旅立ちと別れ
その寝台の側の血を見て、ティアナは何も考えずに飛び出した。
この先にあるものを見るのが怖い。けれど、早く見て安心したい。
クレアがいるはずの寝台の側にたどり着き、そちらをのぞき込んだ。
するとそこには立ち尽くすクレアと、事切れた黒ずくめの男が一人、倒れていた。
その男の首の辺りから、赤い液体は次々に流れ出ており、その近くに小さな護身用のナイフが落ちていた。
もうすでに、ゼニアスの手がクレアに及んでいたのだ。
「クレア!」
そうティアナがクレアの後ろ姿に呼びかけると、クレアはゆっくりと振り返った。
その顔は血で汚れていた。
「…ティナ…すみません、こんな所を見せてしまって…」
クレアはそう申し訳なさそうにティアナに言うが、正直ティアナはそんなことどうでもよかった。ただ、クレアが生きていて安心したのだ。
足元で息絶えている男のことも、そしてクレアの体についた血が、返り血にしてはおかしな飛び散り方をしていることも、気にならないぐらいに。
「あなたが生きていてよかった…本当にごめんなさい、私のせいだわ」
ティアナがそう言いながらクレアに駆け寄った。
見たところ、クレアはどこも新たに怪我をしていないようだ。
「ティナ、カークとにかく場所を移します。こちらへ来てください。」
そのクレアの言葉に、ティアナもカークも大人しく従った。
カークは怪我をしているはずのクレアの手助けをしようとしたが、クレアはそれを笑顔で断った。
もう全然大丈夫なのだ、と。
ティアナもカークも、クレアが嘘をつく時の癖を、その時は見つけられなかった。
三人が移動したのはティアナの自室の下の階である書庫の奥、限られたものしか入ることが出来ない、出兵記録をすべて保管してある部屋であった。その部屋の鍵は、ティアナが元々持っていた。
「それでティナ、王からの命令は、どのようなものだったのですか?」
クレアからのその問に、ティアナは全てを順序よく説明した。
二人がティアナの話を聞き終わると、クレアが先に口を開いた。
「わかりました。それではやはり、大方俺のよみは合っていたようですね。」
「えぇ、兄上の怒りを買ってしまったの。」
「さっきカークにティナを迎えに行くよう頼んでおいてよかった。このぶんでは早めに出立した方が良さそうですね。」
「…クレア。この任務の共をお願いできる…?」
「当たり前です。さっきも言った通り、俺は必ずあなたのお供をしますから。」
ティアナはクレアの笑顔と優しい言葉を聞き届けると、ありがとう、と呟いて、カークに向き直った。
「カーク、あなたはどうしたい?私は、出来ることならあなたにもついてきて欲しいと思ってる。ずっとこの三人で一緒に居たいわ。でも、あなたは…」
「俺は、ここに残りますよ。」
「…やっぱり、そうなのね」
「第二将軍と第三将軍が同時に城を空けるわけにはいきませんし、なにより俺はもっと強くならなければならない。父の背を追って、この場所で精進します。勿論、姫様の力になりたいとは思っていますが、きっとそれはクレア将軍だけでも大丈夫。そう信じてます。」
「…わかったわ。少しの間、お別れね、カーク」
ティアナがとても寂しく感じながらそう言うと、カークはティアナに笑いかけながら言った。
「早く任務を達成させて、帰ってきてください。そしたらまた三人で過ごせます」
そんな言葉に、クレアもティアナも頷いた。
「では、ティナ。あなたの準備がよければ、すぐにでも出立しましょう。」
そうクレアが言い放って立ち上がるのを、ティアナは心配そうに見上げた。
「クレア、本当に無理はしないで。まだ傷は治っていないはずよ。」
「いえ、治りました。」
「治っているはずないじゃない!今朝までは痛がっていたのに…」
そうティアナが必死に言葉を返した時、クレアが自分の拳を自分の肋骨に叩きつけた。
「本当に、治りました。ティナ、お願いです。あなたが良いのであればいますぐにでもここを出ましょう。後悔する事態になる前に。」
そのクレアの行動と言葉に、ティアナはもう反論しなかった。
それに、クレアが自分で自分の脇腹を殴った時、本当に痛そうな顔はしていなかったのだ。
なぜこんな短時間でクレアの怪我が良くなったのかはわからないが、今はそんな事を考えている暇はなかった。
「わかった、行きましょう。」
そうティアナがクレアに言った時だった。
カークがこちらを見て口を挟む。
「姫様、クレア将軍。恐らく、建物の外はもう包囲されているかと…」
「ならば、強行突破する。旅の支度ならば金があればどうにかなりますので、ティナは荷物を持たないで下さいね。」
「うん、わかったわ。」
クレアは槍を握りしめ、ティアナは自らの拳を握った。
「カーク。俺達が城の外へ出れば、相手はこちらを優先的に殺さなければならなくなる。カークが城に残っても、恐らく襲われることはないと思う。心配しないでくれ。」
「じゃあカーク、行ってきます。」
そうティアナはカークに向かって笑顔で言うと、クレアと共に外へと飛び出した。
外へ出てみれば、カークが予想した通り、多くのゼニアスの手下達が建物を取り囲んでいた。
その数は、下手すれば100人ぐらいは居るだろう。
そしてそいつらは、ティアナとクレアを見つけると、皆がにやりと怪しげに笑って武器を構えた。
「ティナ、少し下がっていてください」
「いいえ、私だって戦えるわ。」
「…じゃあ、左側の敵を頼みます。」
「わかったわ。」
そんな言葉のやり取りをし、二人が敵へ向かって飛び出そうとした時だった。
二人の前に、見慣れた大きな背中が立ちはだかったのだ。
短く切られた茶色い髪が、風に少しなびく。
「姫様、クレア将軍。早く帰ってきてくれると、約束してくれますよね?」
こちらは振り向かずに、小さな声でその男、カークはそう言った。
それに、ティアナとクレアは声を揃えて答えた。
「もちろん。」
「なら、あなたたちが戦うべき相手はこんな奴らじゃない。早く先へ進んでください。…それで…絶対に無事に帰ってきてください。」
その言葉とともに少しだけ振り返ったカークは、目に涙を浮かべていた。
強くて、賢くて、優しくて、そして涙もろい戦士はクレアとティアナが頷くのを見届けてから、敵へと向かっていった。
「ティナ、ここはカークに任せます。」
「でも! 一人では…!」
「カークなら大丈夫です。強いですから。」
ティアナは、クレアのカークを信頼しきった言葉を聞いて、わかった、というように頷いた。
そして、二人は乱闘が起こる横をすり抜け、城門をくぐり抜けた。
そしてそのまま、振り返ることなく市場の方へ行く道から外れ、城から一番近い森の中へ入っていった。
クレアもティアナも、森へ入ってから歩き続けながら一言も話さなかった。
二人とも、カークの身を案じていたのだ。
しかし二人には、カークの無事を知る術はなかった。
そうして二人の妖精の力を手に入れる旅は始まった。
この時クレアは十九歳、ティアナは十五歳であった。




