↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
シアと炎竜王  作者: いか
PR
7/9

危機

 外の竜騎士の声と同時に、隊舎の影が一気に暗くなる。

 黒竜王(こくりゅうおう)が巨体を持ち上げ、夜空へ跳(は)ね上がったのだ。砕けた壁の向こう、黒々とした翼が月明かりを覆(おお)い隠す。


 そして黒竜王(こくりゅうおう)は、再び隊舎へその顔を向けた。


「また来る……!!」


 シアの声が震えた。


 黒竜王(こくりゅうおう)の喉(のど)の奥から、低く長い音が鳴り始める。


 コオオオオオ――。


 それはただの鳴き声ではなかった。

 喉の奥で魔力が渦(うず)を巻き、圧縮され、周囲の空気が引きつる。

 黒竜王(こくりゅうおう)ががっと大きく口を開くと、その暗い口腔の奥に、禍々(まがまが)しい魔法陣が浮かび上がった。幾重(いくえ)にも重なった円と、黒く濁(にご)った文字列。見ているだけで胸が悪くなるような、不吉な術式。


「瘴気……!!」


 シアは足を止めた。

 あれを浴びれば終わる。卵も、自分たちも、全部。


 けれど次の瞬間、リーナが前へ出た。


「下がって!!」


 震える声だった。

 それでも、両手は真っ直ぐ前へ伸ばした。


 リーナの足元に、青白い光がぱっと走った。細い線が円を描き、次々と重なり合って水の魔法陣が展開していく。彼女の水竜が離れた場所で甲高く鳴き、呼応するように魔法陣の輝きが増した。


「お願い……っ、まもって!!」


 リーナが叫ぶ。

 青白い光の壁が、三人の前に半球状に広がった。水の膜が幾重(いくえ)にも重なり、薄い氷のような光沢を帯びる。


 その直後、黒竜王(こくりゅうおう)の口からごうっと瘴気が吐き出された。


 どろりと濁(にご)った黒い奔流(ほんりゅう)が、風を巻き込みながら一直線に襲いかかる。触れた床板が一瞬で黒ずみ、壁がじゅうっと音を立てて腐り落ちていった。


「いやあああっ!!」


 リーナの悲鳴と共に、青く輝く水の防壁が大きく揺らいだ。

 瘴気は壁の表面を這い、押し潰そうとするように波打った。水の膜が蒸発し、白い蒸気が立ち込める。リーナの肩がびくりと震え、額から汗がふき出した。


「リーナ!!」

「まだ……っ、まだ破らせない……!!」


 ギータが、歯を食いしばっているリーナの背を支える。

 だが、リーナの防御壁だけではもたないと悟ったギータは、キッと顔を上げ、黒く濁る瘴気と、蒸発して白煙を上げる水の防壁を睨みつけた。


「くそっ……!!」


 ギータはリーナを支えていた両手を離すと、一歩前へ出た。

 恐怖で上がった息のまま床を見据(みす)え、低く詠唱(えいしょう)を始める。


「土よ、穢(けが)れを呑(の)め。壁となれ、檻(おり)となれ。砕(くだ)けた石も、散った砂も、今ここに集え――」


 声が掠(かす)れる。

 中級の浄化魔法など、ギータにとっては明らかに荷が重い。それでも、ここで止まるわけにはいかなかった。


「――地脈(ちみゃく)よ、我が魔力に応えろ!!」


 詠唱を叩きつけるように言い切ると、ギータは両手を強く床へ叩きつけた。


 鈍い音とともに、ひび割れた床板の下から土色の光が走る。


 その時、遠くの竜舎の方角から、するどい竜の叫びが響いた。

 ギータの竜だった。

 いつもは餌桶に顔を突っ込んでばかりいるくせに、今は主を呼ぶように、何度も悲痛な声を張り上げている。


 ギータの眉がわずかに動いた。


「……うるせぇ。今、そっち行ってる場合かよ」


 吐き捨てるように言いながら、ギータはさらに魔力を叩きつけた。


 砕けた石壁、崩れた梁(はり)の破片、床に積もった土埃(つちけむり)までが、その光に呼応(こおう)するように震えた。


「ギータ!?」

「うるせぇ、リーナ、黙って防御壁を維持しろ!!」


 ギータの怒鳴り声と同時に、彼の足元へ複雑な土色の魔法陣が浮かび上がる。


 本来、浄化の術は水や風の系統が得意とするものだ。だが土にも、穢(けが)れを吸い、封じ、埋める力がある。


 ギータは、講習の時に頭に叩き込んだ中級の土魔法を、自分なりに力でねじ伏せるかたちで発動しようとしていた。


「土よ、飲み込め……っ!!」


 床に走った光の筋が一気に広がり、三人の周囲を囲むように土の魔法陣が展開する。

 砕けた石片と土埃が巻き上がり、渦(うず)を巻いて青い防壁の外側へまとわりついた。瘴気に触れた瞬間、砂と土がじゅうっと音を立てて黒く焼ける。だが次の砂が、次の石片が、その上からさらに覆いかぶさった。


