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シアと炎竜王  作者: いか
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8/9

誕生

「……え?」


 シアが息をのむ。


 赤と白のマーブル模様の殻に、細いひびが走っていた。

 そのひびはひと筋では終わらない。ぴし、ぴし、と音を立てながら蜘蛛(くも)の巣のように広がっていく。


「うそ……」


 ひびの一部が小さく欠け落ちた。

 その穴の奥に見えたのは、暗闇の中でも燃えるように鮮やかな、深紅(しんく)の鱗(うろこ)。


 どくん。


 卵の鼓動が、今までで一番強く響いた。


 卵の赤い模様が、鼓動に合わせて脈打つように光りはじめた。


 どくん。

 どくん。

 どくん。


 生きものの心臓のように、赤い光が殻の上を走る。

 それはもう、さっきまでの静かな鼓動ではなかった。

 今にも生まれ落ちようとする命が、殻の内側から世界を叩いている。


 シアの腕の中で、卵はゆっくりと持ち上がった。

 抱きしめていたはずの腕から、するりとすり抜け、卵は回転しながら宙へ浮かび、赤と白のマーブル模様をきらめかせた。


『シア……』


 声が、頭の中に直接響いた。


 低く、けれど熱を帯びた声。

 遠いところから聞こえるのではない。

 胸の奥へ、そのまま落ちてくるような響きだった。


『シア』


 今度は、はっきりと。


 シアは息を呑んだ。

 涙で濡(ぬ)れた頬のまま、浮かぶ卵を見上げる。


「わたしの……竜……?」


 次の瞬間、どくん、と今まででいちばん大きな鼓動が響き、シアの鼓動と重なった。


 同時に、卵を中心として、赤い魔法陣が空中にひらいた。


 それは、ひとつではない。

 水面に落ちた雫(しずく)の波紋のように、幾重(いくえ)にも、幾重にも真円を描いて広がっていく。

 赤い光はゆるやかに脈打ちながら重なり合い、やがて一輪の巨大な花が咲くように、夜の闇の中で燃えるように開いた。


 美しい。


 黒竜王の瘴気すら、その一瞬だけ遠のいたように思えるほど。

 けれど、その美しさの代償のように、シアの身体から一気に魔力が引き抜かれていく。


「……っ、ぁ……!」


 膝が崩れ、両手が床につく。

 指先から、胸から、身体の奥から、何かがごっそり持っていかれるような感覚。

 立っていられない。息も苦しい。視界が揺れる。


 それでもシアには分かった。


 あの魔法陣は、ただ卵の力だけで描かれているのではない。

 自分の魔力が流れ込み、卵の中の命とひとつになって、あれを描いている。


 真っ赤な魔法陣。

 燃えるような、炎の陣。


 シアは力の入らない腕を持ち上げた。


 導かれるように、シアの右手が高く上がる。

 指先が夜の空気を裂き、赤い光の軌跡を残しながら、空中へ炎の上級魔法陣を描きはじめた。


 卵の回転は、加速度的に速くなっていった。


 赤い魔法陣が最後の文字を描いた直後、花が閉じるように中心へ一気に収束する。

 次の瞬間――殻がまばゆい光とともに弾け飛んだ。


『待たせたな、シア!!』


 轟(とどろ)く声。

 それは生まれたばかりの命の声とは思えないほど、熱く、強く、この場のすべてを震わせた。


 ばさり、と身体より大きな翼が広がる。

 熱を帯びた風が吹き荒れ、白い蒸気と瘴気の残滓(ざんさ)を一気に吹き払った。


 そこにいたのは、ひと抱えほどの大きさの竜。


 燃えるような深紅の鱗は、まるで炎そのものをまとっているように鮮やかだった。

 頭には大きな角が後ろへ流れるように巻き、その姿には幼竜(ようりゅう)の小ささと、竜王の威厳(いげん)が同時に宿っている。


