襲撃
シアはこのところ自室には帰らず、隊舎の卵の側に毛布を持ち込み、泊まりこみで魔力を注いでいた。
夜になると、隊舎の窓の外は静まり返り、遠くの見張り台の灯りだけがぽつぽつと浮かんで見えた。
リーナやギータ、他の仲間たちも、ときおり夜食を差し入れてくれるようになった。
皆の応援を背に受け、シアはますます卵を孵すことだけに意識を向ける。
日を追うごとに上級魔法を習得し、ただ魔力を注ぐだけでなく、野生の母竜が孵化の時に使う特殊魔法までかけられるようになっていた。
卵から返る鼓動は、日に日に強さを増していく。シアは確かな手応えを感じていた。
窓の外はすっかり夜の闇に沈み、隊舎の中には卵を包む魔法の淡い光だけが揺れていた。
「もうすぐ……もうすぐね」
卵を包むように、孵化の魔法をかける。暖かい毛布でくるむようなイメージで、何重にも魔法を重ねていった。
集中するほどに、術はやわらかく、けれど厚みを増して卵を包み込んでいく。
「あっ」
コツ、と殻の中から何かを叩く音がした。
「うそ……やった……!! やった!!」
思わず卵を抱きしめた、その時――
激しい風が、隊舎の窓をがたがたと震わせた。
「えっ!?」
シアがはっとして振り返ると、隊舎のすぐそばを三人の竜騎士が飛んでいた。
「なに……? なにかあったの!?」
ギーゴー、ギーゴーという竜の発する警戒音が、静まり返った隊舎に、何度もくり返し鳴り響いた。
それは、街の竜騎士たちが危険を知らせる合図だった。
逃げなければ。
でも、卵を置いて行くことはできない。
「もうすぐなのに!!」
シアが窓の外を睨みつけた、その時。
巨大な影が視界をよぎった。
「え……」
次の瞬間、轟音と共に窓ガラスがいっせいにガタガタと鳴り、ついに風圧に耐えきれず砕け散った。
「きゃっ!!」
シアは卵を守るように抱え込んだまま、風にあおられた。
「シア!!」
隊舎の廊下側から、リーナとギータの声がした。
「二人とも、なんで避難してないの!?」
「バッカ!! お前もだろうが!!」
「シア、大丈夫!?」
うずくまるシアのもとへ、二人が駆け寄ってくる。
飛んできたガラスの破片で、腕や足が切れてひりついた。
でも、卵だけは守り抜かなければならない。
「あなたたちの竜は!?」
「教官たちが守ってくれてる。早くお前も……」
ギータがシアを助け起こそうとした、そのとき、三人とも窓の外を見て凍りついた。
砕けた窓の向こうに、窓枠より大きな目があった。
ぎょろりと見開かれた目は、水辺に棲む爬虫類のように鋭い。下まぶたから薄い膜が現れ、何度かまばたきをする。縦長に細められた瞳孔が、シアたち三人を捉えていた。
「……こ……黒竜、王……」
その目の奥で、黒竜王の全身がぬるりと動いた。
二階建ての隊舎に覆いかぶさるほどの巨体。
長い首は生き物めいてしなやかなのに、その下の胴は異様に太く、岩の塊がうごめいているようだった。
さらに後方では、胴と同じほど長い尾が這うようにうねり、槍のように尖った尾の先が隊舎の壁を抉っている。
全身を覆う鱗は、月明かりを弾くたび、黒くぬめった光をはね返していた。濡れた肉と黒曜石が混ざり合ったような、冷たく不吉な艶。
巨大な翼の縁からは鋭い鉤爪が突き出し、わずかに開くだけで、瘴気混じりの風が腐った息のように吹き込んでくる。
夜と瘴気が絡み合い、この世に押し出された厄災が、竜の形をしていた。
あまりの恐ろしさに、リーナは尻もちをついた。
シアも卵を抱えたまま、その怖ろしい姿から目が離せない。
ギータは二人を背中にかばうように立ち、黒竜王を睨みつけた。その身体は、はっきりと震えていた。
ごぉぉぉぉん、と地鳴りのような低い咆哮が響いた。
空気そのものが揺れ、地震のように足元がびりびりと震える。
その瞬間、外から怒声が飛んだ。
「撃て!!」
「隊舎から引き離せ!!」
黒竜王の横顔めがけて、三つの魔法陣が夜気にひらめいた。
赤、青、白。竜騎士たちの竜が展開した大きな魔法陣から、炎の槍と氷の刃、風の刃がほとばしる。轟音と共に黒竜王の頬と首筋へ叩きつけられ、黒い鱗が火花を散らした。
激しい攻撃に、黒竜王はひるまなかった。
巨大な首が怒りにうねり、跳ねた尾が建物の外壁を薙ぎ払う。
ばきばきばきッ、と嫌な音を立てて隊舎の壁が裂け、梁が折れ、天井の一部が崩れ落ちた。
「きゃあっ!!」
「シア!! リーナ!!」
砕けた木片と石が散り、土煙が一気に吹き込んでくる。
シアは卵を抱え込んだまま身を丸めた。視界の端で、リーナが頭をかばい、ギータがとっさに二人を守るように両腕を広げて覆いかぶさった。
外から再び叫び声が響いた。
「おい!! 隊舎に逃げ遅れた者がいるぞ!!」
「黒竜王を隊舎から離せ!!」
「お前たち、なにしてる!! 早く退避しろ!!」
その怒声に、ギータがはっとしたように顔を上げた。
「行くぞ!!」
ギータはまずリーナの腕を掴み、次にシアの肩を強く引いた。
シアは卵を両腕に抱えたまま、よろめきながら立ち上がる。
「でも、外は――」
「いいから走れ!!」
ギータに背を押され、二人は砕けた教室を飛び出した。
廊下には瓦礫と割れた窓枠が散らばり、竜たちの警戒音と怒号が絶え間なく響いている。
風圧で開いた扉が何枚もばたばたと暴れ、まるで建物全体が悲鳴を上げているようだった。
シアは卵を落とすまいと抱えこむ。
リーナは涙目でスカートの裾を握り、ギータは二人を先に行かせるように背後を何度も振り返って走った。
その時だった。
ごおおおおおッ、と空気を裂くような羽音が頭上をかすめた。
「まずい!!」
─ 続 ─




