 逃げてください!」
必死にそう言うカークを他所に、男は小さく呟いた。
「サラマンダー」
と。
その瞬間、男を中心に炎が丸く広がった。
何も無いところから、瞬時にだ。
男が呟いた言葉を、ティアナは聞き逃さなかった。
それは妖精の名だ。
火を自在に操ると言われている妖精、サラマンダー。だが、サラマンダーに主がいるとは聞いたことがなかった。
四つの国の四人の国王、そしてリザナスの王側近しか、妖精の力は持っていないはずなのだ。
しかし、ティアナが書物から得た情報の限りでは、その5人の中にサラマンダーの力を持つ者はいなかったはずだった。
「そいつらを殺せ。」
男の言葉とともに、炎は一斉にティアナたちを襲う。
いくらカトランガの将軍が二人と、闘技場を征した少年がいたとしても、向かってくる炎に太刀打ちする術はない。
そんな時、ティアナはクレアたちと炎との間に立ち塞がった。
何か出来ることがあるわけではなかった。
だが、何もせずに殺されるわけにはいかない。
少し震える手を広げ、みんなを守る姿勢をとる。
その時ティアナの体に掴まれるような衝撃が走った。後ろに強い力で引っ張られ、後ろに倒れたところをカークに受け止められた。
ティアナの前に立っているのは、敵を冷たい目で見下ろすクレアの姿だった。
太い炎の柱状になったものがクレアを直撃した。
…したはずだった。
しかし、クレアに炎が触れた瞬間に、炎は一瞬にして消えてしまったのだ。
男は驚いた様に少し目を見開いたが、なるほど、とにやりと笑った。
「カーク。こいつの名は?」
そう、クレアは振り返らずに問いかけた。
「オルゼビアの新しい皇帝。ヴィレムさま…です」
カークは、何が起きたかわからぬまま、質問におずおずと答えた。
「…ザラントス卿は死んだのか?」
そうクレアが男…ヴィレムに問いかけた。
「あぁ。死んだ。それで俺が皇帝の座に着いたのだ。…貴様はニンフェケーニヒの主か?」
「さぁ。なんのことだか。…もしこのままこちらに攻撃を続けると言うのなら、俺が相手をしてやるが?」
「……。」
ヴィレムは一瞬黙り込んだが、すぐに手をひらりと振って言った。
「そうだな。では確かめるためにも、一度死んでもらうとしよう。」
そう、ヴィレムは不敵な笑みを浮かべると、もう一度、サラマンダー、と妖精の名を呼んだ。
「殺し合いの時間だ」
そう言うと、ヴィレムはクレアに向かって走り出した。
それは恐ろしく速く、クレアが槍を振るうのが少しでも遅れたら重症を負っていたことだろう。
ヴィレムは体に炎を纏い、クレアを蹴ったり殴ったりと猛攻を仕掛ける。
冷静な顔で対処するクレアだが、防戦一方でジリジリと後ろへ下がっていく。
そしてクレアの背中が岩壁に当たった時、ヴィレムはニヤッと笑い、懐から短剣を取り出してクレアを切りつけようとした。
「死ね」
だがクレアは後ろ手に槍を岩壁に突き刺し、体を捻って飛び上がると、槍の上に着地した。
そして、クレアは笑う。人が変わったように。
ヴィレムの脳天にかかと落としをすると、その背後に綺麗に着地をした。
そして膝をついたヴィレムの首に槍を突きつける。
「…良い戦い方をする…が、ここまでだな。」
そんなふうに、膝をつき、俯いているヴィレムが呟いた。
その瞬間、背後からクレアの左胸に赤黒い鎌の様なものが突き刺さった。
何も無いところから、それは現れたように見えた。
「な''…」
クレアは何とか首だけを後ろに向けると恐ろしいものを見たかのように顔をひきつらせ、その場に倒れた。
「よくやった、サラマンダー。」
ゆらゆらとヴィレムは立ち上がり、クレアが立っていた場所に何かがいるかのように話しかけた。
クレアは地面にうつ伏せになって咳き込んでいる。
それにトドメを刺そうとヴィレムが短剣を振りかざした時、ふっとヴィレムは寒気を感じてバッと後ろを振り返った。
するとそこにはいつの間にかティアナが立っており、瞳は怒りに燃えていた。
「…私の大切な友達を…傷つけるのは許さない」
低い声でティアナはそう言いながらヴィレムに近づく。
ティアナが近づく度に感じる悪寒に耐えかねて、ヴィレムはティアナに向かって火を放った。
だが、ティアナがヴィレムを睨みつけた瞬間、ティアナを中心に水色の光が輪を描くように広がった。
ヴィレムの炎は掻き消え、クレアの左胸の怪我は青白く光出した。
一瞬にして致命傷だったクレアの怪我は完治し、ヴィレムは目を見開いた。
「…ウンディーネ…」
そう、ヴィレムは呟く。
ティアナを見ているようで、その瞳はティアナの背後にある何かを見つめているようだった。
その時突然、ティアナはその場に倒れた。
それを予想していたかのようにヴィレムはティアナの服を掴んで止めた。
「…そうか、妖精王の主と妖精の愛し子…というわけか。」
ヴィレムは訳の分からない言葉を言ってから笑いだした。
「気に入った。」
不敵な笑みを浮かべながら放たれた言葉は、塔の無くなった静かな岩壁の中にこだました。