 大きく力強い目が、シアを見下ろした。


 その眼差しは、初めて会ったはずなのに、ずっと前から知っていた相棒のようにまっすぐだった。


「シア、黒竜王(こくりゅうおう)が!!」

「はやく竜を連れて逃げろ!!」


 リーナが悲鳴を上げ、ギータが叫んだ。


 黒竜王(こくりゅうおう)が、再びこちらへ迫ってきていた。


 その巨大な眼は、もはやシアではなく、生まれたばかりの深紅の竜だけを狙っている。

 獲物(えもの)を逃すまいとするように、黒い巨体が夜気を裂いて迫り、喉の奥から、あの不吉な音が響きはじめた。


 コオオオオオ――。


 シアの背筋が凍る。

 見れば、黒竜王の大きく開いた口の奥で、黒く濁った魔法陣がゆっくりと形を成しはじめていた。

 幾重にも重なる禍々しい円。淀んだ文字列。空気そのものを腐らせるような瘴気の気配。


 来る。


 シアは思わず怯んだ。


 だが、その瞬間だった。


 深紅の竜の周囲に、炎が花開くように、真っ赤な、巨大な魔法陣がぶわりと広がった。


 それは、さっき卵を包んでいた魔法陣とは比べものにならない。

 遥かに大きく、遥かに力強く、空そのものを焼き払うような圧倒的な炎の陣。

 何重もの円が重なり、赤い文字が明滅し、夜の闇を押し返すように広がっていく。


『シア』


 胸の奥に、深く熱い声が響いた。


『我を信じ、我が力を行使せよ!!』


 その声に、シアの中の恐怖が、一瞬で焼き払われる。


 そうだ。

 ひとりじゃない。


 シアは立ち上がった。

 両足に力を込め、両手を真っ直ぐ炎の魔法陣へかざす。


 シアは息を吸った。

 胸の奥にある熱と、竜の鼓動と、自分の魔力が、ひとつに重なるのを感じる。


 そして叫んだ。


「撃て!!」


 その一声と同時に、真紅の魔法陣が一気に発火した。


 ごうっ、と轟音(ごうおん)を立てて炎が立ち上がる。

 それはもはや火ではなく、壁だった。

 押し寄せる瘴気の奔流(ほんりゅう)を真正面から受け止め、飲み込み、焼き尽くす、紅蓮(ぐれん)の防壁。


 黒い瘴気は炎に触れた瞬間、バチバチと音を立てて霧散していく。

 黒を塗り潰すように赤が走る。

 瘴気にのまれていた空気が、今度は炎に支配されていく。


 そして次の瞬間、魔法陣を構成する文字という文字が、いっせいにほどけた。


 赤い文字はひとつひとつが炎の矢となり、無数の流星のように黒竜王へ向かって撃ち出される。

 螺旋(らせん)を描き、うねり、絡み合いながら、無数の矢はやがてひとつの巨大な奔流となった。


 それは一本の、灼熱の槍。


 夜空を真っ二つに裂きながら、まっすぐ黒竜王の喉元へ突き刺さった。


 黒竜王(こくりゅうおう)の咆哮(ほうこう)が、夜を揺らした。

 巨体が大きくのけぞり、喉元(のどもと)から黒い煙と火花を散らしながら、高度を失っていく。


「入った!!」

「すげぇ!!」

「追撃だ!!」


 外で迎撃(げいげき)していた三人の竜騎士が、一斉に追いすがる。

 それぞれの竜が魔法陣を展開し、炎、氷、風の追撃が黒竜王へ浴びせられた。


 傷ついた黒竜王(こくりゅうおう)は、大きく翼をはばたかせて体勢を立て直した。


 黒い巨体が夜空の中でぐるりと向きを変える。

 そして深紅の竜を射抜(いぬ)くように睨んだ。


 ひと声。


 低く、長く、怒りとも憎しみともつかぬ声を残し、黒竜王(こくりゅうおう)は山の方へと飛び去っていった。


 残された夜空には、焦げた瘴気の匂いと、なお燃え立つような赤い光の余韻だけが漂っていた。


─ 続 ─

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