 青い防壁の外側に、もう一枚、土色の膜(まく)が生まれる。

 粗く、荒々しく、けれど確かに広範囲へ広がる浄化の術。

 土は瘴気を吸い、封じ、押し返すようにうねった。


「ギータくん……!」

「いいから、前だけ見てろ!!」


 リーナの青い防壁と、ギータの土の浄化陣が重なり合う。

 黒い奔流(ほんりゅう)はなおも激しく押し寄せてくるが、先ほどまでの一方的な圧迫ではなくなっていた。

 瘴気の先端が土色の光に触れるたび、ぶしゅっと鈍い音を立てて削れ、薄れていく。


 けれど、その代償(だいしょう)は大きかった。


 ギータの額から汗が滝のように流れ落ちる。

 歯を食いしばった頬は引きつり、肩が小刻みに震えていた。もともと魔力の細かな制御が得意ではないギータにとって、中級の広範囲浄化など明らかに無茶だったのだ。魔法陣はところどころで軋(きし)み、砂の渦(うず)が乱れ、そのたびにギータは力ずくで押さえ込むように魔力を叩きつけた。


「ぐ……ぅ、ぅぅ……っ!!」


 喉の奥からもれる声は、もはや怒鳴り声でも強がりでもなかった。

 それでもギータは術を解かない。黒竜王の瘴気から、シアとリーナを守るために、二人の前に立っていた。


「ギータ、もう……!!」

「うるせぇ……っ!! ここで引いたら、終わりだろうが……!!」


 次の瞬間、土の魔法陣が大きく明滅(めいめつ)した。

 ギータの膝ががくりと折れ、片膝が床へつく。どん、と鈍い音が響いた。


「ギータ!!」


 それでも彼の手はまだ床から離れなかった。

 片膝をつき、肩で荒く息をしながらも、土の光はまだ三人の周囲に広がっている。だが、その光は明らかに弱まっていた。浄化の膜も薄くなり、黒い瘴気がじわじわと押し返し始める。


 ギータは苦しげに顔を上げ、歪む視界の向こうの黒竜王を睨んだ。


「……くそ、化け物が……」


 シアは卵を抱いたまま、目の前の光景を見つめることしかできなかった。


 まずい。

 このままじゃ、防壁がもたない。


 黒い瘴気の圧力に、水の魔法の膜が一枚、また一枚と蒸発していく。

 それでもリーナは、魔法を支える両手を下ろさなかった。泣きそうな顔で、けれど真っ直ぐに前を見据えている。


「シア……っ、早く……逃げて……!!」

「私だけ逃げられるわけないじゃない!!」


 シアは叫ぶと同時に、卵を抱えたまま片手を前へ突き出した。

 少し瘴気を吸いこんだ胸の奥が焼けるように熱い。けれど迷っている暇(ひま)はない。リーナの防壁はうすれ、ギータの浄化陣も今にも押し潰されそうだった。


「火よ、清めろ、祓(はら)え、焼き尽くせ……!」


 シアは覚えたばかりの浄化魔法を、必死に詠唱する。

 足元に魔法陣が浮かぶ。けれどそれは、最後まで綺麗な円にならなかった。


 卵にも魔力を注ぎ続けているせいで、力がひとつにまとまらない。

 卵へ送る魔力を止めれば、この子の鼓動が遠のいてしまう気がした。けれど、止めなければ術は完成しない。


 揺れる。

 ぶれる。

 乱れる。


 赤い魔法陣は、形を成しかけては崩れ、崩れてはまた繋がろうと不安定に明滅した。


「だめ……っ、お願いっ、まとまって……!!」


 シアの声は悲鳴になった。

 それでも、術は完成しない。


 次の瞬間、黒竜王(こくりゅうおう)が再び咆哮(ほうこう)を上げた。


 ごおおおおおおん――!!


 地の底まで揺さぶるような轟(とどろ)きと共に、巨大な翼が広げられた。

 羽ばたきで暴風が吹き荒れ、三人の身体は、あおられてまとめて廊下の奥へ叩き飛ばされた。


「きゃあっ!!」

「ぐあっ!!」


 リーナの身体が床を滑り、ギータは瓦礫(がれき)に肩を強く打ちつける。

 土の浄化陣(じょうかじん)が、ばちんと音を立てて弾け飛び、水の防壁も霧散(むさん)した。青い光と土色の光が一瞬宙に舞い、そのまま夜の闇へ飲まれていった。


「リーナ!! ギータ!!」

「シ……ア」

「くっ……そ……」


 シアは必死に叫んだ。

 リーナとギータはしたたかに体を打ちつけられて、倒れたまま起き上がれない。


 遠くの竜舎の方から、リーナとギータの竜たちの悲痛な叫びが重なる。

 リーナの水竜の細い鳴き声。

 ギータの竜の荒々しい咆哮。

 主を呼ぶように、何度も、何度も。


 シアの脳裏に、あの幼い日の光景が浮かんだ。


 黒竜王の瘴気に枯れていく畑。

 色を失った森や草原の草木。

 濁(にご)っていった水。

 苦しそうに胸を押さえ、咳き込んでいた街の人たち。


 そして、竜にまたがって飛び立っていったまま、二度と帰らなかった父の背中。


 まただ。


 また、何もできない。

 また、誰かが自分の前で傷ついていく。

 また、自分は、守られるばかりで、見ているだけなのか。


「いや……」


 シアは卵を抱きしめたまま、震える声をもらした。

 黒い瘴気がにじり寄る。


「やだ……こんなの……」


 応援してくれたリーナやギータ、仲間や教官たち。

 自分は彼らに何も返すことができないのか。


 喉の奥が詰まり、視界が滲む。

 悔しくて、苦しくて、どうしようもなく情けなかった。


「わたしは……」


 ぽろり、と涙が頬を伝う。


「わたしは……なんて無力なんだろう……」


 こぼれた涙が、腕の中の卵に落ちた、その時。


 ぱきり。


 かすかな、音がした。


━ 続 ━

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。